OUEN信念会のご挨拶

 皆様、明けましておめでとうございます。 皆様には、昨年中は一方ならぬお世話になりました。ここに深く感謝するものです。本年も昨年同様、よろしくお願いいたします
 また、本日は、ご多忙の中、OUEN 信念会にご出席を賜りまして、誠にありがとうございます。

 新年に当たりまして、一言ご挨拶を申し上げます。
さて、令和5年、今年の干支はうさぎです。コロナが収束して、みんなが心置きなくピョンピョンと飛び跳ねることができる年になってくれることを心より祈念するものです。

 ところで、平成26年1月にOUEN Japanを設立して、早いもので満9年が経ちました。毎年、年末には“来る年に望む”という意味を込めて、OUEN望年会を開催しておりましたが、コロナ禍でここ2年は中止を余儀なくされております。
 昨年は、私が古稀になったことを機に、6月4日に、「生前葬」と、第二の生のスタートとしての「出陣式」を行い、新たな気持ちで人生をスタートさせました。
そんなことで、心を新たにして、今年からは、新年会を、“信じ、念ずる”の意味を込めて、“OUEN 信念会”としてスタートさせたいと思います。

私は大学を卒業して安田信託銀行に入社しました。そして、40歳を過ぎた時に事業法人の新規開拓営業を任されました。ベンチャービジネスをはじめとした中小企業との取引開拓をする仕事です。

 たまたま、そこで知り合った経営者の何人の方が、稲盛和夫さんが塾長をされていた「盛和塾」の塾生でした。
 彼らとすぐにザックバランな付き合いをする仲になりました。そして、彼らとの懇親の席で、彼らは口を揃えて、「小林さんは銀行には向いていないと思う。今度、稲盛さんが東京の盛和塾にいらっしゃるから、稲盛さんとお会いする機会をつくろう」ということで、稲盛さんにお会いすることができました。
この稲盛さんとの出会いが私の人生を180度変えました。運命的な出会いが人生をつくるのです。人生とは、実に、面白くも、素晴らしいものです。

 これが一つの切掛けになって、44歳6カ月で銀行を退職し、それからの七転八倒の15年の時を経て、平成26年、OUEN Japan の設立に至ったのです。

 OUEN Japan はその名の通り、「日本を応援する」NPOです。
 その大義は、学生たちの応援、企業の応援、地域創生の応援ですが、New OUEN Japan は、エッジを効かせることによって、この3つの大義を果たしていきたいと思います。
 日本が元気になるためには、人口の半分を占める女性が活躍する社会でなければならないと思います。
 私事ながら、70年の人生を振り返る時、多くの女性たちに支えられて今の私があることに思いを致します。
 その女性たちのほとんどは、私がやりたいと思ったことを支えてくれる人たちばかりでした。しかし、この日本の社会で、果たして彼女たちの能力は十分生かされているのだろうか。彼女たちが自分でも気が付いていない能力を眠らせてはいないだろうかと思うのです。

 平塚らいてうは「元始、女性は実に太陽であった。真心の人であった。今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝き、病人のような蒼白い顔の月である」と言っています。
 私はそうではないと思うところもありますが、そうだと思うところもあります。

 私に何ができるか分かりませんが、この日本が「女性が活躍する活き活きとした男女協働社会」になり、日本が再び元気になるように、その一助として、私は女性たちの応援団になりたいと思います。

 そんな想いで、今年のOUEN Japanのエッジを、国連のSDGsの1つ、「ジェンダー平等を実現しよう」にいたしました。

 最後に、ここにお集まりの皆さんが、「日本を元気にする想い」を持ってそれぞれの人生を生きていっていただくことを願って、私の新年のご挨拶とさせていただきます。

 ありがとうございました。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

OUEN信念会を盛会裡に終える。

OUEN信念会を無事盛会裡に終えることができた。18時から21時までの3時間はアッという間に過ぎた。

第一部のパネルディスカッションは初めての試みだった。
30分と言う短時間で、当初予定した質疑応答というわけにはいかなかったが、6名のパネリストの人間的魅力が垣間見られる時間になったような気がする。
6名のパネリストは稲盛さんの人生成功の方程式【人生の結果=考え方×熱意×能力】の全ての項目が極めて高く、このような女性たちが日本を元気にしてくれる女性のリーダーになって、女性に限らず男性をもリードしていってくれると思い、彼女たちから力強いパワーをいただいた。

第二部は歓談と名詞交換会の2時間だったが、会場は熱気に包まれてあらゆるところで明るく交流しているシーンを見ることができた。そして、東大応援部の約20分の応援パフォーマンスは、その盛り上がりに一層パワーを与えてくれた。 応援は青春であり、利他であり、恕の心である。私は学生時代以上に応援の本質を自覚し、一層磨きをかけてこれからも皆さんを応援していきたいと思う。
そして、皆さんの交流を成果につながるために、これからの1年、私がしなければならない使命をしっかりと自覚することができた【OUEN信念会】だったと思う。改めて、お集まりいただいた皆さん方に深く感謝するものである。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

『心を清く』するということ。

今朝は、珍しく、6時前まで寝ていた。天気予報では東京は−4°とか。どおりで寒い。床から出たくない。
今日は9:15からZOOM会議があるので、自宅を出るのは8時半くらいでいいだろう。
床の中でOUEN blogを書くことにする。

OUEN信念会の準備はほぼ整った。
当日手土産でお持ち帰りのコロンバンの「たまねぎスープ」と持ち帰りの袋と赤門鉄声会の慶弔旗は、午後に事務所から日本青年館まで届けることにしよう。 裕美ちゃんの「ドミグラスソース」は明日16時までに車で届けてくれるから大丈夫だ。

昨年6月の生前葬&出陣式が終わってから、信念会の構想を練り始めていた。当初は望年会だったのだが、生憎ホテルで200名が収容できる部屋はほとんど予約で埋まっていた。それでは年明けというので新年会ならぬ信念会にすることにした。

7月から半年あまり。夏秋はさほどでもなかったが、11月頃から脳裏に占める信念会のウェイトは50%を超した。
12月半ばになると考えることのほとんどを信念会が占める。1ヶ月以上、仕事をしていないようなものだがこれが私の仕事だ。何よりも意味のある仕事なのだ。
そのことで時々、突拍子のないことをするらしい。妻は「もう今回限りでイベントをやめなさい」とまで言う。しかし、これが私の生きる活力になるのだからそういうわけにはいかない。やめたときがお陀仏のときだ。

私は好きだからやる。「好きこそ物の上手なれ」の諺の通り、好きだったら長続きできるし、人の役にも立つ。
私の人集めは私の趣味であり、「利己の極み」なのだが、その「利己」が「利他」になるのだ。少なくとも「利他の入り口」に辿り着く。 私がイベントをすると、それが集まった皆さんのビジネスになることが稀ではない。間々あると言っていいだろう。それだけでも利他である。
それだけではない。皆さんが気付きを得て、心がピュアになり、win winがビジネスの基本だと思っていただくようになる。「応援とは利他なのだ」と応援の本質を理解していただくのだ。大袈裟かもしれないがそんな気持ちでしている。

それは私の心が満たされる「利己」ではあるが、「利他」に通じることなのだ。格好良く言えば、私は”幸せのキューピッド”なのだ。

今日中に力仕事を終えて、明日の午前はパネルディスカッションのイメージを膨らませるための復習だ。
「ジェンダー平等」「女性の活躍」と言っても究極のところ、それは稲盛さんの仰る『人として』『人のため世のため』『利他の心』『恕の心(思い遣りの心)』と通じることであり、絶えずその原点に立ち返って言動することなのだ。難しいことかもしれないが、心が清ければ簡単なことなのだ。心が清くないから難しいと思うだけだ。

そして、午後は一番に京都からアンナ・クレシェンコさんが事務所にいらっしゃる。OUEN信念会の前にお会いしたかった。
彼女はウクライナ人で京都大学法学部の学生で起業家。私が何かお手伝いができないだろうか。
14時には、OUEN塾の学生リーダー1期生の白水優衣さんが福岡からいらっしゃる。彼女は4年間OUEN塾の学生リーダーとして頑張ってくれた。私はそんな彼女にお礼の意味もあり、何かして差し上げたいといつも思っている。

きっと、楽しい有意義なOUEN信念会になるだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

人間の幸せを追求する人が「できた人間」だ。

「できる人間」とは「能力の高い人間」のことだろう。では、「できた人間」とはどういう人間だろうか。
私は「できた人間」とは、『相手の立場に立って、自分も相手も延いては周りの人全てが幸せになるにはどうしたらいいのかと考え、全ての人が傷つかず、幸せな気持ちになるように持っていく人間』ではないかと思う。

正しいと思うことをすることは、それで全ての人が幸せになるとは限らない。しかし、「人として正しいことは何か」と考え、それを貫くことが真の人間だ。 「人が幸せになること」と「人として正しいことをすること」の双方を満たしてこそ、「できた人間」と言われるのだろう。

私は44歳6ヶ月で20年勤めた銀行を中途退職した。銀行を辞めていなければ七転八倒する苦労を味わうこともなく、私の人生はごく普通のどこにでもある人生だったと思う。 なぜ辞めたのか。若気の至りで、自分の存念を貫くことだけを考ええ行動したのだ。

その結果、妻子に思いもかけない苦労をかけ、周りの人たちに助けていただきながら生きてきて今の私がある。
結果オーライの人生だが、やはり賢い人間は、「我も人も幸せにできる人間」なんだろうと今になって思う。
稲盛和夫さんが仰る”苦は楽の種、苦は磨き砂”はその通りなのだが、それは周りの人たちに迷惑をかけてまでも苦の中に飛び込むことを人に勧めることを私はできない。 人から人生相談を受けた時には、私の拙い体験を話すことで”苦は磨き砂”だったと言うことしかできない。

「できた人間」は「正しいと思うこと」をするにしても、相手の気持ちはどうだろうと熟慮して、それを行動に移す人のことだろう。話の持っていきようを熟慮するのだ。 国会論戦を見ていると、相手を非難することをしないと野党の役割が果たせないと思うのだろう。私に言わせればこれは芝居だ。民主主義は芝居なのだ。 「できた人間」はそれを自分の心でする。与党と野党の想いを如何にアウフヘーベンするかを心の中で熟慮するのだ。
私はそんな「できた人間」を目指したいと思う。

争い、諍いはないに越したことはない。今のウクライナ危機を見ても誰も幸せにはならないではないか。
民族とか歴史とか、政治家は思うところはあるだろうが、「人として」「人間の幸せ」に深く思いを致したら、あのような醜い戦争をすることは決してないのだ。 特に、政治家には、”できた人間”になることを望みたい。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

想いを受け継ぐということ

人と人との絆は付き合いの長短ではない。たとえ、その期間が短くとも、深く、強く、心が引き合うことは稀ではない。しかし、ただ漠然と生きていてはそのような出逢いに巡り会うことは決してないだろう。

織田信長が愛したという「敦盛」の一節を思う。

『人生五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり』

信長の時代は日本人の平均寿命が50年はあったのだろうか。日本人の平均寿命が50年を超えたのは戦後になってからだ。
それが今は80年を超えている。「人生100年時代」だ。

下天の寿命は人間の世界でいうと23億年といわれる。まさに下天の長さに比すれば、人間の寿命は吹けば飛ぶような将棋の駒のようなものだ。

人生は有限だ。儚い人生、その時間の儚さを如何に意味ある充実した期間とするかが、真の人間の器量だ。
世界的宗教学者であるカール・ベッカーは言っている。
「時間の有限性に気がつくと、生き方は賢明になる」と。

『一度生を受け、滅せぬもののあるべきか。これを菩提(ぼだい)の種と思い定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ』

限りある命、我が為すべきことは何かを問わずにはおれなくなる。その何かを深く脳裏に叩き込み、それを果たすべく果敢に行動に移すことだ。

人に信頼され期待されることはこの上ない喜びだ。その信頼と期待を裏切ることなく、その想いをしっかりと受け止めて、私が為すべきことを、私の得手を全て出し切り、受け止めた想いを果たすことだ。 それが「人間として」「人として」生きるということではないか。

人間の儚さの中に、人の想いをつないでいく絆があることにより、その想いは永遠につながれていく。
そのバトンタッチの走者に選んでいただいたことを、ありがたく、全身全霊を掛けて受け継いでいきたい、受け継いでいくことを覚悟する。それが人間だ。 出逢いの期間はたとえ短くとも、私を駅伝の走者として選んでいただいたことに深い感謝の念を覚えるものだ。
生ある限り、決してそのことを忘れてはならない。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

久しぶりのウォーキングを愉しむ。

昨日、久しぶりにウォーキングを楽しんだ。

外苑前事務所〜(青山通り)〜渋谷宮益坂〜(明治通り)〜明治神宮〜(明治通り)〜新宿高島屋〜新宿伊勢丹〜(新宿通り)〜四ツ谷〜四ツ谷笹寺の墓参り〜(外苑東通り)〜外苑前事務所

1月20日は義父の23回忌だった。当日は妻が墓参りしたが、私は1日遅れの墓参りだ。もう22年経ったのか、22年前は私は48歳だった。人生四苦八苦、七転八倒の日々だったことを思い出す。それから22年、よくまともな人生を送ってきたなとちょっと自分を褒めたくなる。相変わらずお金にご縁はないが、人にたくさんのご縁をいただいた。世のため人のために生きようと心から思うようになった。これは大変な成長だ。

2時間強、10km強のちょっと多めのウォーキングだ。ウォーキングは私の「考える書斎」だ。悩むことがあったら、まずは即断即決することなく、熟慮に熟慮を重ねることだ。熟慮断行は熟慮の上の断行だからある程度時間を掛けていい。そんな時即断即決すると碌なことはない。

そして、まず事務所に戻り、ウォーキングしながら考えたことを文書に落とす。文書を書くことは私の得手でもあり、全く抵抗はない。 まずは頭に浮かんだ考えたことをアットランダムにワードに書き出す。それから何度も何度も推敲するのだ。
利己的ではないか、相手を思い遣る恕の心を持って考えたことなのか。それは人として正しいことなのか。一日では熟慮と言えない。何日も何日も、考え考えて、最終結論を出せばいいのだ。

OUEN信念会は今回からペーパーレスで行う。ご出席者の皆さんに【OUEN信念会】のURL/QRコードを送付して、イベントの概要をより明確に知っていただくことだ。そのご案内のメールを今朝送付した。
早速、その反響のメールを複数いただいた。私が主催のイベントであるが、私にはITリテラシーは全くない。そんなことは皆さん承知の介だ。しかし、このような企画を古稀になってもやろうとするのはきっと私だけだろう。
私は凸凹人間であり、もう古稀にもなれば「無理はよそうぜからだに悪い」。だから、不得手を大っぴらにして、それをカヴァーしてくれるたくさんの心清い人たちとタッグを組めばいい。コラボレーションすればいい。それには幼子のような素直な心を持つことだ。

そんなことで、多くの心清き温かい人たちのおかげで、このOUEN信念会は盛会になるだろうと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

「熟慮断行」「即断即決」「優柔不断」

OUEN信念会(26日)開催まで1週間を切った。出席者は10日に締め切ったが、私が主催する会でもあるしその締切は絶対ではない。そして、OUEN信念会はそんなに肩肘張った会でもない。何人か追加があるのはありがたく受けることにしている。
最終人数やテーブルの着席人数をホテルに知らせる期限もあるので、昨日(20日)に最終の締めとした。最終は146名(男性94名、女性52名)になった。男女半々を目指していたが、こんなものだろう。 今までの望年会は約160名の内、女性は10名強だった。女性の割合が数%から36%にまで引き上がったことを良しとしたい。

私は福岡でコロナ禍前にOUEN塾を3回開催したが、その時学生リーダーを募集して、7割以上が女子学生だった。福岡は意識が高い女性が多かった。7割が女性だと女性がイベントを主導していくようになる。私は「何事もシェアを一定率確保することは事を成す時は不可欠なことだ」と強く実感した。 多数決とはそういうことだ。正しいか否かではない。力を持つことができるか否かだ。

東大応援部にしても、チアリーダーは全て女子だし、ブラスバンド部も女子が多くを占めている。さらに、男子が専売特許と思われていたリーダー部も昨年女子が入部して頑張っている。
また、OB・OG会である赤門鉄声会も現在は女性が会長だ。私の後任の幹事長以下の運営部隊は全てスタッフが男性で女性の会長を支えている。それが全く違和感がない。寧ろトップが女性のほうが会の集まりも女性が増えて運営には好影響が出ているようだ。

私のビジネス&ボランティアにしても女性の力に負うところが多い。勿論、男性のお世話になっている比率が高いことは間違いないが、女性は男性が不得手な分野をカヴァーしてくれることが多いのだ。それは女性特有の共感力と協調性のゆえなのだろう。

昨今、一匹狼の私が大組織に飛び込みビジネスをする一つの切り口は女性のソフトパワーに頼ることだ。ここのところ、その比率が多くなってきている。それだけ年の功で、女性の力を高く評価するようになったことがあるのだろうと思う。

そんなところがOUEN信念会のテーマを「ジェンダー平等を実現しよう〜女性の活躍が日本を元気にする〜」と決めた理由だ。

昨日は出席者が固まったので、皆さんの座席表を最終的に完成させた。皆さんのお顔を浮かべながらの作業であり、これは私にしかでかない。

そして、今日からはパネルディスカッションに集中することができる。
6名のパネリストとはメールでいろいろ私から質問してその回答をいただいた。そして、皆さんの考えるところを大凡把握した(つもりだ)。その上でパネルディスカッションに臨むわけだが、その場でどのような展開になることか、それはまた楽しみである。

パネルディスカッションの成功には、MCとして、考え方をしっかり持つことが不可欠だと思う。
そのために、熟慮の上に熟慮を重ねて、確固とした自分の意見や存念をしっかりと持つことだ。

熟慮と言えば、リーダーの資質として、「熟慮断行」「優柔不断」「即断即決」の四文字熟語が思い浮かぶ。

事務的なことや誰もが考えるまでもない筋の通ったことは、熟慮するまでもなく、今までの経験や知恵で即座に問題に応えることがリーダーの必要条件だと思う。豊富な経験と知恵で「即断即決」ができることがリーダーの資質であろう。それがどっちつかずのあやふやなことでは人のリーダーになることはできない。
しかし、熟慮しなければならないことも間々ある。リーダーとなればそのようなことの連続だろう。そんな時に即断即決をするととんでもない事態になってしまうことも稀ではない。 しかし、熟慮することはいいのだが、熟慮が「優柔不断」な決断できない事態に陥ることもなきにしもあらずだ。
どれだけ早く「熟慮断行」ができるか。
そのためには朝から晩まで、四六時中、熟慮に熟慮を重ね続けることだ。場合によっては人さまの意見を聴く機会を持つことも大切だろう。

稲盛和夫さんは第二電電を立ち上げる時には、半年に亙り、日々熟慮に熟慮を重ねられたとか。そんな場面は一生に一度あるかどうかのことだろうが、熟慮に熟慮を重ねてタイムリーに断行することがリーダーには求められる。 そして、断行することでそれまでのストレスは解消されるのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

今こそ「人間として」「人として」の原点に立ち返ること だ。

この1週間はあまりお客様とのアポ(来社と訪問のいずれも)を入れていない。OUEN信念会で来客が20卓のうちどの卓にお座りいただくか、その作業を終え、今は専らパネルディスカッションで沈思黙考の時間を過ごしている。この時間は私にとって人生について考える実に貴重な時間になっている。こんなにじっと椅子に腰掛けて人生について考え続けたことはない。

「ジェンダー平等」について考える。
男女平等、LGBTQ、部落差別、人種差別等々。
差別はいけないが、客観的な区別は必要だろう。キチンとした区別があって、それぞれの個性が大切にされる。
人間は人間として、完全なオールラウンドプレイヤーは存在しない。人間は一人では生きていくことができない。一人で何でもできる天才などこの世界に存在しないのだ。
あの稲盛和夫さんのような哲人経営者ですら、一人でできることは限られていたからアメーバ経営(全員参加経営)を発想され、その経営手法は京セラのみならず、今は多くの会社に採用されているのだ。

凸凹の人間同士が、信頼し合い、それぞれの天から与えられた得手を持ち寄り、カヴァーしあって、凸凹から丸い大きな球形にアウフヘーベンしていく。それができるのは人間だけだ。
しかし、その人間が、その目指す理想を忘れ、欲望を顕在化させて争うのが現実だ。
SDGsが叫ばれている現代こそ、人間しかできはしない丸い球形を強く意識して目指すべきではないか。

「日本昔ばなし」という番組があった。そのエンディングに流れる歌がある。

「にんげんっていいな」

まんが日本昔ばなし エンディング にんげんっていいな 1991年
youtube.com

そうなのだ。人間っていいのだ。そんな原点に戻ることだ。

白色民族として、ロシア民族として、中華民族として、男として、女として、そのような拘りを乗り越えて、「人間として」、稲盛さんの口癖だった「人として」が今こそ求められている。

「ジェンダー平等を実現しよう」は、ごく当たり前の「人として」の心を持って取り組んでいくことだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

『コアをつくる』意味

昨夕、風呂に浸かった後で眼鏡がないので自宅の至るところを探し回った。一度と言わず同じところを探したのだが見つからない。
私は眼鏡がなければ生活できないような近眼でも老眼でもない。それでいて眼鏡を掛けるのは伊達眼鏡なのかもしれない(特に、丸坊主になって黄さんが「団長は丸坊主だから丸眼鏡が似合う。丸眼鏡は優しい顔立ちになるからこれからは丸眼鏡にしたらいい」とアドバイスを受けてそれに素直に従ったので、やはり伊達眼鏡だ)。 事務所から眼鏡を掛けないで帰宅したのかもしれない。案の定、今朝事務所に出かけて眼鏡ケースに丸型の眼鏡があった。

年寄りになると探し物が多くなる。いつも自宅では「あれがない。あれはどこへ行った」といつも何かを探している。これは歳を重ねて物忘れが進んだということもあるかもしれないが、その解決策として何も対策を取っていないからだ。その対策とは「有意注意」だ。

稲盛さんは盛和塾で無意注意と有意注意をお話しされていた。
運転免許を取るときには、教習所で初めは意識して注意しないと運転はできない(有意注意)が、慣れてくるとそれが身について無意識で運転ができるようになる(無意注意)。それも有意注意は疲れるが無意注意は疲れない。

歳を重ねると今まで身についていた無意注意の感覚が衰えてくる。だから、ちょっと面倒だが、意識して注意する有意注意をする癖を再び取り戻す必要があるのだ。 私はそのことを頭ではよく分かっているのだが、それがなかなか実行に移せない。全ての成功のポイントは考えたことを行動に移すこと、すなわち「考動」することなのだ。 「有意注意」を徹底しよう。そうすれば、物を探し回ることはなくなる。

OUEN信念会の準備は大詰めだ。昨日も全面サポートをお願いしているEULITE(ユーライト)の榎森さんと森田さんのお二人とZOOMで最終打ち合わせをした。

第一生の望年会は兎に角、お世話になっている方々にご案内をメールして、150名強の参加者を募った。
イベントではご挨拶でOUEN Japanの1年の活動を報告し、懇親会を行なった。懇親会の間にビンゴ大会と応援パフォーマンスを入れた。ビジネスマッチングの色合いが強く、それはそれで良かった。 しかし、第二生の信念会では私のミッションをアピールすることを強く出したいと考えた。
ではどうしようか。それで『テーマ』をつくろうと思った。そのテーマが「ジェンダー平等を実現しよう」〜女性の活躍が日本を元気にする〜だ。
これは今年だけで終わる話ではない。男女が得手を持ち寄り、協働して、世のため人のために働くこと、生きることが日本を元気にする。社会を元気にする。SDGsな社会をつくることになる。これは永続していかなければならない。

学んだことは、単なる懇親会ではなく、気付きの機会にする懇親会であったらいいということだ。
そのキーポイントは共に生きている人間が、仲良く楽しく、天から与えられた得手を如何なく発揮することで、お互いを助け合いハッピーな心で生きていくということだろう。

そのために、コアをつくること。そのコアの一つが『重陽の会』〜心優しく柔らか頭の思いやり溢れた賢い女性のメンバー〜であることを今回のOUEN信念会で強く実感した。 今までの『応援団(部)の集まり』や『稲盛哲学を信奉する人たちの集まり』と共通する”心のつながり”だ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

昭和60年の男女雇用機会均等法を振り返る。

1日かけてOUEN信念会の20卓(A〜T)のメンバーをほぼ決定した。17卓が7名掛け、3卓が8名掛けだ。この作業は出席者の皆さんのお顔を存じ上げている私しかできない作業だ。皆さんのお顔を思い浮かべて皆さんの卓を決める。

10時半に総合司会をお願いしている日欧フーズ副社長の安藤裕美さんの事務所を訪問し、企画を任せているEULITEの榎森さん、森田さんとZOOMで詰めの打ち合わせをした。 そのあと裕美ちゃんとランチを摂りながら「ジェンダー平等」について雑談を交え意見交換した。

私は銀行時代、昭和59年から7年3ヶ月に亙り人事部だったが、仕事の主従を含め全ての期間、採用活動に関わった。
特に印象が深いのが、男女雇用機会均等法が施行された昭和60年4月に入社した女子総合職の採用だ。初めての女子総合職は8名だったが、彼女たちは全て数年勤めて銀行を退職していった。 それは彼女たちの意識が問題であったのではなく、会社のトップをはじめとした全ての社員の意識の問題であったと思っている。
誰がどうだということではない。体裁だけ整えればいいと皆んながそう思っていたのだ。当の私もそうだったのだ。当時の日本の会社は総じてそうだったと思う。

彼女たちは外資系企業をはじめとして転職していった。
それから40年経った。彼女たちは今どうしているだろう。私より10年歳下だったから、還暦になっている。彼女たちの人生を変えてしまったと忸怩たる思いもある。しかし、皆んな賢い、柔らか頭の女性たちだ。逞しく生きていったことだろう。

OUEN信念会のパネリストの皆さんも逞しく生きているようだ。彼女たちも同様に七転八倒と思いきや、そうではないようだ。それは彼女たちが働いている業種のせいもあるだろうし、年代のせいでもあるだろう。心の強さのせいもあるかもしれない。

時代は変わった。

OUEN塾での女子学生リーダーたちの頑張りを目前に見てきたこともある。
昨今の応援部は女子が8割以上を占めていて、ある意味で応援部が男女協働社会の理想の姿ではないかと思うこともある。

OUEN Japan のミッションを果たすためには、男女がそれぞれの得手を持ち寄り、協働して、緩やかな組織を盛り上げていくことだと思う。 一層、女性の頑張りと活躍が不可欠なのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)