私は「凸凹人間で良かった」と思う。

第二の生を生きるにあたって、私はオールラウンダーでない凸凹人間であって良かったなと思う。稲盛和夫さんのようになりたいと思っても「トマトはトマト、決してメロンにはなれない」のだから、トマトのままでどう生きていくかということだ。

東大に楽々入って、トップクラスで卒業して、会社からMBAにも行かせてもらって、エリート街道まっしぐらだったら、私は人の気持ちの分からない鼻持ちならない人間になっていたのではないかと思う。
凸凹で、凹んでいるところが圧倒的である人間であることを自覚したことから、ごく僅かの凸の部分に磨きをかけようとする。人間は絶対凸のところを持って生まれてくるのだから、その凸のところを磨くのだ。
凹んでいるところが多いと、自分より優れた人に素直に謙(へりくだ)るようになる。謙虚な心になるのだ。そして、凹んだところを穴埋めをしてくれる信頼できる人に深く感謝するようになる。

この「謙虚」と「感謝」はビジネス=ボランティアを成功に導くためには不可欠なことだ。私はこれは絶対的真理であると確信するまでに至った。 なぜかと言えば、そのように思い行動すれば、ビジネス=ボランティアは思いの外、不思議なほど順調に展開していくことを実感するようになったからだ。

「友だちの友だちは皆友だち」というタモリさんの名台詞は、私のビジネス=ボランティアで、素晴らしい人たちとの人脈を拡げていくベースになっている。 「類は友を呼ぶ」ように心をオープンにして、善き心を持った友だちをこちらから求めていくことだ。その相手は老若男女を問わない。
こちらから心を開くことはこちらの弱みを見せることだとか、「我は優秀であり、我が知らないことは恥」と思う東大卒にありがちな全く意味のないプライドは人間の成長を妨げる。 人は皆平等で、私より優秀な人全てから多くを学び取ることだ。その意味で私はほんとに多くの人からいろいろなことを学んでいると 思う。殆どの人が私より優秀なのだから。
しかし、私には決して人には負けないものがあると自負している。それはたった一つでいいのだ。その一つを磨きに磨きをかける。生涯に亙り磨き続けることだ。そうすれば、人間は成長するし、人間ができてくる。

そんなことを日々感じながら生きている。そして、どんどん善き心根の人たちが私の周りに集まってきてくれる。
私の戒名(本名)の「重陽」のように、陽のエネルギーを持った人たちがたくさん集まってきてくれるのだ。
そのことを日々感じている毎日である。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

『賢女の会』の賢女はこんな女性だ。

私の古稀の誕生月(11月)に第1回の『賢女の会』を開催する。
年代は問わず賢女はいるが、私が主催する『賢女の会』の賢女はそんなわけにはいかない。

私の妹から子どもの世代、アラフィフとアラフォーとアラサーの50代前半から30代前半のEQが高い女性としよう。約20年の幅がある。

経営者、会社幹部、専門職等。
人生を前向きに生きている、生きていこうと思って、そんな人生にチャレンジしている女性だ。そして心が素直で真っ直ぐで、「恕の心」を持って、人を思い遣ることができる、外連味がない、誰にでも好かれる、心美しい女性だ。 そんな人はきっとビジネスもボランティアも素晴らしくできる。
また、男の専売特許と思われている任侠の世界、いわゆる「義理と人情」の世界も解する心豊かなバランス感覚豊かな人だ。むしろ賢女が男性よりピュアで義理人情を解する。

私の周りにはそんな人が多く集まる。「友だちの友だちは皆友だち」だから、今のところ人数は9名だが、もっと増えるだろう。

会場は、西櫻亭(伊勢丹新宿)、私の愛娘の安藤裕美さんが経営する西洋レストランにしたい。

昨日は台風11号のおかげで、お昼から夕方までの5時間、ドーミーイン(博多祇園)でゆっくりと寛ぐことができた。
災いは災いではない。災いと思うから災いになるだけだ。心、気持ちの問題なのだ。

人生は複雑なようで単純だ。複雑に考えるから頭が混乱する。シンプルイズベストなのだ。しかし、人生は深く考えなければならない。複雑ではなく、深淵に人生を考えることだ。

LINE、mail、電話等、スマホ1台持っていれば、ビジネスができる。そのベースにはリアルな人と人との接触があることが不可欠だが、現代ならではの武器をバランス良く加味することでビジネスのコスパは高まる。 そのバランス感覚がない人は、決してサスティナブルなビジネスはできないと思う。

5時間のデスクワークで9月のスケジュールはほぼ埋まった。充実したオフタイムになったと思う。

今日は9時に福岡女子大学の梶原事務局長訪問、それが終わって福岡空港から羽田へ。15時に中野の西武信用金庫の髙橋理事長訪問だ。充実した一日になるだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

私の周りに起こることは全て私の成長のための磨き砂

昨夕は博多駅の博多シティ(博多駅ビル)9階レストラン街「くうてん」の日本蕎麦屋「石月」で、グラシアス齋藤さんと、酒(ビールと焼酎)とつまみ、仕上げに日本そばを堪能した。 最近になって、日本料理、その中でもそばに拘るようになった。心身がそれを要求するのだ。これも歳のせいなのか。
こんなことでも年齢を意識してしまう。だから無理はしないようになる。この調子であと半世紀、120歳まで現役で仕事ができるのではないかと思い込もうとしなくてもそう思う。それは長生きするための一番大切なことのような気がする。

19時には祇園にあるドーミーインにチェックインし、ゆったりと温泉に浸かる。お腹はいっぱいでお酒も入っているのでそのままベッドにバタンキュー、20時前だ。
勿論、21時30分からのドーミーイン名物の「夜泣きそば」はパスすることになる。美味しい朝食をさらに美味しくいただくためにも、ここのところ、よっぽどのことがないと夜泣きそばはいただかないことにしている。勿論、食べたい気持ちはあるが、そこはグッと堪えて。 「楽観主義は意志に属する」のだから、意志堅固に楽観的に生きることで幸せが訪れるのだ。

今朝は3時に目覚め、朝風呂に浸かる。この時間は風呂場には私一人だ。顔と頭を剃る。一日で生えた煩悩を剃る。煩悩には善き煩悩と悪しき煩悩があるから、善き煩悩は剃ってはいけない。善き煩悩は世のため人のために必要不可欠なものだからだ。だから、「悪しき煩悩を剃る」と思って剃ることだ。

大型台風の到来だが、昨日は欠航せずに来福できた。昨日の訪問先の目的は果たした。きっと良い結果になるだろう。
今日は台風のピークで訪問先2社のキャンセルがあったが、それでも10月にアポをいただける。
肝心要のゼオライトとグラシアスの打ち合わせと会食はじっくりと行なうことができる。
明日は台風一過、福岡女子大を訪問して、11時過ぎのフライトで東京に戻り、中野の西武信金訪問だ。

台風で福岡出張はどうなるか心配していたが、これは杞憂に終わるだろう。
世の中の出来事は人間業では知るすべはないが、因果応報、善因善果、悪因悪果。天は決して善き心の人間を見捨てることはしない。悪しき心の人間は一時はその人の思いに沿ったことがあるかもしれないが、それは善き心から発したことではないから、決して長続きしない。人はそのような人に付いていくことはない。 私はそのことを感覚で分かるようになった。「天と己は私がすることは全てお見通しだ」ということだ。
そして、私は善きことしかしないことをモットーにしている。それは己が一番大切だからだ。

『賢女の会』のメンバーは9名に増えた。「類は友を呼ぶ」と言う諺もある。同じ志の人間が集まってくる。
私は、善き心や志の人たち同士の蝶番役を果たしたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

『角打ち』を守ろう。

今日から2泊3日の福岡出張だ。台風11号が九州に接近しているが、そのピークは6日のようだ。5日の羽田→福岡と7日の福岡→羽田は欠航にはならないと思われる。

地下鉄銀座線外苑前5:05発の始発に乗り、新橋で京急線に乗り換え、6:02に羽田空港に到着する。
福岡行きは6:55発のANAだ。福岡空港には8:50到着する。

始発に乗ると福岡でフルに仕事ができる。福岡行きはほとんど始発を利用する(金沢も月1〜2回は出張するが、この時も北陸新幹線東京発6:16の特急かがやきに乗って金沢着8:46だ)。 私は毎日3時には起きているので始発に乗るのは全く苦にならない。ただ、そんな日は早朝ウォーキングができないことが苦痛ではあるが。

九州北部信用金庫協会の篠原専務から9月3日(土)に地元の西日本新聞に掲載された投稿記事が送られてきた。篠原専務には、福岡でのOUEN塾には大変お世話になっている。
私の第二の生のミッションは地域創生だ。まずは、OUEN塾を開催している九州北部(福岡・佐賀・長崎)と、私の故郷である北陸(石川・富山・福井)からスタートしたい。私は、そのキーカンパニーは信用金庫だと思っている。篠原専務は九州北部信用金庫の纏め役である信用金庫協会の専務であり、彼のお力を借りて、ミッションを果たしたいと思う。

篠原専務は『角打ち』マニアだ。私は福岡出張で夜の時間がある時、よく篠原さんに角打ちに連れて行ってもらう。もう何回『角打ちツアー』を楽しんだことだろう。 角打ちは掲載記事にもあるように、北九州市から発祥した。それが福岡市に拡がった。東京でもチラホラ散見されるとか(私は未だ行ったことはないが)。
この角打ちは奥が深く、ピンからキリまである。何がピンかキリか分からないが、迎賓館があったり下品館があったりする。ほんまものの角打ちはきっと下品館なんだろうが(「下品館」とは聞きづてならないと誤解を招く表現と思われる人もいらっしゃるだろうが、差別的な意味で言っているわけではない。泥臭いのがほんまものということだ)。

やはり地域創生は地元がコアになって展開しなければサスティナブルなものにはならないだろう。東京資本がビジネスオンリーで地域を食い物にしてしまうことがなきにしもあらずだ。 地元の企業や個人がリードオフマンになることだ。中央資本はそれをサポートする位置付けで応援する立ち位置がいい。
OUEN Japanはその応援団として、地元と中央の蝶番の役目を果たす。
まずは、九州北部と北陸から。それがコアとなって全国に展開していきたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

9月3日西日本新聞にて掲載

11月に『賢女の会』を開催する。

4時前に起きて、5時から6日ぶりの2時間ウォーキングで汗を流した。この季節になると5時ではまだ暗い。気温は22度。ムッとした蒸し暑さはない。絵画館前を通ると秋の虫の声が聞こえてくる。やっと秋めいて、酷暑の夏ももう終わりに近づいているのだ。

季節は春夏秋冬を繰り返す。人生は季節に擬えられるが、その始まりについて中国五行思想はそれは冬だと言う。
すなわち、「人生は、冬から始まり、春夏を経て、仕上げは実りの秋」ということだ。
早暁に目覚め、まだ薄暗い神宮外苑をウォーキングしていると、人生は冬春夏秋であることに納得する。そして、私はそれを実感して、身をもって実行するために、早朝ウォーキングをしているのだと妙に納得するのだ。

人生は暗い早暁から始まる。燃える青春、炎える朱夏を経て、人生の仕上げの実りの秋「白秋」を迎えて人生を完結させるのだ。

私はちょうど古稀、70歳になった。昨年が数え70歳、今年の11月で満70歳になる。
私の古稀の祝いは今年の6月4日に執り行った生前葬&出陣式(誕生会)ではあるが、来たる11月は満70歳になり、最後の古稀の祝いの月でもある。 そして、私はこの古稀の祝い月に『賢女の会』なるものを開催しようと思い立った。

私の誕生月に私が仕掛ける会とは、いかにも常識外れの私のすることだが、それは私らしい。ど厚かましいと思われる人もいるが、それでも嫌われないのが私の天から付与されたキャラクターだと自負している。

賢女の会の開催月は11月。今のところ7名だが、アッパーは10名としようか。

賢女の条件の一つは、私より若い女性。
盛和塾の入塾条件の一つは稲盛和夫さんより若い経営者だった。『賢女の会』の『賢女』の条件も、私より若い女性としよう。

条件の二つ、その名の通り、賢い女性だ。
IQ(Intelligeoce Quotient、知能指数)ではなく、EQ(Emotional Intelligent Quotient、心の知能指数)が高い女性をその条件としたい。

いわゆる、論語でいうところの『恕の心を持った女性』だ。
相手の心を感じ取る能力、自分の心をうまくコントロールし利用する能力だ。
そのため、無用な衝突を生むことなく人間関係を円滑に育むことができ、恕の心を持つことによって、ビジネスもスムーズに熟すことができる。 

相手を思い遣ることができる人生によって、ビジネスは相手と「Win Winの関係」が構築できる。それは、タモリの「友だちの友だちは皆友だち」よろしく、心の友だちは無限に拡がっていく。そんな『恕の心を持った女性』だ。

また、「災い転じて福となす」の諺通り、自分に降りかかる全てのことを前向きに真正面から受け止め、果敢に人生にチャレンジしていく女性だ。

アランは「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」と言っているが、「人生は素晴らしい」「生きていることは素晴らしい」と全てを楽観的に見ることができる意志堅固な女性だ。

そして、その女性は主催者の私が独断と偏見を持って選ぶことにする。

OUEN Companyを中心とする集まりについては、生まれ変わったことを機に、望年会から新年会にする予定だ。勿論、賢女の会のメンバーは是非ともOUEN新年会にご参加いただきたい。

ちなみに、OUEN新年会は1月26日(木)18時30分から、明治神宮球場隣の日本青年館にて開催する予定だ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

後顧の憂いなく、OUEN Japanのミッションを果たしたい⑵。

2週間ぶりに合氣道の講習に出かけた。いつもより参加者は少なく10人あまりだった。勿論、年長者は私であり、私が一番の初心者だ。練習は相対でするので、私のお相手は有段者であり、皆さん私に合わせて根気よく指導していただいている。
合氣道の精神は、相手のことを認め活かし、相手の氣の流れのままに、その氣に沿って、相手が自ら倒れてくれるという、謂わば論語の『恕の心』なのだ。自分の力は相手の氣の流れのままに勢いを付けることで使われる。有段者はそのことを良く身につけている。

9月には級から段までの昇段の試験があるらしく、皆さんはそれぞれの試験に向かって練習を繰り返している。
私が入った目的はそのような資格を取ることではなく、合氣道の心を身に付けることにある。その点では私はお邪魔虫なのかもしれない。

2週間ぶりの2時間の稽古で、今朝起きたら身体の節々が痛い。皆さんに合わせてちょっと無理をしたせいだ。「無理はよそうぜ。体に悪い」のだが、この歳でもちょっとした負荷は成長には必要だと思う。

合氣道に限らず、最近、歳を意識することが多くなってきた。私には全くご縁がない相続のことでも、家族のこととなるとそういうわけにはいかない。 人の死があって相続があるのだから、相続を考えることは自ずと「歳と死」を意識することになる。

私の若い時には相続人の立場でいろいろ考えた。また、銀行時代はビジネスとして相続問題に関わったこともある。
今は被相続人の立場として考えることになる。「そんな歳になったのか」と感慨深い。

ほとんどの人はその中に人生の無常を痛感するのだろうが、私の場合はそうではない。生前葬&出陣式の時と同じく、これからは、これを起点として、人生の登り坂ならぬ上り坂のスタートと前向きに考えるのだ。

昨日のblogでも書いたように、私たち夫婦の相続を考えることは、後顧の憂いなく後半戦の人生を送るためなのだと思う。

三菱信託銀行のCMで、中井貴一・真田広之・柳沢慎吾が出演している「まとめて相続『信託銀行』篇」や、さがみ典礼のCM、加藤茶の「加藤さんの終活」篇を印象深く見る。前者は相続人の立場、後者は被相続人の立場で、後半戦の人生を考えさせられるのだ。

後顧の憂いなく私のミッションを果たすことが理想であり、それが幸せな人生だと思う。
エンディングノートに書き留めておくのは事務的なことだけでいい。肝心要の具体的な相続については、やはり相続人が皆んなでよく相談して決めるのがベストだ。相続が争族にならないためにも。

おかげさまで、3人の息子たちは仲が良く、私たち夫婦が身罷った後のことも相談して考えているようだ。ありがたいことだ。
それは「後顧の憂いなく、私のミッションを果たす」ためのベースになる。子どもたちが私たち夫婦のために考えてくれる。それは私がビジネス&ボランティアに集中することができるということだ。

「いい息子たちを持って私たちは幸せな夫婦だ」と改めて思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

後顧の憂いなく、OUEN Japanのミッションを果たしたい。

私の自宅は青山にある。しかし、私名義は上物の半分だけで土地は妻のものだ。そんなことで、私は財産らしい財産は持ち合わせていない。ただ、温かい人脈だけが私の財産である。そして、温かい人脈は決して相続できるものではなく、私個人、私一代のものだ。 そんなことで、私には相続は全く縁のないものだと思っていたが、私の3人の子どもたちはそうではない。

私が21年勤めた安田信託銀行(現みずほ信託銀行)から、相続に関わり自宅の土地の有効活用の提案があった。
私には直接関係はないが、私がOUEN Japanを後顧の憂いなく続けていくためには子どもたちの相続問題をクリアにしておくことが必要ではないかと思うに至った。

そんなことで、昨日、そのたたき台をつくるために、私たち夫婦に加え、子どもたちの代表として三男にも加わってもらって、関係者を交えて打ち合わせを行なった。いや、子どもたちは脇役ではなく主役なのだ。相続の当事者は私たち夫婦ではなく、相続する子どもたちなのだから。

三男は私が考えていた以上にしっかりと人生を考えている。嬉しい誤算だった。そして、三男は「この土日に兄弟3人でWebミーティングの時間をつくるという。子どもたち3人が仲がいいのがまた嬉しい。 もう主役交代の時期だ。相続とはそういうことだ。代が代わることなのだ。これからは子どもたちに任せよう。そして私はサポート役に徹しようと思う。 それがOUEN Japanのミッションを心置きなく追求するには必須なことであり、私はこれでOUEN Japanに全力投球できるようになる。

オーナー経営者は、いつか来るバトンタッチは後継者を決めて引き継ぐことだけでなく、引き継ぐ後継者が本業に邁進できるように相続対策を徹底して行なうことだ。社員が安心して働くためにも、このことは必要不可欠なことだ。

あと20年は生きる、あと半世紀の人生と思い、自分に言い聞かせていても何が起きるか、これは天のみぞ知るところだ。
半世紀生きることと、明日にでも死ぬことを心で両立させること、両極端を併せ持つことが経営者(人は全て、己の人生の経営者である)には不可欠な要諦なのだと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

生涯に亙り、『夢を追い続ける夢夫』でありたい。

8月30日、稲盛和夫さんが24日にご逝去されたとの報道がされて二日が経つ。
一昨日、昨日と、私へのメールやLINEは稲盛さんを悼むものが二桁に達した。
送っていただいた方々は、私が稲盛さんを私淑しており、私の人生が稲盛さんとの出会いで180度変わり、そのおかげで今の私がいることをご存知な方々だからなのだろう。

この二日間、私は、稲盛さんのことが頭から離れない。
昨日、福知山から帰る車中でもずっと稲盛さんのことを考えていた。
今朝は3時に起きて事務所に出かけ、稲盛さんのご本(『生き方』と『心。』と『考え方』)を書棚から取り出した。これから、じっくり読み返そうと思う。

それにしても今年(令和4年、2022年)は、私にとって特別な年になった。
古稀になって生前葬&出陣式を執り行い、後半人生を如何に生きるべきかを皆さんの前で宣言させていただいた。そして、稲盛和夫さんのご逝去が、改めて「目指す人格は稲盛和夫さん」と思うに至る出来事になった。

昨朝、盛和塾京都の代表世話人だった恵巧建設の堀社長を福知山の事務所に訪ねた。
話したことは、「稲盛和夫さんから教えられた人生の生き方を、それぞれのこれからの人生で具現化していこう」ということだった。

ちょうど堀社長は、Be CON.chainを立ち上げ、理事長に就任された。私にこのボランタリーチェーンを手伝ってほしいとのことだ。

このボランタリーチェーンの底辺には稲盛イズムが流れている。「同じ想いの同志が集まり、稲盛イズムを形にしていこう」ということだ。 稲盛イズムの帆を高く掲げて、私の持てる力とキャラクターをフルに活かして、社会のために貢献しようと思う。

私は、堀社長に「OUEN塾は九州北部と北陸で展開している。私の本拠は東京であり、東京と九州北部(福岡・佐賀・長崎)と北陸(石川・富山・福井)からサポートのスタートができると思う。Be CONの体制が整い、私の出番が来たところで声かけしてほしい。全力でサポートしようと思う」と話した。 堀社長は「3ヶ月の時間をいただきたい」とのこと。了解である。ベースはつくってある。

私の後半生のミッションは地域創生だ。それも高い志があるビジネス&ボランティアが想いを果たすためのベースをつくることだ。
私がつくった地域創生の長いパイプの中にどんな液体を流すかだ。それは高い志の液体でなければならない。

稲盛和夫塾長=
思い続けることで夢を叶えた人

私もそのような夢を追い続ける夢夫でありたい。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

大才は袖触れ合う縁をも生かす

9時発の新幹線のぞみの指定席を取っていたが、何事もせっかちの私は8時20分前に東京駅に到着した。京都で時間を潰せばいいと思い、8時20分過ぎののぞみ自由席に飛び乗る。京都駅で40分待って、山陰本線城崎行きのきのさき5号で12時40分に福知山駅に到着した。

福知山市の「もみじが丘病院」、宮津市の「成相山青嵐荘」を訪問。夜は福知山の鴨鍋を堪能した。
福知山は今回で2度目だ。懇親の席には、前回の福知山出張のおり知り合った森北千鶴さんもいらした。
彼女は45歳。ちょうど私が銀行を中途退職して、日本海の荒海に乗り出した歳になる。まだ45歳。若い。
人生80年であれば半分は過ぎているが、今は人生100年時代だ。まだ半分以上の人生がある。私のように120歳が天命と思えばあと75年だ。

人生は長いようで短い。
明日何があってこの世とおさらばするやも知れず。人生は何が起きるか分からない。100%絶対こうなるということはないのだ。しかし、完璧を目指したい。そんな人生を送りたい。 完璧を目指すが、完璧はあるはずもなし。さりとて完璧を目指す心と闘う心は持って生きたい。それが人生を極めて楽しく豊かにする。 両極端を併せ持つ心豊かなバランスある人生を送りたいと思う。

彼女とは親子というほどの歳の差がある。彼女のお父上は私の2歳上の72歳だとか。そんな娘のような女性と人生を語らう。ザックバランに人生の酸いも甘いも語り合う。 45歳はちょうど人生を振り返る歳なんだろう。私もそうだった。そして四半世紀して、今の私がある。

彼女も私同様、七転八倒、紆余曲折、七転び八転びの波乱万丈の人生が待っているやも知れず。しかし、それも結構楽しいものだ。
苦労を苦労と思わず、自らを成長させる磨き砂と思えば人生は楽しくなるのだ。一歩一歩の成長を楽しむことができる。人生は考えようだ。考えようによって楽しくも苦しくも悲しくもなる。 同じ生きるなら楽しい人生でないと生きる意味がないではないか。

森北さんは、9月10日の土曜日に東京に来るという。
この日は明治神宮球場で東京六大学野球リーグ戦東大対立教第一回戦があり、OB・OG集合日だった。しかしコロナで10月に繰延になった。ちょうど予定は入っていない。ウェルカム森北さんだ。

昼はつい先日行った青山グランドホテルのKAWAKAMI-AN(川上庵)という青山らしい洒落たお蕎麦屋さんで昼から一杯と行こうか。

柳生家の家訓
小才は縁に出会って縁に気づかず
中才は縁に気づいて縁を生かさず
大才は袖触れ合う縁をも生かす

せっかく出会ったご縁ではないか。それに出会っても気づかなかったり、気づいても生かさなかったりしたら何と勿体ないことではないか。 袖触れ合う縁をも生かす大才になりたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

稲盛和夫さんのご冥福をお祈りします。

令和4年8月24日、稲盛和夫さんが逝去された。享年90歳。天寿を全うされたと言えよう。「巨星墜つ」の心境だ。
来るべきものが来た。人間の命は不滅ではあり得ない。いつかこの世を旅立つ時が来ることはやむを得ないとは言え、私にとってその衝撃は「人生の師を失った」以上のものだ。

京セラおよびKDDIの創業者、盛和塾塾長、日本航空・奇跡の再生の立役者、京都賞の創設者等、彼の偉大な実績・功績は誰もが知るところだ。 そして、私にとって稲盛さんは何にも代えがたい「人生最高のメンター」であった。

稲盛さんにお会いしたのは、私が40歳前半の頃、安田信託銀行札幌支店から本店営業部に転勤した頃だ。
金融自由化の波が押し寄せ、金融機関は如何にして生き残るかと合従連衡が始まったばかりの時だ。私に任されたミッションは、事業法人の新規開拓だった。ベンチャービジネスをはじめとして、これからの成長企業のメインバンクにならないと安田信託銀行は淘汰されてしまうという強い問題意識があったからだ。

私は課長として課員の先頭に立ち、多くの中堅・小企業を日参した。その中に、一人ならず盛和塾の塾生がいらした。彼らと親しくなり酒席を共にするようになって、彼らが私に言うことには、「小林さんはお堅い銀行には向いていないのではないか。私たちは稲盛和夫さんが塾長である『盛和塾』に入っている。この塾は中小企業の経営者や二代目が入っていて、勤め人は入ることはできないが『盛和塾』という機関紙は購読できる。是非、購読を申し込んで読んでみることをお勧めする」と。
また、盛和塾大江戸(東京にあった2つの盛和塾の支部の一つ)に稲盛さんがいらっしゃる時にオブザーバーで参加してみたらとお誘いがあった。それが稲盛和夫さんにお会いした最初だった。

稲盛さんの謦咳に接し、自己紹介をしてお話しをさせていただく機会があった。安田信託銀行の当時の会長は鹿児島出身の高山富士雄さんだった。稲盛さんは同じ鹿児島出身の高山さんとは面識があったようで、「高山さんの安田信託銀行にお勤めですか」と。そして、会話が進むと「小林君は銀行で何をしたいのですか。社長になることですか。何をしたいと思って銀行に入ったのですか」「どんな人生を送りたいと思っていますか」「生きるとはどういうことだと思いますか」と立て続けに私が考えてもいないことをご質問されたのだ。それは私にとって頭を殴られたような衝撃だったことを忘れない。 私はサラリーマンの出世の階段を一歩一歩駆け上がり、その頂点に向かって日々邁進していこうと思っていた。
「それが君の人生なのか。そんなちっぽけなものが小林君の人生なのか」と言われたような気がした。
今、人生は100年時代と言われる。まだまだ人生80年と言われていた時だ。人生の半ばを過ぎ、ふと立ち止まろうとしたその時に言われた稲盛さんの言葉だった。

そんなことがあって、その後、銀行で半沢直樹のようなことがあって、私は安田信託銀行を44歳6ヶ月で中途退職した。
それからの人生は「七転び八起き」ならぬ「七転び八転び」、紆余曲折、七転八倒。甘ちゃんの私には試練の連続の四半世紀だったが、絶えず稲盛さんが私の水先案内人だった。盛和塾に入塾し、稲盛さんのご本を熟読し、箴言を反芻する日々だった。 「トマトはトマト、決してカボチャにはなれない」ことは承知しつつも、生き方・考え方は稲盛さんから学ぼうと思って生きてきた。そして今の自分がある。

東大応援部の3Sスピリッツ(サービス、サクリファイス、スタディ)と稲盛哲学を私なりにアレンジしたOUEN哲学は私の生きる指針になっている。そして、今、生前葬を経て出陣式で生まれ変わり、第二の人生を送っている。

45歳からの四半世紀の後半人生は稲盛和夫さんがなかりせば、今の私はない。

80歳まであと10年
稲盛さんの歳まであと20年
人生100歳まであと30年
目指す120歳の天寿まであと50年

長くて短い人生だ。
あと50年の人生と思うが、明日おさらばとなるやも知れず。
この両極端の想いを同居させて、堂々たる後半生を生きていきたいと思う。

ここに、稲盛和夫さんのご冥福をお祈りします。

合掌

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)