生前葬と出陣式の意味

生前葬・出陣式まで3週間を切った。私もさることながらプロデュースしていただくankさんや了聞さんにおかれても、画竜点睛を欠くことがないように最後の詰めをされていることと思う。ありがたいことだ。

ご出席いただく方々には、今週半ばを目処に最終のご案内状と出席者リストを発信する予定だ。
出陣式での私のご挨拶文も、もう何度見直しただろう。20回では利かない。起承転結や言葉の選び方以上に、私の第二の生の『人間宣言』のようなものだからだ。

第二の生を如何に生き抜くか。
利己を極めて利他の心に近づく。
利己と利他は隣り合わせだ。
元気に生きることは手段であり、私は天から与えられたミッションを果たすために第二の生を生きるのだ。

やはり、行動は拙速であってはいけない。第二の生は半世紀の人生なのだから「熟慮断行」だ。
第二の生は、同じ「コウドウ」でも、闇雲に行動することから、考えて行動する「考動」でなければならない。
そのためにも、6月4日までのギャップタームでしっかりと第二の生を熟考することだ。

本日は、5月2日に引き続き、日本青年館ホテルで出陣式の打ち合わせをする。
昨日の電話では、ホテル側は「6月4日はゴーですね。140名上限で行きましょう」とのことだった。そんなことで、サポーターを含め、上限150名で開催することになった。

人生とは面白いものだ。

一年で言えば、生前葬は大晦日であり、出陣式は元旦に擬せられるだろう。
大晦日は一年を振り返り、来年はいい年にしたいと誓う締めの日であり、元旦は新たな心でこれからの一年を意義ある一年にしたいと誓う日である。

ただ長生きすれば事足れりというものではない。生きること自体に意味があるのではなく、生きて何を成すかに意味がある。
そのために生きる哲学がある。

勿論、食事や運動にはじまり、医薬品や健康食品等々、身体にいいものは不可欠なのだが、そこになぜそれが不可欠なのか、何のためにそうするのかという、確固たる「生きる哲学」がなければ本当の幸せな人生とは言えないのではないか。

生きるとは?
幸せとは?

生前葬・出陣式は、そんな根源的な人生哲学を考えるイベントにしたいものだ。私だけでなくご出席の方々にとっても。

小林 博重

生き方上手な第二の人生

昨日でほぼ生前葬・出陣式の出席者が固まった。何名か追加はあると思うが、大勢に影響はない。

ということで、昨日から今朝までの1日半かけて、出陣式の出席者リスト(20卓の着席リストを兼ねる)案を作成した。勿論、追加があることも考えてある。 ご出席予定者への最終のご連絡は22日を予定していたが、週の半ばには発信できるだろう。

私は何事も事を早め早めに進めないとストレスが溜まるセッカチなところがある。待ち合わせ時刻には30分も早く行くことはしょっちゅうだ。私をよく分かっている人は間々私に合わせて来ることもある。その点ではご迷惑をおかけしていることもあるが、私は「早くきてほしい」と急かせているわけではないので大目に見ていただこう。

生前葬は45名、出陣式からの人は88名。合わせて133名だが、133名の内、1名は生前葬のみの参加、1名は出陣式の司会をお願いしているので、5月15日現在で卓の着席の方は2人を引いて131名になった。追加があっても上限の140名には至らないだろう。他に、サポーターの人たちが12名いるので、併せて150名は下回ると思われる。予定通りだ。 毎年末にはOUEN望年会を200名程度で開催しているので、手慣れたものだ。

座席表づくりは、ご出席者の全てを存じているのが私だけなので、私しかできないのは致し方ない。この領域がある限り、私の存在価値はある。何事も、自分しかできないものを持っていると生きることにあまり不安はない。自分しかできないことを磨き続ければ、人生を生きることに怖いものなしだと思う。

私が44歳6ヶ月で自己都合で銀行を退職したのだが、それから今日までの26年間は「大企業の看板」なしの人生だった。いや、自らが看板になることを模索して生きてきた人生だった。
生きてきてみると「大企業の看板」が結構重いもので、自分の存在が芥子粒のように小さいものだと気がついた。決してサラリーマンは気楽な稼業ではない。サラリーマンで頑張っている人はストレスが溜まって大変だと、今になってみるとそのことを痛感する。

なぜなら、サラリーマンで一生懸命生きてきた人は、古稀になったら殆どの人が疲れ果て、第二の人生を長い余生として「悠々自適の人生」を送りたいと思うだろう。 私はこれから気合いを入れて頑張ろうと思っている。全く真逆だ。

これからは、もっと自分の個性を発揮できる生き方をしようと思う。そして、身体のメンテナンスを怠ることなく、自分自身をよく知り、明るく前向きに前のめりに生きて、楽しい人生を送りたいと思う。

そのためには、自分の至らなさをカバーするために、人さまのお力を厚かましいほどにお借りすることだ。ど厚かましいくらいがちょうどいい。 そして、人に嫌われないこと。嫌われたら何もできない。そこのところが、「できた人間になる」ということだろう。
できる人間になろうとしないことだ。なぜなら、できる人間とパートナーになればいいのだから。それを「生き方上手」というのだ。

小林 博重

アナログとデジタルの融合とリアルの重要性

昨日は大阪に出向き、スタジオでankの渡辺亮君の指示の下、出陣式のオープニングの撮影を行った。

生前葬・出陣式は毎年末に行なっているOUEN望年会とは明らかに一線を画している。私にとって「一世一代」のイベントと言っても決して大袈裟ではない。

人生120年、ただ元気に生き長らえることを私は良しとしない。70年で学んだ「人生の知恵」と、培ってきた「温かい人脈」をベースにして、私のアナログをアウフヘーベンさせることが、このイベントを開催する主旨なのだ。

「不易流行」=ankとのコラボレーション

精神=心は決して変えることはしない。しかし、その精神=心をより高めるために、広く世に知らしめるために、アナログとデジタルの融合が不可欠なのだ。 「決して変えてはいけない心=不易」とその心を広く世に広めるために「変えなければならないスタイル=流行」に意を持つことだ。

そんなことで、ankに強力なデジタルのサポートをいただくことで、私のミッション達成を目指したいと思う。

18時から、イノベーションソフトとankのビジネスの絆を強めるために、淀屋橋の「和ダイニング恭道」で懇親の席を持った。
今は全て、ネットで情報が入手できる時代であり、デジタルの時代でもある。急激にデジタルの重要性は高まってきていると思う。
しかし、その底辺に人と人との信頼という「温かく熱い血液」が流れていないとビジネスに魂が入ってこない。Webだけではその「温かく熱い血液」が表舞台に出てこないのだ。 そして、リアルでこそ、ハナ肇ではないが「アッと驚くタメゴロー」のアイディアも出てこないのだ。

昨夜の懇親の席では、両社のビジネスのみならず、生前葬・出陣式の意味付けのところまで、新しい展開を発見することができた。

やはり、リアルでないと人生は面白くない。

小林 博重

形から入って心に至る。

「形から入って心に至る」という名言がある。その逆が、水前寺清子の「いっぽんどっこの唄」に歌われる「ボロは着てても心の錦」だろうか。 形から入るのか中身から磨くのか。いずれが早く「できる人間」ができるのだろうか。

「できる人間」になろうと思い、素直に努力することが大切なのであり、その人が、形から入って心を高めることがやりやすいなら素直にそのようにすることだろうし、心を高めることが目的であり、それを思い違いして形だけで満足する人は心がボロの人間だということだろう。

『人間は「幸せを追求する動物」であり、そのためには「心を高める」ことが必須なのだ』ということを肝に叩き込むことだ。
絶えず原点に立ち返り、本質志向をすることが大切だと思う。

古稀を機に人生をリセットする。そして、結果オーライ、頭を丸めて僧形になる。まず、形から入る。これは結構コスパは高いようだ。

この前もちょっとトラブルになったことがあった。
相手が喧嘩腰でメールと電話でクレームを付けてきた。こちらはそんな失礼なことをした覚えはない。こちらもカチンと来た。
いままでなら、こちらは悪くはないと思っているから、「売られた喧嘩は買うのが礼儀」と思って、こちらもすぐに、闘いモードに入ってしまう。 それであれば結局のところ「喧嘩両成敗」にならざるを得ない。いくらこちらが正しくても「手負いの犬」になってしまう。

まだまだ人間ができていないから、一旦心は喧嘩腰になってしまうのは致し方ないが、ここでグッと堪えて、「頭を丸めて僧形になったのだから、喧嘩は良くない。グッと我慢だ。どうしたら分かってくれるだろうか。誤解が解けるだろうか。こちらにも至らないことがなかっただろうか。100%相手様が悪いというわけではないだろう。穏やかに話をすることができないだろうか」と思うことにする。 相手との話し合いの時間までは少し不安な気持ちになるが、これも修行、訓練・訓練と思って、心を落ち着けて話し合いに臨む。
案の定、相手は喧嘩腰に話してくるが、それに上乗りしてはいけないと思って穏やかに話す。そうすると相手も次第に穏やかなトーンになって誤解だったと分かってくれる。こちらも至らないところがあったと詫びる。別れる時には、笑いながら何気ない雑談をするところまで行った。

これも頭を丸めた効用だ。
これが私の「形から入り心に至る」実践第1号だ。

小林 博重

第二の生では、ビジネス成功の要諦を実績で示すことだ。

ビジネスでは未だ鳴かず飛ばずの私だ。だから、あと50年の人生を生きようと思っている。
やはり、松下幸之助さん、本田宗一郎さん、稲盛和夫さんのように、経営においても人間性においても成功者となった方ではないと説得力はない。私が彼らのお話しに心打たれるのは彼らの揺るぎない実績が背景にあるからだ。講釈だけでは人の心は殆ど動かない。

私も第二の生で、私なりの実績を積むことによってこそ、人さまは私がこの世に生きていたことを認めてくれるのだと思う。私はそのような存念を持ってこれからの第二の生を送ろうと思う。

ビジネスに限らず、広く人生の成功の要諦は、近江商人の「三方よし」だろう。それでこそビジネスの成功は「サスティナブル」に長続きする。

私は人と人を繋ぐマッチングを生業としている。今までの70年間で多くの人たちと温かい人間関係を構築してきたと思っている。
しかし、それにも限界がある。その限界を越えて、数珠繋ぎに広げていくためには「自分だけ」という発想ではその広がりはない。時には「損して得とれ」と相手に想定外のメリットを提供することが不可欠なのではないだろうか。

ビジネスの成功は実物を伴うことの他に、加えて心の要素がある。どちらかと言えば、先に心がある。心があるから実物がついてくるものだと思う。

そのことは昔から言い尽くされているのだが、皆んなそれはそうだと思うのだが、目先の利益が散らつくとそのことを忘れてしまうものらしい。 しかし、稲盛さんはそれをビジネスの世界で実践されている。
部下の人たちに、「それはあまりにも人が好すぎます」とあの経営のカリスマが言われても彼はそれを実行される。
そして、相手がそのことに感動して、それからのビジネスで、こちらの期待に応えてくれるようになる。
それは「損して得とれ」ということだろう。損したようで、相手の心は「この人は徳のある人だ。信頼できる人だ。この人のために尽くそう」と思うものだ。徳が得になる。「徳=得」ということだ。 考えれば当たり前のことだが、殆どの人は目先の欲に心が曇って、自分の利しか目に入らないのだ。

昨日はそんなことが現実にあった。私と同席していたある会社の役員が、私に「ビジネスの要諦を教えていただきました」と。ビジネスの成功には程遠いこの私にだ。

これからの第二の生は有言実行で行こう。
言ったことを実行する。敢えて言って、自分に心地よくプレッシャーを与えることで実績を積み重ねることだ。
そうすれば、人さまは少しずつ私のことを今よりも信頼してくださるようになるだろう。

小林 博重

鬼籍に入られた先輩たち

東京大学応援部は昭和21年の東京六大学野球リーグ戦において東大が慶應と首位を争い、0対1で惜敗したことが切掛けで創設された。

その翌年、当時の南原繁総長が、応援席でTIU(東京帝国大学)の文字が書かれた自作の旗を振って応援した学生たちの代表たちを総長室に呼んで、「大学の復興はスポーツの振興による。応援部が東京大学を復興させよ」との檄を飛ばされた。そうして、東京大学応援部は創設されたのだ。

初代主将は、昭和23年卒のそごうの副社長であった中澤幸夫さんだ。私が20代半ばの安田信託銀行神戸支店勤務のおり、大阪で何度かお目にかかり、往時のお話しをじっくりお聴きしたことを鮮明に覚えている。彼が鬼籍に入られたのはもう20年前のことだろうか。

昨日、鉄声会の運営メンバーのメールで、昭和28年卒の財前文彦さんが5月1日に亡くなられたと奥様から連絡があったことを知った。95歳の天寿を全うされたのだ。 奥様は、島田幹事長に「応援部時代の懐かしい思い出を何度も聞かせてもらいました。本当にお世話になりました」とお話しになったそうだ。 応援部の創設メンバーの大先輩たちでご存命の方々は今はもう半数にも満たない。

この前の総会においても昭和45年卒の成田匡さんが亡くなられたことで皆んなで黙祷をした。成田さんは私より5年先輩だから享年75〜76歳か。

人生100年と言っても、私はそれまであと30年だ。財前さんの95歳は長命と思うがそれでも私はその歳まであと25年。成田さんの歳まではあと5〜6年だ。人生は長いようで短い。済んでしまえばあっという間、これからの行く末もあっという間だろう。 こんな私が120歳まで、あと半世紀の人生と言っている。その両極端がまた、「人生」なのだろう。

これからの一日一日、想いはあっても私に与えられた時間はあまりないと思って生きていくことが大切だ。
生前葬・出陣式は私に改めて人生を考えさせてくれる。
残りの人生はどれだけか知るよしもないが、明るく、楽しく、前のめりの人生を生きていこうと思う。

小林 博重

応援の心

大学応援団を卒団した人間の心の中には多かれ少なかれ「応援の心」がある。
「応援の心」を持った人間は、「人を応援することで、それを我が喜びとする」という、富士山の一合目に差し掛かっている「利他の一年生」というところだ。

赤門鉄声会の小池千佳子会長は令和4年度の活動方針に、例年通り3つの活動を掲げている。
⑴東京大学応援部員の応援活動のサポート
⑵鉄声会員相互の親睦活動
⑶社会貢献活動
この3つを行なうことが鉄声会員としての喜びだと言う。
これは、昭和31年卒部の中島清成先輩がおつくりになった東大応援部の3S-spiritsの具現化である。

昨日の鉄声会総会での小池会長のご挨拶にも、「大学4年間の応援部活動をしてきた鉄声会員の心には、『人のために尽くす』という精神が多かれ少なかれある。それを鉄声会がリードして何かできないか模索しているのだと。 ⑴と⑵の活動の延長が⑶なのだ。

東大応援部の3S-spiritsとは、
⑴Service
⑵Sacrifice
⑶Study
の3Sだ。

私は、私の人生の生き方として、
⑴を社会貢献、⑵を活私奉公、⑶を人生修養と意訳している。
つまり、私の人生は東大応援部活動の延長線の中にあるのだ。そして、棺を覆うまでこの応援活動を続けていこうと思っている。
そのため、自己の心身の健康管理が不可欠なのだ。

今週から待ちに待った本格的OUEN活動をリスタートする。
私のミッションの達成のためのリスタートである。

私のミッション
⑴未来を担う学生たちの応援団になる。
⑵学生たちを応援してくださるOUEN Companyの皆さんの応援団になる。
⑶OUEN Companyの皆さんと学生たちと協働して、私たちが住み働き学ぶ地域創生の応援団になる。

あと半世紀の人生である。長いようで短くもある。そして、いつ斃れるやもしれない。それが人生だ。大きな夢は未完で終わるものだ。一人で果たすことができる夢はちっぽけなものだろう。 老人の目指す理想は、仕事の最中に前のめりになって倒れることなのだ。

12〜13日は久しぶりに大阪と岡山に出張する。岡山は岡山日赤病院を訪問する。
若い時は、津山には岡山経由で何回か友を訪ねて行ったものだが、岡山の街には未だ足を踏み入れたことはない。
OUEN活動では、福岡をはじめとする九州北部地域と石川と富山の北陸地域を定期的に訪問しているが、コロナが収束したおりにはその他の地域にも足を伸ばしたいと思う。 そのためにもあと半世紀はこの世で現役活動を続けたいと思う。

小林 博重

人それぞれの応援人生

早朝に、出陣式の挨拶を見直す。
これで完璧だと思って書き終わったはずなのに、見直すと、ここを直したほうがいいと思ってしまう。
たった10分程度の挨拶であり、そんなに推敲をする必要はないのだが、この推敲という行為は、自分の考えを確固とする作業なのだと思う。自分の考えという一時的なものではない。人生哲学、生き方哲学という形而上の崇高な行為なのだと自分を納得させる。 そして、これで完璧ということにはならない。出陣式まであと1ヶ月弱もある。最後の最後までしぶとく推敲するのだろう。

補聴器の具合があまり良くない。シーメンスの最高級品であっても7年も前に購入したものだ。それと、ずっと使っていたわけではない。最近聞こえづらい場面が出てきたので、必要に迫られて机の中にしまっておいたものを探し出したのだ。 補聴器も中古品だから、本格的に修理な出す必要があるのかもしれない。中古品は補聴器も身体もみんな同じだ。
そんなことで、購入したビックカメラ赤坂見附支店にウォーキングで出かけた。
問題は聞こえづらいといってもざわざわと雑音が入り、聞こえすぎるのだ。お店で調整していただいたが、パソコンで最小までしてもらっても器械はそうなっていないのだと。私の耳は思ったより遠くないらしいとちょっと安心する。 一度メーカーに出して修理してもらう必要があると。仕方がない。替わりの最新の安価なデジタル補聴器を借りた。
最新で人気がある商品だというが、私のものとはやはり性能が違うように思う。高いのは高い理由があるのだ。

ついでに金縁の丸型眼鏡も買った。
この前は丸型の銀縁と黒縁の眼鏡だった。妻は金縁のほうが若く見えるんじゃないかというので買うことにした。
新宿の公園で転んで頭を5針縫ったのが2月4日の立春、6月4日は生前葬と出陣式。この間の4ヶ月間がギャップタームだ。
ギャップタームの内に、問題点はできるだけ処理しておこうと思う。それが補聴器と丸型眼鏡と歯の治療だ。
歯の治療は新宿のサンデンタルクリニックで小山悠子院長のそれは徹底した指導をいただいているから、気合いを入れざるを得ない。 それと有意注意を心がけること。その意識を絶えず持つことだ。

ビックカメラを出て、赤坂見附から虎ノ門を経て桜田門へ。皇居を一周して半蔵門から四ツ谷経由で外苑前まで17千歩。いい運動をした。

帰社して、15時から17時半までZOOMで赤門鉄声会(東大応援部OB・OG会)の年次総会に参加した。
総会が終わって特別講演会があり、昭和59年卒の槙本さんの講演だ。演目は「私の応援人生」。
槙本さんは広大附属高から応援団という応援漬けの根っからの応援人生を送っている。彼の応援人生は専ら、応援団長そのものだ。私の応援人生とはちょっと違う。 彼は、至るところで応援のエールをすることによって、人に喜ばれて「幸せ運搬人」と言われているそうな。それが応援の本質だ。私の場合は、生き方そのものが応援人生だ。 人にはそれぞれの応援人生がある。応援団卒の人間は、それぞれのスタイルで応援の本質を追求しているのだと思う。

漸く長いGWが終わる。
私には待ちに待った仕事の日々が到来する。
私にとって仕事は息抜きのようなところがある。息抜きで自分を高めることは一石二鳥ということだ。
その意味では、私は幸せな人生を送っているということだろう。

小林 博重

有意注意の日々を過ごす。

GWが終わり、日常が戻ってきた。コロナは少し落ち着いてきたが、GWで人流が増加していたことを考えると5月中旬の感染状況が気になるところではある。

2日に日本青年館との打ち合わせを行なった時には、東京都から卓10人のところ8人まで受け入れていいとの指導があったとのことだが、とは言っても6月4日の出陣式は卓7人を目処にお願いしたいとの意向だった。20卓だから140人だ。当初は130人と考えていたから少し余裕が出てきた。5月15日に最終人数を決定しようと思う。

世界的にコロナの感染状況を考えてみると、日本人は相当用心深い民族だと思う。欧米では桁違いの感染状況であるに関わらず、マスクなしで平常の生活に戻っている。お隣の韓国でも同様だ。日本では考えられない。そんなことを考えると、人間は平等ではあるが、民族の特性はそれぞれで、はっきりした有意差があるのだと思わざるを得ない。同じ東アジアの黄色人種でも、日本は韓国や中国とは違うのだ。日本人はいい意味で、世界のリードオフマンとしてのプライドを持って生きるべきだと思う。

ネットでコロナのコーナーを見る。政治家や芸能人など有名人がコロナに感染したとのニュースを見るにつけ、皆さん、感染予防には注意されているのだろうが、ほんのちょっとの油断で感染してしまうのだろうと思う。これは人ごとではない。

そして思うのは、稲盛和夫さんが仰っている「有意注意と無意注意」のことだ。

目的をもって真剣に意識を集中させることを有意注意といいます。

私たちはどんなときでも、どんな環境でも、どんなささいなことであっても気を込めて取り組まなければなりません。最初は非常に難しいことのように見えますが、日頃、意識的にこれを続けていると、この有意注意が習慣になってきます。そうなれば、あらゆる状況下で気を込めて現象を見つめるという基本ができていますから、何か問題が起きても、すぐにその核心をつかみ、解決ができるようになります。ものごとをただ漫然とやるのではなく、私たちは、日常どんなささいなことにでも真剣に注意を向ける習慣を身につけなければなりません。

私もそのことはいつも実感している。私は個人事業主の部類に入るので、私の個人会社やNPOの全ては私独りでしている。勿論、いろいろな人たちにサポートいただいているが、肝心要のことは私が自ら取り組まなければならない。それが今までは意識をせずとも何とかできていた(無意注意)ものが、70歳にもなるとそうではなくなってくる。忘れっぽくなったというわけではない。認知症の入り口に入ったというわけではないだろう。しかし、若い頃とは何か違う気がする。歳を取ったせいと思いたくないが、きっとそのせいなのだろう。

稲盛さんは、有意注意をすることで判断力は高まると仰る。それは年齢の老若に関係ないことだ。しかし、特に70歳にもなると、一層「有意注意」をする必要があると言うことだ。有意注意は判断力を高めることと同時に、コスパを高めてくれるのだ。無駄なことをしなくなるのだ。

これからの第二の生は、絶えず「有意注意」を意識して日々を過ごすことを徹底しなければならない。

小林 博重

出陣式の挨拶を書く。

昨日の「こどもの日」はいつものように4時起きして出陣式のご挨拶文を書き始めた。
生前葬と出陣式を執り行おうと思った経緯や私の生きる存念、人生哲学、天から与えられたミッション、後半生で成し遂げたいミッション等々、つらつら書き連ねた。

いつもOUEN望年会では5分程度にしているのだが、第二の生の出陣式ともなると、私にとっては一世一代の大イベントである。いつもの倍の10分程度はお話しするようにとのプロデュース側からのアドバイスもあった。

それもそうだ。話したいことは山ほどある。それを10分程度に収めるのはなかなかの難事でもある。

7時過ぎにはほぼできあがった。これでいいと思って朝食を摂りに帰宅してあれこれ考えると、ちょっと見直したいところが出てきた。予定は新宿の歯医者に行くだけなので、じっくり見直そうと思って、何回か推敲した。

新宿へは片道1時間かけて2時間ウォーキングをしたのだが、帰ってからもう一度と思って、念のためにこれが最後と思って見直したところ、とんでもないことに、人生春夏秋冬の春が抜けていたことに気がついた。

全てのことはこんなものだろう。大きく言って人生も同じことだ。これが完璧と思っても決してそうではない。
これでもかこれでもかと思って、何事も時間の許す限り精魂を傾けることだ。そこから、見えていなかったことに気がつくことは間々あるのだ。だから、何事も謙虚に謙虚を重ねたくらいがちょうどいい。

私はほぼ毎日OUEN blogを書いている。私の日記のようなものだが、人さまにも読んでいただけるものだからそれも意識して書いている。

稲盛和夫さんは人間は意志が弱い動物だから無言実行よりも有言実行をすることだと仰る。

私は昭和51年に大学を卒業して銀行に入社した時、新入社員研修での私たちのグループの発表は「男は黙ってサッポロビール」だった。今は亡き三船敏郎さんがその台詞を言っていた。

男女雇用均等法ができたのは昭和60年の私が採用担当者だった時だから、昭和51年は総合職は男子ばかりだ。女子大はあったが、殆どの大学は男女共学だ。社会人になってそうではなくなるのだ。今考えれば、これはおかしいことだと思う。しかし、このことにほとんどの人は違和感は感じていなかったのではないか。男子のみならず女子もだ。「当たり前のこと」だと皆思っていた。

ウーマンリブはちょっと社会人としては外れ者というイメージがあった。そんな時代だった。

「男は黙って」には男と女の問題もあるがもう一つ、黙ってするのが「できた人」のすることだと言うこともある。
『有言実行は自己アピールをしていて、「できる人」かもしれないが「できた人」ではない』ということだ。そんな時代だった。

しかし、もっと深く考える必要がある。人間の本能や煩悩を念頭に置いて、弱い人間を強くするためにも有言実行は大いに意味がある。そのことを稲盛和夫さんは仰っているのではないか。それは「謙虚であれ」と言うことと全くもって相反するものではない。

こんなことも書きながら考える。何事も推敲に推敲を重ねることは意味がある。

人生70年、私は「匹夫の勇」のところがあったことは若気の至りで許していただこう。
これからの50年は、ありがたいことに、大きい高下駄を履かせていただいて生きる人生になる。
「心身一如のコスパ重視」で生きていこうと思う。

50年と思ってもどうなることやら分からない。人生に100%と言うことはない。それであれば、全ての可能性を考えて行動することが必須なことだろう。

小林 博重