『三方よし』を考える。

新幹線「こだま」で新富士を日帰りした。私の東海道新幹線利用は殆ど大阪や京都の関西圏なので、こだまに乗ることは全くない。
昨日は富士市と富士宮市の製紙会社3社を訪ねた。

富士市や富士宮市にはたくさんの大中小の製紙会社がある。かつては100社に及ぶ製紙会社があったらしいが、ペーパーレスの時代になって紙の使用量が減少していることで、同業大手のM&Aや廃業があり、その数は半分くらいに減ってきているとか。

昔は電車に乗ったら、乗客は新聞か雑誌を読んでいた。しかし、今はスマホやタブレットでことを済ます時代になった。トイレットペーパーやペーパータオルはスマホには置き替わることはないから安定していると思うが、家庭用はまだしもテレワークの推進で業務用は苦戦しているらしい。

静岡県は富士山の伏流水が豊富なため、製紙会社が大量に使用する水には困らない。しかし、同じく大量に使う電気については、ウクライナ危機や昨今の円安で電気料金がいつピークか全く見えない現状で死活問題らしい。

そんなことで、私のネットワーク(OUEN Company)で何らかのお手伝いができないかということで、これもOUEN Companyである製紙会社を訪問したものだ。

近江商人に「三方よし」の経営理念がある。売り手と買い手と世間の三方がよくないとビジネスは長続きせず、発展的展開にはならないということだ。

ビジネスは何のためにするか?

その第一は自分が儲けるためだ。なんだかんだ言っても自分あっての相手であり世間である。自分が儲けるために一生懸命に働く。まずは「売り手よし」だ。 それは当たり前のことで、生きている限り、そうでなければ生きていけない。
では、どうすれば一番儲けることができるのか。儲けを長続きすることができるのか。それをどれだけ深く突き詰めているかが問題なのだ。

パンを独り占めにして独りで食べれば相手はひもじい思いをするだろうが、自分のお腹は満腹になる。これがビジネスだと思っている人は結構存在する。 しかし、それはその場限りだ。ひもじい思いをした相手は、絶対独り占めした相手と付き合おうとは思わないだろう。

それではいけないということで、自分と相手がWin Winになることを考える。そうすれば相手はこれからも自分と付き合おうと思うだろう。いい関係になる。

果たしてそれだけでいいのだろうか。その先の世間の人たちを仲間にしてビジネスを拡げていくことがより自分が儲かることになるのではないか。
Win Winから Win Win Winへ、そして Win Win Win Winへと、友だちの輪を拡げていくことだ。そしてその輪を「和のある環」にまで昇華させることだ。それが一番売り手よしであり「自分が儲かること」なのだ。

我利我利亡者は長続きしない。心豊かに永続することはない。

そんなことを思って言っている当の私は、お金にからきしご縁がない。
それは、私が突き詰めて、この「三方よし」をまだまだ実践できていないからだと思う。
松下幸之助さんも稲盛和夫さんも「三方よし」を極めるまでに自らを昇華させることができたからお二人とも『経営の神様』と称されたのだ。

私はまだまだ修業が足りない。
私が自らを極めることができたら、第二の生のミッションは、その時は完璧に果たすことができているだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

重陽の節句(9月9日)にあたって、心を新たにする。

本日は9月9日、重陽の節句(菊の節句)だ。
今までは5節句を意識していなかったが、私の戒名に「重陽」の2文字が入っているので、9月9日の『重陽の節句』は特別に意識してしまう。

5節句
奈良時代に中国から伝わった、奇数が重なる日をめでたいとした考え。江戸時代に幕府が節句を元に公的な祝日とした5つの節句が現代まで残っている。

節句とは、季節の変わり目に無病息災・豊作・子孫繁栄などを願って、供物をしたり邪気祓いを行ったりする行事のこと。

①人日(じんじつ)・・・1月7日
②上巳(じょうし・じょうみ)・・・3月3日、桃の節句
③端午(たんご)・・・5月5日
④七夕(しちせき)・・・7月7日、たなばた
⑤重陽(ちょうよう)・・・9月9日、菊の節句、栗の節句

【重陽の節句】
中国では奇数のことを陽数といい、縁起がよいとされてきた。なかでも最も大きな陽数「9」が重なる9月9日を「重陽の節句」と制定し、無病息災・不老長寿・子孫繁栄を願って、祝いの宴を開いたことが起源だ。

私の戒名は『不動院重陽博愛居士』だ。この戒名は、第二の生の私の本名でもある。

「不動院」
祖父が日露戦争で旅順の二百三高地でロシア軍と戦った時、金沢の第9師団が軍旗を露軍に奪われた。軍旗は天皇陛下そのものであり、西南の役のおりに政府軍が西郷軍に軍旗を奪われ、乃木さんがその責を取って切腹しようとした時に明治天皇に止めていただいたことにも象徴される。

その軍旗を奪い返したのが私の祖父だった。そのこともあり、祖父は上等兵ではあったが金鵄勲章を受章する名誉に浴したのだ。

祖父はこれは日頃から信仰しているお不動さまがお護りいただいたおかげと思って、能登のお不動さま建立の先頭に立って尽力した。そのようなことで、祖父の戒名は恐れ多くも、「不動院」を冠していただき、『不動院積徳永寿居士』と名付けられた。 その『不動院』を私の戒名にも付けていただいたのだ。

「重陽博愛居士」
戒名を付けていただいた瑞華院了聞の福井住職が仰るには、「重陽」とは陽のエネルギーが重なるということで、私の周りには陽のエネルギーを持った人たちがたくさん集まってくる。その人たちは心が清く、美しく、素直で真っ直ぐな心根の人たちばかりだ。そのような心豊かな人間になろうと努めて生きている人たちばかりだ。 その人たちのために、愛を広める(=博愛)のが私の第二の生のミッションなんだと。

福井住職は、そのような人間になるようにとお思いになって、その戒名を付けてくださった。いや、仏様が授けて下さったのだ。

第二の生はあと半世紀。第一の生と合わせて120年の生を生きることになる。健康には一層の留意をして、「生涯に亙り人間を磨く」精進をすることだ。 そうは思ってもいつあの世からお呼びがかかるやも知れず。日々の一瞬一瞬をど真剣に生きることが大切だ。
悔いのない人生と思ってもなかなかそんな生き方はできるものではない。日々反省をすること、至らなかったところは素直に反省して、日々心を改めて生きることだ。

重陽の節句にあたって、心新たに全うな人生を生きることを誓う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

私は「凸凹人間で良かった」と思う。

第二の生を生きるにあたって、私はオールラウンダーでない凸凹人間であって良かったなと思う。稲盛和夫さんのようになりたいと思っても「トマトはトマト、決してメロンにはなれない」のだから、トマトのままでどう生きていくかということだ。

東大に楽々入って、トップクラスで卒業して、会社からMBAにも行かせてもらって、エリート街道まっしぐらだったら、私は人の気持ちの分からない鼻持ちならない人間になっていたのではないかと思う。
凸凹で、凹んでいるところが圧倒的である人間であることを自覚したことから、ごく僅かの凸の部分に磨きをかけようとする。人間は絶対凸のところを持って生まれてくるのだから、その凸のところを磨くのだ。
凹んでいるところが多いと、自分より優れた人に素直に謙(へりくだ)るようになる。謙虚な心になるのだ。そして、凹んだところを穴埋めをしてくれる信頼できる人に深く感謝するようになる。

この「謙虚」と「感謝」はビジネス=ボランティアを成功に導くためには不可欠なことだ。私はこれは絶対的真理であると確信するまでに至った。 なぜかと言えば、そのように思い行動すれば、ビジネス=ボランティアは思いの外、不思議なほど順調に展開していくことを実感するようになったからだ。

「友だちの友だちは皆友だち」というタモリさんの名台詞は、私のビジネス=ボランティアで、素晴らしい人たちとの人脈を拡げていくベースになっている。 「類は友を呼ぶ」ように心をオープンにして、善き心を持った友だちをこちらから求めていくことだ。その相手は老若男女を問わない。
こちらから心を開くことはこちらの弱みを見せることだとか、「我は優秀であり、我が知らないことは恥」と思う東大卒にありがちな全く意味のないプライドは人間の成長を妨げる。 人は皆平等で、私より優秀な人全てから多くを学び取ることだ。その意味で私はほんとに多くの人からいろいろなことを学んでいると 思う。殆どの人が私より優秀なのだから。
しかし、私には決して人には負けないものがあると自負している。それはたった一つでいいのだ。その一つを磨きに磨きをかける。生涯に亙り磨き続けることだ。そうすれば、人間は成長するし、人間ができてくる。

そんなことを日々感じながら生きている。そして、どんどん善き心根の人たちが私の周りに集まってきてくれる。
私の戒名(本名)の「重陽」のように、陽のエネルギーを持った人たちがたくさん集まってきてくれるのだ。
そのことを日々感じている毎日である。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

『賢女の会』の賢女はこんな女性だ。

私の古稀の誕生月(11月)に第1回の『賢女の会』を開催する。
年代は問わず賢女はいるが、私が主催する『賢女の会』の賢女はそんなわけにはいかない。

私の妹から子どもの世代、アラフィフとアラフォーとアラサーの50代前半から30代前半のEQが高い女性としよう。約20年の幅がある。

経営者、会社幹部、専門職等。
人生を前向きに生きている、生きていこうと思って、そんな人生にチャレンジしている女性だ。そして心が素直で真っ直ぐで、「恕の心」を持って、人を思い遣ることができる、外連味がない、誰にでも好かれる、心美しい女性だ。 そんな人はきっとビジネスもボランティアも素晴らしくできる。
また、男の専売特許と思われている任侠の世界、いわゆる「義理と人情」の世界も解する心豊かなバランス感覚豊かな人だ。むしろ賢女が男性よりピュアで義理人情を解する。

私の周りにはそんな人が多く集まる。「友だちの友だちは皆友だち」だから、今のところ人数は9名だが、もっと増えるだろう。

会場は、西櫻亭(伊勢丹新宿)、私の愛娘の安藤裕美さんが経営する西洋レストランにしたい。

昨日は台風11号のおかげで、お昼から夕方までの5時間、ドーミーイン(博多祇園)でゆっくりと寛ぐことができた。
災いは災いではない。災いと思うから災いになるだけだ。心、気持ちの問題なのだ。

人生は複雑なようで単純だ。複雑に考えるから頭が混乱する。シンプルイズベストなのだ。しかし、人生は深く考えなければならない。複雑ではなく、深淵に人生を考えることだ。

LINE、mail、電話等、スマホ1台持っていれば、ビジネスができる。そのベースにはリアルな人と人との接触があることが不可欠だが、現代ならではの武器をバランス良く加味することでビジネスのコスパは高まる。 そのバランス感覚がない人は、決してサスティナブルなビジネスはできないと思う。

5時間のデスクワークで9月のスケジュールはほぼ埋まった。充実したオフタイムになったと思う。

今日は9時に福岡女子大学の梶原事務局長訪問、それが終わって福岡空港から羽田へ。15時に中野の西武信用金庫の髙橋理事長訪問だ。充実した一日になるだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

私の周りに起こることは全て私の成長のための磨き砂

昨夕は博多駅の博多シティ(博多駅ビル)9階レストラン街「くうてん」の日本蕎麦屋「石月」で、グラシアス齋藤さんと、酒(ビールと焼酎)とつまみ、仕上げに日本そばを堪能した。 最近になって、日本料理、その中でもそばに拘るようになった。心身がそれを要求するのだ。これも歳のせいなのか。
こんなことでも年齢を意識してしまう。だから無理はしないようになる。この調子であと半世紀、120歳まで現役で仕事ができるのではないかと思い込もうとしなくてもそう思う。それは長生きするための一番大切なことのような気がする。

19時には祇園にあるドーミーインにチェックインし、ゆったりと温泉に浸かる。お腹はいっぱいでお酒も入っているのでそのままベッドにバタンキュー、20時前だ。
勿論、21時30分からのドーミーイン名物の「夜泣きそば」はパスすることになる。美味しい朝食をさらに美味しくいただくためにも、ここのところ、よっぽどのことがないと夜泣きそばはいただかないことにしている。勿論、食べたい気持ちはあるが、そこはグッと堪えて。 「楽観主義は意志に属する」のだから、意志堅固に楽観的に生きることで幸せが訪れるのだ。

今朝は3時に目覚め、朝風呂に浸かる。この時間は風呂場には私一人だ。顔と頭を剃る。一日で生えた煩悩を剃る。煩悩には善き煩悩と悪しき煩悩があるから、善き煩悩は剃ってはいけない。善き煩悩は世のため人のために必要不可欠なものだからだ。だから、「悪しき煩悩を剃る」と思って剃ることだ。

大型台風の到来だが、昨日は欠航せずに来福できた。昨日の訪問先の目的は果たした。きっと良い結果になるだろう。
今日は台風のピークで訪問先2社のキャンセルがあったが、それでも10月にアポをいただける。
肝心要のゼオライトとグラシアスの打ち合わせと会食はじっくりと行なうことができる。
明日は台風一過、福岡女子大を訪問して、11時過ぎのフライトで東京に戻り、中野の西武信金訪問だ。

台風で福岡出張はどうなるか心配していたが、これは杞憂に終わるだろう。
世の中の出来事は人間業では知るすべはないが、因果応報、善因善果、悪因悪果。天は決して善き心の人間を見捨てることはしない。悪しき心の人間は一時はその人の思いに沿ったことがあるかもしれないが、それは善き心から発したことではないから、決して長続きしない。人はそのような人に付いていくことはない。 私はそのことを感覚で分かるようになった。「天と己は私がすることは全てお見通しだ」ということだ。
そして、私は善きことしかしないことをモットーにしている。それは己が一番大切だからだ。

『賢女の会』のメンバーは9名に増えた。「類は友を呼ぶ」と言う諺もある。同じ志の人間が集まってくる。
私は、善き心や志の人たち同士の蝶番役を果たしたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

『角打ち』を守ろう。

今日から2泊3日の福岡出張だ。台風11号が九州に接近しているが、そのピークは6日のようだ。5日の羽田→福岡と7日の福岡→羽田は欠航にはならないと思われる。

地下鉄銀座線外苑前5:05発の始発に乗り、新橋で京急線に乗り換え、6:02に羽田空港に到着する。
福岡行きは6:55発のANAだ。福岡空港には8:50到着する。

始発に乗ると福岡でフルに仕事ができる。福岡行きはほとんど始発を利用する(金沢も月1〜2回は出張するが、この時も北陸新幹線東京発6:16の特急かがやきに乗って金沢着8:46だ)。 私は毎日3時には起きているので始発に乗るのは全く苦にならない。ただ、そんな日は早朝ウォーキングができないことが苦痛ではあるが。

九州北部信用金庫協会の篠原専務から9月3日(土)に地元の西日本新聞に掲載された投稿記事が送られてきた。篠原専務には、福岡でのOUEN塾には大変お世話になっている。
私の第二の生のミッションは地域創生だ。まずは、OUEN塾を開催している九州北部(福岡・佐賀・長崎)と、私の故郷である北陸(石川・富山・福井)からスタートしたい。私は、そのキーカンパニーは信用金庫だと思っている。篠原専務は九州北部信用金庫の纏め役である信用金庫協会の専務であり、彼のお力を借りて、ミッションを果たしたいと思う。

篠原専務は『角打ち』マニアだ。私は福岡出張で夜の時間がある時、よく篠原さんに角打ちに連れて行ってもらう。もう何回『角打ちツアー』を楽しんだことだろう。 角打ちは掲載記事にもあるように、北九州市から発祥した。それが福岡市に拡がった。東京でもチラホラ散見されるとか(私は未だ行ったことはないが)。
この角打ちは奥が深く、ピンからキリまである。何がピンかキリか分からないが、迎賓館があったり下品館があったりする。ほんまものの角打ちはきっと下品館なんだろうが(「下品館」とは聞きづてならないと誤解を招く表現と思われる人もいらっしゃるだろうが、差別的な意味で言っているわけではない。泥臭いのがほんまものということだ)。

やはり地域創生は地元がコアになって展開しなければサスティナブルなものにはならないだろう。東京資本がビジネスオンリーで地域を食い物にしてしまうことがなきにしもあらずだ。 地元の企業や個人がリードオフマンになることだ。中央資本はそれをサポートする位置付けで応援する立ち位置がいい。
OUEN Japanはその応援団として、地元と中央の蝶番の役目を果たす。
まずは、九州北部と北陸から。それがコアとなって全国に展開していきたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

9月3日西日本新聞にて掲載

11月に『賢女の会』を開催する。

4時前に起きて、5時から6日ぶりの2時間ウォーキングで汗を流した。この季節になると5時ではまだ暗い。気温は22度。ムッとした蒸し暑さはない。絵画館前を通ると秋の虫の声が聞こえてくる。やっと秋めいて、酷暑の夏ももう終わりに近づいているのだ。

季節は春夏秋冬を繰り返す。人生は季節に擬えられるが、その始まりについて中国五行思想はそれは冬だと言う。
すなわち、「人生は、冬から始まり、春夏を経て、仕上げは実りの秋」ということだ。
早暁に目覚め、まだ薄暗い神宮外苑をウォーキングしていると、人生は冬春夏秋であることに納得する。そして、私はそれを実感して、身をもって実行するために、早朝ウォーキングをしているのだと妙に納得するのだ。

人生は暗い早暁から始まる。燃える青春、炎える朱夏を経て、人生の仕上げの実りの秋「白秋」を迎えて人生を完結させるのだ。

私はちょうど古稀、70歳になった。昨年が数え70歳、今年の11月で満70歳になる。
私の古稀の祝いは今年の6月4日に執り行った生前葬&出陣式(誕生会)ではあるが、来たる11月は満70歳になり、最後の古稀の祝いの月でもある。 そして、私はこの古稀の祝い月に『賢女の会』なるものを開催しようと思い立った。

私の誕生月に私が仕掛ける会とは、いかにも常識外れの私のすることだが、それは私らしい。ど厚かましいと思われる人もいるが、それでも嫌われないのが私の天から付与されたキャラクターだと自負している。

賢女の会の開催月は11月。今のところ7名だが、アッパーは10名としようか。

賢女の条件の一つは、私より若い女性。
盛和塾の入塾条件の一つは稲盛和夫さんより若い経営者だった。『賢女の会』の『賢女』の条件も、私より若い女性としよう。

条件の二つ、その名の通り、賢い女性だ。
IQ(Intelligeoce Quotient、知能指数)ではなく、EQ(Emotional Intelligent Quotient、心の知能指数)が高い女性をその条件としたい。

いわゆる、論語でいうところの『恕の心を持った女性』だ。
相手の心を感じ取る能力、自分の心をうまくコントロールし利用する能力だ。
そのため、無用な衝突を生むことなく人間関係を円滑に育むことができ、恕の心を持つことによって、ビジネスもスムーズに熟すことができる。 

相手を思い遣ることができる人生によって、ビジネスは相手と「Win Winの関係」が構築できる。それは、タモリの「友だちの友だちは皆友だち」よろしく、心の友だちは無限に拡がっていく。そんな『恕の心を持った女性』だ。

また、「災い転じて福となす」の諺通り、自分に降りかかる全てのことを前向きに真正面から受け止め、果敢に人生にチャレンジしていく女性だ。

アランは「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」と言っているが、「人生は素晴らしい」「生きていることは素晴らしい」と全てを楽観的に見ることができる意志堅固な女性だ。

そして、その女性は主催者の私が独断と偏見を持って選ぶことにする。

OUEN Companyを中心とする集まりについては、生まれ変わったことを機に、望年会から新年会にする予定だ。勿論、賢女の会のメンバーは是非ともOUEN新年会にご参加いただきたい。

ちなみに、OUEN新年会は1月26日(木)18時30分から、明治神宮球場隣の日本青年館にて開催する予定だ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

後顧の憂いなく、OUEN Japanのミッションを果たしたい⑵。

2週間ぶりに合氣道の講習に出かけた。いつもより参加者は少なく10人あまりだった。勿論、年長者は私であり、私が一番の初心者だ。練習は相対でするので、私のお相手は有段者であり、皆さん私に合わせて根気よく指導していただいている。
合氣道の精神は、相手のことを認め活かし、相手の氣の流れのままに、その氣に沿って、相手が自ら倒れてくれるという、謂わば論語の『恕の心』なのだ。自分の力は相手の氣の流れのままに勢いを付けることで使われる。有段者はそのことを良く身につけている。

9月には級から段までの昇段の試験があるらしく、皆さんはそれぞれの試験に向かって練習を繰り返している。
私が入った目的はそのような資格を取ることではなく、合氣道の心を身に付けることにある。その点では私はお邪魔虫なのかもしれない。

2週間ぶりの2時間の稽古で、今朝起きたら身体の節々が痛い。皆さんに合わせてちょっと無理をしたせいだ。「無理はよそうぜ。体に悪い」のだが、この歳でもちょっとした負荷は成長には必要だと思う。

合氣道に限らず、最近、歳を意識することが多くなってきた。私には全くご縁がない相続のことでも、家族のこととなるとそういうわけにはいかない。 人の死があって相続があるのだから、相続を考えることは自ずと「歳と死」を意識することになる。

私の若い時には相続人の立場でいろいろ考えた。また、銀行時代はビジネスとして相続問題に関わったこともある。
今は被相続人の立場として考えることになる。「そんな歳になったのか」と感慨深い。

ほとんどの人はその中に人生の無常を痛感するのだろうが、私の場合はそうではない。生前葬&出陣式の時と同じく、これからは、これを起点として、人生の登り坂ならぬ上り坂のスタートと前向きに考えるのだ。

昨日のblogでも書いたように、私たち夫婦の相続を考えることは、後顧の憂いなく後半戦の人生を送るためなのだと思う。

三菱信託銀行のCMで、中井貴一・真田広之・柳沢慎吾が出演している「まとめて相続『信託銀行』篇」や、さがみ典礼のCM、加藤茶の「加藤さんの終活」篇を印象深く見る。前者は相続人の立場、後者は被相続人の立場で、後半戦の人生を考えさせられるのだ。

後顧の憂いなく私のミッションを果たすことが理想であり、それが幸せな人生だと思う。
エンディングノートに書き留めておくのは事務的なことだけでいい。肝心要の具体的な相続については、やはり相続人が皆んなでよく相談して決めるのがベストだ。相続が争族にならないためにも。

おかげさまで、3人の息子たちは仲が良く、私たち夫婦が身罷った後のことも相談して考えているようだ。ありがたいことだ。
それは「後顧の憂いなく、私のミッションを果たす」ためのベースになる。子どもたちが私たち夫婦のために考えてくれる。それは私がビジネス&ボランティアに集中することができるということだ。

「いい息子たちを持って私たちは幸せな夫婦だ」と改めて思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

後顧の憂いなく、OUEN Japanのミッションを果たしたい。

私の自宅は青山にある。しかし、私名義は上物の半分だけで土地は妻のものだ。そんなことで、私は財産らしい財産は持ち合わせていない。ただ、温かい人脈だけが私の財産である。そして、温かい人脈は決して相続できるものではなく、私個人、私一代のものだ。 そんなことで、私には相続は全く縁のないものだと思っていたが、私の3人の子どもたちはそうではない。

私が21年勤めた安田信託銀行(現みずほ信託銀行)から、相続に関わり自宅の土地の有効活用の提案があった。
私には直接関係はないが、私がOUEN Japanを後顧の憂いなく続けていくためには子どもたちの相続問題をクリアにしておくことが必要ではないかと思うに至った。

そんなことで、昨日、そのたたき台をつくるために、私たち夫婦に加え、子どもたちの代表として三男にも加わってもらって、関係者を交えて打ち合わせを行なった。いや、子どもたちは脇役ではなく主役なのだ。相続の当事者は私たち夫婦ではなく、相続する子どもたちなのだから。

三男は私が考えていた以上にしっかりと人生を考えている。嬉しい誤算だった。そして、三男は「この土日に兄弟3人でWebミーティングの時間をつくるという。子どもたち3人が仲がいいのがまた嬉しい。 もう主役交代の時期だ。相続とはそういうことだ。代が代わることなのだ。これからは子どもたちに任せよう。そして私はサポート役に徹しようと思う。 それがOUEN Japanのミッションを心置きなく追求するには必須なことであり、私はこれでOUEN Japanに全力投球できるようになる。

オーナー経営者は、いつか来るバトンタッチは後継者を決めて引き継ぐことだけでなく、引き継ぐ後継者が本業に邁進できるように相続対策を徹底して行なうことだ。社員が安心して働くためにも、このことは必要不可欠なことだ。

あと20年は生きる、あと半世紀の人生と思い、自分に言い聞かせていても何が起きるか、これは天のみぞ知るところだ。
半世紀生きることと、明日にでも死ぬことを心で両立させること、両極端を併せ持つことが経営者(人は全て、己の人生の経営者である)には不可欠な要諦なのだと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

生涯に亙り、『夢を追い続ける夢夫』でありたい。

8月30日、稲盛和夫さんが24日にご逝去されたとの報道がされて二日が経つ。
一昨日、昨日と、私へのメールやLINEは稲盛さんを悼むものが二桁に達した。
送っていただいた方々は、私が稲盛さんを私淑しており、私の人生が稲盛さんとの出会いで180度変わり、そのおかげで今の私がいることをご存知な方々だからなのだろう。

この二日間、私は、稲盛さんのことが頭から離れない。
昨日、福知山から帰る車中でもずっと稲盛さんのことを考えていた。
今朝は3時に起きて事務所に出かけ、稲盛さんのご本(『生き方』と『心。』と『考え方』)を書棚から取り出した。これから、じっくり読み返そうと思う。

それにしても今年(令和4年、2022年)は、私にとって特別な年になった。
古稀になって生前葬&出陣式を執り行い、後半人生を如何に生きるべきかを皆さんの前で宣言させていただいた。そして、稲盛和夫さんのご逝去が、改めて「目指す人格は稲盛和夫さん」と思うに至る出来事になった。

昨朝、盛和塾京都の代表世話人だった恵巧建設の堀社長を福知山の事務所に訪ねた。
話したことは、「稲盛和夫さんから教えられた人生の生き方を、それぞれのこれからの人生で具現化していこう」ということだった。

ちょうど堀社長は、Be CON.chainを立ち上げ、理事長に就任された。私にこのボランタリーチェーンを手伝ってほしいとのことだ。

このボランタリーチェーンの底辺には稲盛イズムが流れている。「同じ想いの同志が集まり、稲盛イズムを形にしていこう」ということだ。 稲盛イズムの帆を高く掲げて、私の持てる力とキャラクターをフルに活かして、社会のために貢献しようと思う。

私は、堀社長に「OUEN塾は九州北部と北陸で展開している。私の本拠は東京であり、東京と九州北部(福岡・佐賀・長崎)と北陸(石川・富山・福井)からサポートのスタートができると思う。Be CONの体制が整い、私の出番が来たところで声かけしてほしい。全力でサポートしようと思う」と話した。 堀社長は「3ヶ月の時間をいただきたい」とのこと。了解である。ベースはつくってある。

私の後半生のミッションは地域創生だ。それも高い志があるビジネス&ボランティアが想いを果たすためのベースをつくることだ。
私がつくった地域創生の長いパイプの中にどんな液体を流すかだ。それは高い志の液体でなければならない。

稲盛和夫塾長=
思い続けることで夢を叶えた人

私もそのような夢を追い続ける夢夫でありたい。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)