リーダーに必須なものは『利他の心』

昨日(9.17)は、NPO 日露経済文化交流会の第2回セミナーを赤坂区民センター(コミュニティぷらざ)で開催した。

理事長の山辺美嗣さんは金沢大学附属高校の同期であり、東京大学の同窓生でもある。
そんなことで、山辺さんに「是非、副理事長に」と請われたことで副理事長を仰せつかっている。

昨今のロシアによるウクライナ侵略で日本も経済制裁を行なっており、現在はロシアとの関係は最悪な状況だ。
また、私が幼少の頃、頻繁に祖父から日露戦争のことを聞かされていた。加えて、ロシアは第二次世界大戦の日ソ中立条約を一方的に破棄し、未だに北方領土を占拠し続けている。 私にとってロシアは人非人の人たちの国であると、ロシアのイメージは悪印象のみしかない。

山辺さんから副理事長就任の要請があった時、どうすべきか迷ったが、「あの政府は問題でも、その国民は私と同じ血が通った人間なのだ」との思いでお引き受けした。もっとロシアのことを知らなければならないと思ったのだ。

セミナーは2部構成で、セミナー1は東北大学名誉教授(元副学長)の木島明博さんにお願いした。木島さんは私と同期の東北大学応援団長だ。海洋動物の生態研究の一環で、ロシア出張は22回に及んでいる。 そんなことで、木島さんが感じているロシアの人たちの人間性を中心にお話しいただいた。

セミナー2ではシベリア抑留遺族である酒井義雄さんと山辺理事長から、それぞれのお父上の抑留時代の話をお聞きした。

ロシアで亡くなった人、運良くロシアから帰国できた人。シベリア鉄道建設のため、牛馬のように日本人をこき使った。
その話を聞くと、この非人道的なロシアにどうして好印象を持つことができるだろうか。

ここでまた、ガンジーの箴言が頭を持ち上げてくる。
「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは強さの証明だ」
では、私は弱い人間なのか。

早朝3時前に目覚め、この前視聴したばかりの関西TV「ザ・リーダー」稲盛和夫さんのYouTubeを再度視聴した。

人の上に立つリーダーの資質とは、一言で言ったら、それは何か?

稲盛さんはそれは「利他の心」だと仰る。思い遣りの心、恕の心だ。自分の利を追求するとともに他人の利に思いを致すことだと。これはビジネスの経営者のみに言えることではなく、広く、人生(=ビジネス)にも当てはまることだ。

政治の世界においても、国内・国際を問わず、特に国を預かるリーダーは、相手国を思い遣る「利他の心」が必須だと思う。

「自分自分」と自分が一番大事と思っている。しかし、本当に自分が一番大事ならば相手のことに思いを致すことが必須だ。
これは理想で、現実はそうではないと現実主義者は言うのだろうがそうではないだろう。そんな哲人政治家が現れてほしいものだ。

私は私の器量の中で最大限、「利他の心」「思い遣りの心」「恕の心」を持って、生涯に亙りビジネス=ボランティアを続けていきたいと思う。

PS.
稲盛さんはインタビューで奥様のことを聞かれて、穏やかなお顔で仰っていた。
「妻は実に思い遣りのある、優しい心根の女性です。それは素晴らしい人です。足を向けては眠れません」と、一度ならず仰っておられたのが印象的だった。 稲盛和夫さんは奥様あっての稲盛和夫さんなのだ。

私たち夫婦もそんな夫婦でありたいものだと強く思った。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

究極の利己は、人のために生きるということだ。

昨日、東京美装興業の中西知子さんのお取り計らいで、グラシアス齋藤さんを同行して西新宿の同社本社をお訪ねして、営業部の10数人の皆さんに対し「エコモ」のプレゼンをさせていただいた。 同社が管理されている商業施設やオフィスビル等をご紹介いただくことがプレゼンの目的だ。

同社は、毎月1回営業会議を開催されており、その中で30分の時間をいただいたのだ。2時間の営業会議の30分だ。それも中西さんの即座のご判断でその時間をいただいた。 まさに彼女は才色兼備、ソフトな物腰の中にリーダーとしての素質を垣間見た。素晴らしいリーダーの一言に尽きる。

同社との付き合いは、長崎IRアプローチの時、協力会社として加わっていただいたことだった。
このプロジェクトが頓挫したことで、ご縁がなくなってしまっても致し方ないのだが、おっとどっこい、「転んでもただでは起きない」というネバーネバーネバーギブアップの精神で、この「袖振り合うご縁を生かす」柳生家の家訓よろしく、私の人脈を活用して『太いご縁』にしたいと思っている(ちなみに、私からのアプローチで中西さんを『重陽の会』にお誘いし、彼女から快諾のご返事をいただいた。ありがたいことだ)。

グラシアス齋藤さんが簡潔にエコモのプレゼンをしたあと、半数以上の営業パーソンの方々から質問をいただいた。
皆さんから沢山のご質問をいただいたのは、管理されている施設が、「昨今の電気料金がいつピークになるか全く見通せない現状に本当に困っている」ことを、営業の皆さんが肌身で感じていらっしゃるからなのだろう。「エコモ」がその解決の一助になればと思う。

プレゼンまで少し時間があったので、中西さんと雑談をした。私は、その時の中西さんが仰ったことが強く心に残った。それは、
「お取引先のお役に立ち、喜んでいただけることが、会社が目指すところであり、それが太いパイプになれば、それはありがたいことだ」 とさりげなく仰ったことだ。
きれいごとではない彼女の本心からの言葉だったと思う。私はそのように感じた。

どの会社にも社訓はあるだろうが、それが心底、血肉になっているかどうかが成長する会社かどうかのリトマス紙だと私は思う。

社訓がお題目になっている会社は星の数ほどある。経営者や経営幹部が確固とした哲学を持っていて初めて、その社訓は社員の血肉になる。それが会社を成長させる。

そんなことを思って床に就いたせいで、今朝の3時に目覚めた時、枕元のスマホで稲盛和夫さんのYouTubeを見たくなった。
毎日放送で5年前に放映された「ザ・リーダー」のYouTubeは何度も視ているが、中西さんの言葉が頭に残っているので、これはまた新鮮な感覚だった。

稲盛さんの哲学を貫いているものは『利他』の徹底だ。どうしても頭を持ち上げてくる利己を抑え、他を利することがリーダーの条件だと仰る。口先では何でも言える。それを如何に行動に移すことができるかだ。

私はどうしても利己を克服することができないで70年間生きてきたような気がする。盛和塾で利他を説かれても利己から離れることができない自分がいる。

そして、私なりに突き詰めて考えた。
利己から離れることができないのなら致し方ない。それでは、その究極の利己とはどんなものなのだろう。どうしたら私は最高にいい気持ちになることができるのだろうかと。

そして、私独自のOUEN哲学にたどり着いたのだ。
私が一番幸せだと思う時は、それは多くの人たちから「小林さん、ありがとう。小林さんのおかげで幸せな人生を送ることができています」と言ってもらうことなのだ。 「あぁ、これは『利他』と同じではないか。究極の利己は利他に通じているのだ」と思うに至ったのだ。稲盛さんが仰っている『利他』は、私が思う『究極の利己』なんだと。

1ヶ月ほど前もゼオライトの嶋村社長とのお話しで、昨日の中西さんの時と同じような感覚を持った。

生まれ変わって、特にそのように思うのだろうか、感性が敏感になったのだろうか。
私の周りにはそのような『陽のエネルギー』を持った人たち(重陽)が沢山集まってきてくださる。その人たちに愛を拡める(博愛)こと、私の戒名である”重陽博愛”を全うすることが私の第2の生のミッションなのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

「賢女の会」を改めて『重陽の会』にする。

一昨日は月火水と2泊3日の北陸(富山・金沢)の出張を終えて自宅の床に就いたのだが、齢70になるせいなのだろうか、やはり身体に疲れが残っている。
仕事は第一よりも第二の生の方が多忙を極めているのだから、そのアンバランスを克服するためには素直に己自身を知ることによって、一層心身の健康管理を怠らないことが大切だ。 何事も自然体で生きること、無理はしないことが大切なんだと思う。

昨日の午前は恵比寿のサッポロビール訪問した。
同グループの「神州一味噌」の牧野社長他、総勢5名の方々との打ち合わせを行なった。サッポロビールグループは安田信託銀行時代から親しくお付き合いさせていただいている会社である。 銀行の内定のおりは同じ芙蓉グループで親しいサッポロビール恵比寿工場(現在の恵比寿ガーデンプレイス)を訪問し、内定者全員で出来立てのビールをいただいた。 その時、私が応援のパフォーマンスをして同期にしっかりと「東大応援部卒の小林」を印象づけた。
また、私が渋谷支店に配属され、個人営業で恵比寿地区を担当した時は、恵比寿工場の隣にあったサッポロビール社宅にお住みの奥さまたちには大変お世話になった。 遡れば、私の能登の実家はお酒の小売もしていて、その時のメインのビールはサッポロビールだったこともサッポロビールグループに親しみを強く感じている理由だ。 そして、同社にはOUEN Japanのメインスポンサーになっていただいている。
こんなことあんなこと、沢山のご縁でサッポロビールさんには大変お世話になっている。

午後は事務所に東大の後輩の竹本さんがいらしてビジネスの打ち合わせし、16時半には、私が五十路になって路頭に迷っていた時、生命保険エージェントとして何とか採用していただいた大恩人であるMYパートナーズ顧問の永田さんも合流して、表参道の京おばんざいのお店で会食をご一緒した。

いろいろな話の中で、私が11月に「賢女の会」なるものを立ち上げることも話題になった。

忘年会は、皆さん、ここ2年はコロナ禍でめっきり控えられている。今年は活動制限のない年末になるだろうと、12月はどこのホテルも予約でいっぱいだ。それが11月にまで繰り上がっているとかで、賢女の会の日程を今決めるのは早過ぎることはないということで、私の誕生日の11月8日(火)に西櫻亭(伊勢丹新宿)で行なうことを、私独断で決めた。

そんなことで、11月8日(火)の私の誕生日に、私の誕生会を兼ねて「賢女の会」を開催するという”ど厚かましい”ことになった。
会費は、当然ながら、私たち夫婦も支払う。賢女の皆さんには会費のほかにいくばくかの負担をしていただいて私に誕生日プレゼントをという、これも”ど厚かましい”極みを私が勝手に決めた。 妻は、昔、私の”ど厚かましさ”をなんだかんだ言っていたが、もうどうしようとないと思ってか何も言わない。淡々としたものだ。

「賢女の会」について、お二人と話していて考えた。皆さん、賢女であることは間違いないが、賢女を賢女ということ、自らが賢女であることを公言することは、それは賢女ではない。

また、愚者の典型である私が呼びかけて開催する会を「賢女の会」というのはどう考えても不釣り合いだ。
ビジネスマッチング目的の賢人会なるものがあり私も呼ばれて出かけたことがあるが、どう考えても私を含めて賢人ではない人たちが一人ならずいらっしゃる。 政府賢人会議なる代物は知識人がメンバーであり、そのメンバーはIQが基準になっているのだろう。

愚者である私が呼びかける会であるから、それはIQ勝負ではおかしい。やはり、EQの高さをベースにするべきだし、そのような趣旨で開催するものだ。 ということで、「賢女の会」改め「重陽の会」に替えようと思う。

「重陽」は私の戒名でもある。「重陽」は”前向きな陽が重なる”ということで、善良な陽のエネルギーが満ち溢れたEQが高い女性の集まりということだ。
そのような善良で前向きに生きたいと思う女性たちの集まりである。言わば人生を未来進行形で生きる女性たち、OUEN Japan のその名の通り、日本を応援する、日本を元気にする、前向きに生きる女性の集まりだ。

まずは10名から、それが”友だちの友だちは皆友だち”の拡がりでどんどん大きくなって、日本を変えていくことになる。その意味で、21世紀は「女性の時代」なのだ。

そんな想いで、11月8日、私の誕生日に第1回『重陽の会』を開催しよう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

人間の器量の大きさ

インド独立の父であるガンジーは言っている。
弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ。

そんな強い人間は果たしているのだろうか。善良な人間の心をズタズタに踏み倒し、組織のトップとしてその責任を放棄し、その後始末を全て部下に投げて逃げ回る。

「盗人にも三分の理」と言うが、そんなリーダーは盗人以下の人非人ではないか。
部下のなしたどんなことでも自らの責任として背負う潔さを持った人徳がリーダーには求められるだろうに。

そんなリーダーを持つに至った部下やそんなリーダーと付き合うことになったビジネスの相手は、自分の人を見る目が至らなかったと言えるだろうか。
稲盛さんは、そのリーダーの下に働いた部下や、付き合ったビジネスパートナーを「それは人を見る目がなかったからだ。自らの至らなさを反省せよ」と仰るのだろうか。私にはよく分からない。

ガンジーのような強さは、私のような凡人はまだまだ持つことができない。私は、その境地の足元にも一生かかっても辿り着くことはできないように思う。せいぜい、そのような人間と付き合うことをした自分の至らなさを反省し、淡々と絶交を宣言することしかできない。ガンジーのように「許す」ことなど決してできはしない。

今まで何人、そんな人非人と付き合ってきただろうか。私の人の好さに呆れ果てる。「騙すより騙されたほうがマシだ」と自らを慰めることで鬱憤を晴らすことしか私はできない。

今、私はその人非人と淡々と絶交することを宣言する。決してこれからは付き合うことをしない。
淡々と生涯を掛けて、被った被害の見合いを請求しつづけるのみだ。決して許すことはしない。債権を放棄することはしない。これが今の私ができることだ。

それにしてもガンジーは偉人だと思う。稲盛和夫さんはこんなとき何と仰るだろうか。
つくづく、人間の奥の深さ、器量の大きさに思いを致し、自分の小粒な器量を情けなく思う。

私は、まだまだ菩薩の域には程遠い。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

能登の地域創生=能登SDGs農業PARK

私の第二の生のミッションは地域創生である。OUEN塾は学生・留学生の比率が高い福岡県と石川県で開催していたが、このOUEN塾をベースに、九州北部(福岡・佐賀・長崎)と北陸(石川・富山)の地域創生に貢献することから始めたいと思う。

特に私のふるさとである能登地方、その中でも中能登地域に楔を打ちたいと思う。
中能登の中心は七尾市だ。加賀屋を代表とする温泉地である和倉や七尾湾に浮かぶ能登島も平成の市町村合併で七尾市に属することになった。

能登は輪島市や珠洲市がある奥能登と七尾市が中心の中能登に分かれる。一点集中。やはり私の想いの中ではまずは、私のふるさとである中能登に光を当てたいと思う。それが中能登に育った私の人情でもある。

OUEN塾は、学生たちがグループに分かれて、開催する4日間で、協賛する地元企業を訪問し企業と交流するイベントである。
事前に企業を研究することはするが、それは机上の勉強であり、血肉が通った交流になっているかと問われればそうではないと言わざるを得ない。それが能登の地域創生になっているかと言えば、おこがましくて地域創生に関わっているとは言えた代物ではない。

私は、コロナ禍の中でどうしたものかとずっとそのことを呻吟していた。やはり、直接的に地域創生に関わらなくては大上段に「地域創生」を掲げたことが恥ずかしいではないか。
そんな時、ある人の紹介でSeed Design Officeの小山(おやま)社長と巡り会ったのだ。

小山さんは、IT企業を経て農業コンサルティング事業で起業したベンチャービジネス経営者である。
それも高収益の農業経営でなければサスティナブルなものにならないこと。第一次産業の第六次産業化が農業が高収益になり、サスティナブルなビジネスが展開できると考えていらっしゃる。そして、これを群馬県太田市でチャレンジし、それは実現化しつつある。https://www.seed-design-office.com/

それを私のふるさとである中能登でもチャレンジし実現しようではないかと二人は意気投合したのだ。

【能登SDGs農業PARK】
「新時代の”高収益型農業”を能登から全国へ」がキャッチフレーズだ。
能登SDGs農業PARKは、バナナ栽培(まずは無農薬バナナの栽培)にとどまらず、2次産業(加工・食品製造)、3次産業(販売・観光)に踏み出すことで、地域への人の呼び込み、雇用創出を目指す活動である。農業PARKをハブとした6次産業化は、自然との共生、地域社会との交流、産業構造の学習、未来を担う子どもたちに「植物の生きる力」の学び等、収益事業でありながら、教育に活用できる事業である。

今までの地域創生には、この型破りの発想がなかった。サラリーマンの発想では何もできはしない。やはり、ベンチャー精神を持ったベンチャービジネス経営者でないと地域創生はできはしないと思う。

そんなことで、二人の地域創生の想いと、小山さんの培ったノウハウ、私の人のネットワークのそれぞれの強みを合わせることだ。
後は、その熱意を能登のイノベーションを解する経営者や地方自治体に熱く語ることによって早期実現化を目指そうと思う。
やはりオーナー経営者がコアになる。保守的ではなにも生まれない。

今日はちょっと能登でジャブを打ってきた。こんなものだろう。これからが私の真骨頂の見せ所だ。高い壁は私の望むところだ。壁が高いほど闘志は燃えたぎる。

再来週も能登に来る。そして、毎月能登に来ることになるだろう。

ふるさとは遠きにありてと思ふもの

能登に住む人たち以上に、私は、能登の地域創生に、私の第二の生をかけようと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

ふるさと石川を思ふ。⑵

昨夜は能登と加賀のお酒で少し酔いが回り過ぎたのか、温泉には入らず、すぐ寝床に就いた。
目覚めたのが3時半。温泉に入るにはちょうどいい時間だ。4時前の風呂場には誰もいない。私だけの時間だとゆったり風呂に浸かっていたら、豈図らんや1人が入ってきた。 「珍しい人もいるものだ」と思ったが、この私がそうなのだからそれは天に唾するようなものだ。私と違って偶々早暁に目覚め温泉に足が向いたのだろう。

私は一般人の常識に拘泥することなく我が道を行くことで、それでいて人さまにご迷惑をおかけしないで、逆に人さまのために生きることをモットーにすることがストレスのない人生と思うようになった。 これは人さまにお薦めすることではないが、こんな生き方が人生を楽しく生きる一つのコツ、そんな生き方もいいじゃないかと思っていただく人もいらっしゃると思う。

人の心を慮る「恕の心」は、決して世間に染まることではない。相手が今どんなことを考えて、こうしたいと思っていることに思い至ることであり、決して俗世に染まることではない。

私は銀行で採用を7年間していたが、学生には「社会に出ても俗世に染まるな。俗世を下に見ることはいけないが、俗世に染まらず孤高の生き方を死守する孤高の人になることだ」とよく彼らと飲みながらよく「生き方」の話題をしたものだ。

私は中学時代に国語の時間に覚えた若山牧水の歌をこよなく愛している。

白鳥(しらとり)は哀しからずや
空の青、海の青にも染まずただよふ

私独自の解釈だ。
多感な中学生だったのだろう。私はこんな白鳥になりたいものだと思った。年齢を重ねても、空の青や海の青にも染まらないで生きていきたいものだと、その孤高な生き方に憧れたものだ。 それで世間的には損をしていることもある。しかし、たとえ世間に受け入れられたとしても、心が俗世に染まってしまったらどこに生きている意味があるだろうか。
私は決して濁世に染まることのない「白いハンカチ」になりたいと思った。そして、その心は未だに残っている。いや、より強く、逞しく、その想いは確信に至るまでに高まっている。

人の心に思いを致しても、それと自らの生き方は我が道を行くことだ。世のため人のために生きることだ。

もうすぐ5時になる。ちょっと一寝入りするか、眠れなくてもベットに横になって心穏やかにうつらうつらする。
今日もいいことがありますように。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

ふるさと石川を思ふ。

2ヶ月半ぶり、2泊3日の北陸出張だ。昨日は北陸新幹線で富山に入り、今日は金沢と七尾を訪ねるので、いつもながらの金沢駅前のドーミーインに宿泊する。
勝手知ったるドーミーイン金沢だ。チェックインを済ませ、14階の温泉に浸かった。大相撲秋場所をテレビ観戦して、夕食は隣の金沢フォーラス6階にある回転寿司の「もりもり寿し」に行く。

ちょうど夕食時ということもあり、20組以上のお客が待っている。
渋谷マークシティ4階の美登利寿司は人気でいつも行列だが、私はそれを横目に見て入ったことはない。
「何でそんなに長く待ってまで寿司を食べるんだろう。そんなに待つならもっと仕事でもしたらいいんだ」
と言葉に出さないが心でいつもそう思うのだが、今日の私はそれと同じことをしている。

久しぶりのふるさと石川であり、「夕食は近場でたっぷりと日本海の魚を食べよう」と思ったからだ。美登利寿司での行列もそんな思いなんだと妙に納得する。

人間はいろんな思いがあって生きている。自分の考えと正反対と思っても、自分もそんな思いはちょっと心の片隅にあるものだ。
「盗人にも三分の理」という諺があるが、理は盗人にもあるのだからそうでない善良な人間皆んな、それなりの理があって生きている。
そのことに思いを致して他人のことを考えるべきだと寿司屋で1時間待ちながらそんなことを考える。

回転寿司と言っても回転している寿司はカッパや干瓢ばかり、それもちらほらで回転寿司は若い女性たちの呼び込みのためだろう。
皆んなタッチパネルで注文している。それは気楽に注文できるので、売上はタッチパネルがない時の倍以上なんだとか。今はコロナ禍でもあり、回転寿司の進んだところは回転しない回転寿司なのだろう。
そんなことで、生物があまり好きでない私も、北陸の貝類やイカタコ、ウニイクラを鱈腹食べた。
いつもは芋焼酎の水割りだが、能登の酒というので麦焼酎や石川県の日本酒を嗜んだ。
ふるさとに来るとなぜかホッとしてしまうのは私だけだろうか。

そして、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの」が頭を掠める。
私は、ふるさと石川に住むことはないが、遠い東京(それでも今は北陸新幹線で2時間半)に住んで石川を想い、偶に帰ってくる。
そしてふるさと石川の地域創生に少しでも尽力することが私のミッションと思う。

小景異情 そのニ (室生犀星)
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

「ラビスタ東京ベイ豊洲」でリフレッシュする。

共立メンテナンス山田桂さんの紹介で東京豊洲にオープンした「ラビスタ東京ベイ豊洲」に宿泊した。ここのところ、妻とは旅行などしたことはない。コロナ禍の前も同じようなものだから、その点では落第亭主である。
いつもお世話になっている中川美和子さんと水谷歩さんをお誘いして、4人で土日の連休を愉しんだ。

自宅と事務所がある外苑前から新橋に出て、ゆりかもめで「市場前駅」に下車する。7月がグランドオープンなので、駅に掲げられている地図にはラビスタの文字はない。駅を出てどちら方面に行ったらいいかグルっと見廻すと、右奥に大きく「LA VISTA」の文字が見えた。市場前駅と直結している。徒歩1分。
https://www.hotespa.net/hotels/la_tokyobay/

土曜日のせいか宿泊客が多く、列に並んでチェックインした。16時過ぎに部屋に入り、早速最上階の14階にある温泉に軽く浸かった。夕食はホテルの向かいにある、同じく同社が経営している「季(とき)の庭」だ。山田さんが予約していただいていた。彼女がシャンパンを差し入れてくださっていて、その心遣いに深く感謝する。

私が彼女の大ファンであるということだけで、全く彼女のお仕事ではないのだが、ほぼ毎週の出張のおりのドーミーインの宿泊予約をお願いしている。
小林ならではの非常識であり、山田さんにはご迷惑な話だが、”ど厚かましくても嫌われない"と自分勝手に思い込んでいる。
山田さん、お許しあれ。

いつも出張の際は、温泉は夕食後と早朝(4〜5時)の2回入っているのだが、今回はリゾート気分であることもあり、2回目は夕食後、3回目は一眠りした2時ごろ、4回目は6時過ぎと、4回も温泉に浸かった。烏の行水は変わらないが、4回とは今回が初めてだ。
出張のおりのドーミーインは半分オフタイム気分だが、今回は100%オフタイムだったからなのだろう。
半年に1回くらいこんなことも気分転換になっていい。こんなふうに、私のオフタイムは時間もお金も安上がりだ(ゆっくりゆったりの悠々自適は、次の世に行ってからでいい)。

ラビスタもドーミーインも温泉と朝食が売りだ。ビジネスホテルの人気ナンバーワンは断トツドーミーインというのは100%首肯できる。
今回は8時から10時半近くまで、2時間半に及んだ愉しい朝食だった。バイキングなんだが、ちょっとやそっとのバイキングではない。行ってみなければ分からない。「兎に角、ドーミーインやラビスタに泊まってみんしゃい」というところだ。

11時前にラビスタを出て三々五々帰宅の途に着いた。一日足らずだったがリフレッシュできたひと時だった。

明日の月曜日から2泊3日で富山・石川(能登・金沢)の出張だ。宿泊先は勿論ドーミーインだ。今回の北陸出張はいくつかの目的があるが、その中でも『能登の地域創生』の仕掛けの提案に注目している。
私の”ふるさと能登”の地域創生は、”ふるさとに錦を飾る”意味でも特別の想いがある。
私の活動の全ては地域創生に行き着くのだが、今回はその本丸の仕掛けづくりである。
楽しく有意義な北陸出張にしたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

『三方よし』を考える。

新幹線「こだま」で新富士を日帰りした。私の東海道新幹線利用は殆ど大阪や京都の関西圏なので、こだまに乗ることは全くない。
昨日は富士市と富士宮市の製紙会社3社を訪ねた。

富士市や富士宮市にはたくさんの大中小の製紙会社がある。かつては100社に及ぶ製紙会社があったらしいが、ペーパーレスの時代になって紙の使用量が減少していることで、同業大手のM&Aや廃業があり、その数は半分くらいに減ってきているとか。

昔は電車に乗ったら、乗客は新聞か雑誌を読んでいた。しかし、今はスマホやタブレットでことを済ます時代になった。トイレットペーパーやペーパータオルはスマホには置き替わることはないから安定していると思うが、家庭用はまだしもテレワークの推進で業務用は苦戦しているらしい。

静岡県は富士山の伏流水が豊富なため、製紙会社が大量に使用する水には困らない。しかし、同じく大量に使う電気については、ウクライナ危機や昨今の円安で電気料金がいつピークか全く見えない現状で死活問題らしい。

そんなことで、私のネットワーク(OUEN Company)で何らかのお手伝いができないかということで、これもOUEN Companyである製紙会社を訪問したものだ。

近江商人に「三方よし」の経営理念がある。売り手と買い手と世間の三方がよくないとビジネスは長続きせず、発展的展開にはならないということだ。

ビジネスは何のためにするか?

その第一は自分が儲けるためだ。なんだかんだ言っても自分あっての相手であり世間である。自分が儲けるために一生懸命に働く。まずは「売り手よし」だ。 それは当たり前のことで、生きている限り、そうでなければ生きていけない。
では、どうすれば一番儲けることができるのか。儲けを長続きすることができるのか。それをどれだけ深く突き詰めているかが問題なのだ。

パンを独り占めにして独りで食べれば相手はひもじい思いをするだろうが、自分のお腹は満腹になる。これがビジネスだと思っている人は結構存在する。 しかし、それはその場限りだ。ひもじい思いをした相手は、絶対独り占めした相手と付き合おうとは思わないだろう。

それではいけないということで、自分と相手がWin Winになることを考える。そうすれば相手はこれからも自分と付き合おうと思うだろう。いい関係になる。

果たしてそれだけでいいのだろうか。その先の世間の人たちを仲間にしてビジネスを拡げていくことがより自分が儲かることになるのではないか。
Win Winから Win Win Winへ、そして Win Win Win Winへと、友だちの輪を拡げていくことだ。そしてその輪を「和のある環」にまで昇華させることだ。それが一番売り手よしであり「自分が儲かること」なのだ。

我利我利亡者は長続きしない。心豊かに永続することはない。

そんなことを思って言っている当の私は、お金にからきしご縁がない。
それは、私が突き詰めて、この「三方よし」をまだまだ実践できていないからだと思う。
松下幸之助さんも稲盛和夫さんも「三方よし」を極めるまでに自らを昇華させることができたからお二人とも『経営の神様』と称されたのだ。

私はまだまだ修業が足りない。
私が自らを極めることができたら、第二の生のミッションは、その時は完璧に果たすことができているだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

重陽の節句(9月9日)にあたって、心を新たにする。

本日は9月9日、重陽の節句(菊の節句)だ。
今までは5節句を意識していなかったが、私の戒名に「重陽」の2文字が入っているので、9月9日の『重陽の節句』は特別に意識してしまう。

5節句
奈良時代に中国から伝わった、奇数が重なる日をめでたいとした考え。江戸時代に幕府が節句を元に公的な祝日とした5つの節句が現代まで残っている。

節句とは、季節の変わり目に無病息災・豊作・子孫繁栄などを願って、供物をしたり邪気祓いを行ったりする行事のこと。

①人日(じんじつ)・・・1月7日
②上巳(じょうし・じょうみ)・・・3月3日、桃の節句
③端午(たんご)・・・5月5日
④七夕(しちせき)・・・7月7日、たなばた
⑤重陽(ちょうよう)・・・9月9日、菊の節句、栗の節句

【重陽の節句】
中国では奇数のことを陽数といい、縁起がよいとされてきた。なかでも最も大きな陽数「9」が重なる9月9日を「重陽の節句」と制定し、無病息災・不老長寿・子孫繁栄を願って、祝いの宴を開いたことが起源だ。

私の戒名は『不動院重陽博愛居士』だ。この戒名は、第二の生の私の本名でもある。

「不動院」
祖父が日露戦争で旅順の二百三高地でロシア軍と戦った時、金沢の第9師団が軍旗を露軍に奪われた。軍旗は天皇陛下そのものであり、西南の役のおりに政府軍が西郷軍に軍旗を奪われ、乃木さんがその責を取って切腹しようとした時に明治天皇に止めていただいたことにも象徴される。

その軍旗を奪い返したのが私の祖父だった。そのこともあり、祖父は上等兵ではあったが金鵄勲章を受章する名誉に浴したのだ。

祖父はこれは日頃から信仰しているお不動さまがお護りいただいたおかげと思って、能登のお不動さま建立の先頭に立って尽力した。そのようなことで、祖父の戒名は恐れ多くも、「不動院」を冠していただき、『不動院積徳永寿居士』と名付けられた。 その『不動院』を私の戒名にも付けていただいたのだ。

「重陽博愛居士」
戒名を付けていただいた瑞華院了聞の福井住職が仰るには、「重陽」とは陽のエネルギーが重なるということで、私の周りには陽のエネルギーを持った人たちがたくさん集まってくる。その人たちは心が清く、美しく、素直で真っ直ぐな心根の人たちばかりだ。そのような心豊かな人間になろうと努めて生きている人たちばかりだ。 その人たちのために、愛を広める(=博愛)のが私の第二の生のミッションなんだと。

福井住職は、そのような人間になるようにとお思いになって、その戒名を付けてくださった。いや、仏様が授けて下さったのだ。

第二の生はあと半世紀。第一の生と合わせて120年の生を生きることになる。健康には一層の留意をして、「生涯に亙り人間を磨く」精進をすることだ。 そうは思ってもいつあの世からお呼びがかかるやも知れず。日々の一瞬一瞬をど真剣に生きることが大切だ。
悔いのない人生と思ってもなかなかそんな生き方はできるものではない。日々反省をすること、至らなかったところは素直に反省して、日々心を改めて生きることだ。

重陽の節句にあたって、心新たに全うな人生を生きることを誓う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)