今度こそ『女性リーダー育成』のサポートを成功させたい 。

今日から師走だ。一年が経つのは早い。アッと言う間だ。このアッと言う間が70回繰り返されて私の今日がある。
何でもない日々の暮らしを繰り返すことだけでは人間は成長しない。意を以て生きることで人間は少しずつ成長していく。

12月になって突然という言葉が当てはまるくらい、東京でも今朝は冷え込んでいる。3時前に目覚めたが気温は9度。日中でも気温は変わらないという。そして夜は8度に下がる。 セーターの下に3枚重ね着をして事務所に出かけた。これから師走の1日目がスタートする。

『女性リーダーの育成』を考えていて、40年近く前の銀行時代を思い出した。

私の安田信託銀行の最初の配属は渋谷支店だった。
渋谷の4年弱の勤務を経て神戸支店に転勤。神戸では4年以上勤務した。この4年間には、ちょうどポートピアの博覧会が神戸で開催された。神戸は横浜と同じ、異国情緒のある港町で同じ関西でも大阪や京都とはちと違う。充実した4年間だった。

昭和59年7月に新たにできた人事教育部に転勤して研修担当になった。そして、昭和60年(1985年)から採用担当に部内異動をして、新卒採用と障碍者採用および中途採用を任された。

ちょうど男女雇用均等法ができた時だった。この法律は昭和61年4月から適用された。
安田信託銀行では、社員は総合職と事務職に分かれた。
昭和60年の新卒採用は61年4月入社になるというので、60年の採用の総合職は、それまでの男子採用から女性も採用することになった。 東大、一橋、早慶、ICU、上智、明治等、ピカピカの賢女たちを8名採用した。

私が教育係と言うのか、入社後のメンテナンスをすることになったのだが、それがまた大変だった。

彼女たちを配属された職場の上司たちは戸惑って、どう扱っていいものか困り果てたのだ。
「貴女は女性だからお茶汲みから始めてください」とか「貴女は総合職なのだから男子と同様に扱う。残業もその後の飲み会も付き合ってほしい」とか。 彼女たちもそんな職場の対応に戸惑い悩んで、何人も、私がいる本店16階の人事部に私を訪ねて駆け込んできた。涙を流す女性もいた。 私は話を聴いて、職場の部長に相談に行ったり、場合によっては異動をしたり。私が彼女たちの駆け込み寺になったのだ。
私も七転八倒しながら頑張ったのだが、結果は殆どの総合職女子は3年後には退職し、彼女たちの能力を生かしてくれる外資系の企業に転職していった。 そんな彼女たちだったが、今でも年賀状をいただくつながりがある。

それは私が30歳前半の頃だったから、彼女たちは今、55〜60歳になっているだろうか。私の人生で心残りの苦い想い出だ。

OUEN Japan のミッションの一つを『女性リーダーの育成』に、と思った背景には私のそんな想いがある。

40年前は私はまだまだ若僧であり(その若僧であったがゆえに44歳で退職に至ったのだが、それもまた良し)、時代のせいもあり、私の『女性リーダー育成』は頓挫してしまったのだが、今はダイバーシティ&インクルージョンの時代に変わりつつある時代であり、私も馬齢を重ね、頭は柔軟になってきている。
OUEN Japanで、黒子になって『女性リーダー育成』のお手伝いをしたいものだ。そのために、沢山の人たちのお力をお借りしながら、このミッションを果たしたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

✴︎ダイバーシティ(多様性)
性別や年齢、国籍、文化、価値観など、さまざまなバックグラウンドを持つ人材を活用することで、新たな価値を創造・提供する成長戦略。

✴︎インクルージョン(受容)
社員がお互いを認め合いながら、一体化をして目指していく組織のあり方。

✴︎ダイバーシティ&インクルージョン
多様性を受け入れることに加え、組織の一体感を誘発することで成長や変化を推進する取り組み。

女性らしい「変革型リーダーシップ」

来年のOUEN Japan はテーマを『女性(リーダー)の応援団』にしたいと思う。
私が今までお世話になり、物心両面において支えてもらっている女性(リーダー)への恩返しのスタートの年にしたいと思う。

そんなことを考えていて、ふと気が付いた。女性リーダー像は、私が目指しているそのものなのではないかと。

私は稲盛和夫さんを私淑している。稲盛さんが座右の銘とされていた『敬天愛人』は西郷隆盛が愛した言葉だ。そして、西郷隆盛も稲盛和夫さんも、それは懐が深い厳しくも優しい心を持った人物だ。人を包み込む器の大きさは桁違いだ。

稲盛さんは「利他の心」「愛と誠と調和の心」を説かれた。厳しさの中にある優しさこそが本物の優しさなのだと思う。

そんなことを考えていて、ふと、私を育ててくれた祖母のことを想った。
私は両親の仕事の関係で両親と離れて暮らした。生まれてから中学生まで祖父母に育てられた。高校は金沢だったために下宿せざるを得なかったが、それまでは祖父母との3人暮らしだった。私の育ての親は祖父母である。 

祖父にはいつも「日本のために尽くす人間になれ」と言われた。
“日本男子如何にあるべきか”、日露戦争で死戦を彷徨った人でしか発することができない「生き方」を教わったと思う。

一方、祖母は、凛とした上品な女性だった。そして「かかあ天下」そのものだった。
祖父を立てるが、極めて厳しいことも言う。祖母から口を利かないことも間々あった。間違っていると思ったことはガンとして許さなかった。優しさの中にも厳しさがあった。 私は祖母こそ”女性の鏡”ではないかと子ども心にそう思っていた。

そんな祖母を稲盛和夫さんの中に私は見ているのではないか。
稲盛さんは”女性の心”を持っていらっしゃる。

これからの日本は、今までの男らしいリーダーではなく、女性の変革型リーダーが必要とされているのではないか。

メンバーの意見に耳を傾け、モチベーションを向上させることが得意なリーダーシップだ。
信頼、モチベーション、組織力、コーチング力に長けている。優しさや周囲を気遣う心だ。

リーダーシップは指導力、統率力と表現されるが、そのベースには”女性らしい優しさやきめ細やかさ”があってこそ、人を愛する大きな器の人間になることができるのではないだろうか。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

産経新聞(令和4年11月29日朝刊)

新しいOUEN Japan を考える。

昨年数えで70歳になった。古稀を機に、ご縁があった南麻布の了聞・瑞華院において都市型納骨堂を求めた。いずれはふるさと能登にある先祖代々の墓仕舞いをして南麻布に移す予定だ。 また、古稀を機に、第一の生を終え第二の生をスタートする。雄々しく逞しく。それもあと半世紀。通算120年。ギネスものだ。

平成26年(2014年)1月に、NPO OUEN Japan を設立した。早いもので、来年1月で満9年になる。私が取り次いで、共立メンテナンスさんと東大および東工大が国際交流学生寮の提携ができた。それがOUEN Japan を設立する切っ掛けになった。 ハードばかりではなく日本や日本の企業を知る機会をつくってほしいという留学生の声があったからだ。

OUEN Japanのミッションは、
1.学生たちの応援団
日本人大学生と来日留学生の交流、および企業や地方自治体との交流だ。
若者たちが地域を知ることで地域に愛着を持って根を降ろし、地域を元気にしてほしいという想いがある。その具現化がOUEN塾だ。

2.企業の応援団
学生たちを応援してくださる協賛企業(OUEN Company)を応援したいと思う。OUEN Japan が企業同士の仲立ちをすることでビジネスはスムーズに展開することが間々ある。 成約の暁には、成約フィーをいただくことで、そのフィーはOUEN塾の活動資金に充当できる。

3.地域の応援団
企業の皆さんと学生たちが地域を応援する。OUEN Japan は黒子になって、彼らの応援を応援する。企業も学生も地域も皆んなハッピーになる。

OUEN Japan は皆んながハッピーになる黒子になりたいと思っている。

【OUEN塾】
元大蔵事務次官をされていた、東大応援部の大先輩である篠沢恭助さんから「OUEN Japan の理事の一人は国立七大学の総長経験者がいい」とアドバイスをいただき、元九州大学総長の梶山千里さんをご紹介いただいた。 梶山先生は理事就任を快諾してくださった。そんなご縁もあって、OUEN塾は福岡からスタートした。

福岡県
2018年に【OUEN塾in福岡】を、2019年と2020年に【OUEN塾in福岡・北九州】を開催した。期間は2月の4日間。

120名程度の学生が参加し、6グループに分かれて協賛企業を訪問し、経営者や先輩社員と交流した。最終日に福岡女子大キャンパスをオープンにしていただき、発表会とディスカッションと懇親会で締めた。

コロナが収束した暁には、エッジを効かせた企画を考えた【New OUEN塾】を開催したいと思っている。

石川県
OUEN塾の第2弾は、2020年9月に私のふるさとである石川県で開催した。コロナ禍の最中でもあり、オンラインでの開催になった。 コロナが収束したら、福岡同様の【New OUEN塾】を開催する予定だ。

【新しいOUEN Japan】
コロナ・ウクライナは、社会の在り方、私たちの人生の在り方を根本から変えてしまう出来事だ。
ちょうど私も第二の生をスタートさせたことでもあり、OUEN Japanも新たな視点で活動していこうと思う。
そのキーワードは、SDGs・サスティナブルな社会・ダイバーシティだ。これらのキーワードを念頭に置き、エッジの効いた活動を展開していきたい。

そのエッジとは?
→『女性リーダーの育成』

OUEN Japanは、その名の通り、日本を応援するNPOだ。日本を応援して元気にすることだ。
それは「女性が活躍する社会の実現」ではないかと思う。

【私の女性観】
私のふるさとである能登には「能登のとと楽、加賀のかか楽」という言い回しがある。
能登の女性は海女で海に潜って貝を採る。さらに坂本冬美の「能登はいらんかいな」の歌詞にもあるように、採った海産物を行商で売りに歩く。能登の女性は働き者で男衆は楽しているということだ。それに反して、加賀の女将さんたちは加賀百万石の城下町でいい着物を着て習い事は一つや二つ、おまけに美味しい食べ物に事欠かない。かか楽ということだ。

私は幼少の頃から中学生までずっと祖父母に育てられた。やはり能登はとと楽だと思った。
祖母はよく働く。東京広尾のお屋敷で女中奉公していたこともあって礼儀正しい。凛としていた。
祖父は日露戦争で金鵄勲章を受章した猛者だったが、穏やかで優しかった。祖母を「おかっさま(おかあさま)」と呼んでいた。祖父母の関係は孫の私からすればまさに「かかあ天下」だった。私には理想の夫婦と映った。 幼子のときの思いは今でも強く残っている。

そして、能登のとと楽と祖父母の関係は、私の中では全く矛盾していない。

私は女性に対してそんな思いがある。

【OUEN塾リーダー】
福岡でOUEN塾を開催するに当たり、大学を通じてリーダーを募集した。
梶山先生が福岡女子大学理事長兼学長だったこともあり、福岡女子大の女子学生が多く応募してきた。
北九州市立大学は男女共学だが、応募してきた学生は全て女性だった。
九大、福岡大、福岡工業大からは男女が応募してきたが、リーダーの7割以上は女性だった。
そんな男女の比率がまたちょうど良かった。男性がリードして女性がフォローするのが当たり前と思っていた私にはちょっとショックだったが、女性にリーダーシップがあることを彼女たちの言動から強く実感した。

【その他】
女子会がビジネスチャンスを生む。女性は初めての同性であってもすぐに仲良くなる。だから女子会がビジネスを生むのだ。
新婚家庭の賃借物件は殆ど女性が決めるらしい。消費の主役は女性だ。感性は女性が優れているように思う。
東京六大学応援団の内、女性の団長は東大と慶應と明治だ。
我が赤門鉄声会(東大応援部のOBOG会)の会長も女性だ。
ドイツ、スエーデン、ニュージーランド、台湾の政治のリーダーは女性だ。東京都知事も女性だ。

女性はピュア、真っ直ぐ。感性豊か。そして、産業の比重は、重厚長大産業から軽薄短小産業に、ハードからソフトに変わってきている。
現代は女性が得意とする産業の比重がますます増してきているのだ。

【私は女性に支えられて今日がある】
私はオールラウンダーではない。凸凹の能力だ。その凹んだところを埋めてくれているのは圧倒的に女性だ。
11月8日の私の古稀の誕生日は、9名の女性経営者ほか、リーダーの皆さんが祝ってくれた。

兎に角、女性は能力があるのに、それを日本社会はまだまだ生かしきれていないのが現実だ。

女性を応援することはすなわち日本を応援することになる。
それを男性が加わって一緒になって盛り上げていく。
私は応援団長だから、あくまでも黒子。黒子に徹することが応援の真髄なのだ。

そんなことで、今年のOUEN Japanの「応援=OUEN」のテーマを「女性リーダーの育成」にしたいと思う。

この一年、いろいろなシーンで女性を意識して応援していきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

想定外の人生が面白い。

11月3日の応援テクのパフォーマンスから間もなく1カ月が経つ。まだ両肩(特に左肩)の痛みが続いている。耐えることができない痛みではないが気が滅入る。これが老化なのか。毎日していたウォーキングもここのところ控えている。

昨日は月一の整体院でのマッサージだった。気分転換に外苑前から八丁堀まで約1時間半、ウォーキングで通院した。
海老原院長に事情を話した。海老原院長は身体のツボを入念にチェックして、いつもとは違ったマッサージを施してくださった。
約1時間の施術で少し楽に腕を回すことができるようになった。施術中にいろいろ話を聞いたが、これはいわゆる五十肩(肩関節周囲炎)のようだ。
五十肩は主に40〜60代に発症する(70歳の私が発症してもそれを五十肩と言うのであり、私の身体が若いというわけではない)。以前、50代に同様の症状が出た。60代半ばには右肩が痛くなった。今度は左肩だ。
五十肩は整形医で治療しても治らなかった。治るには時間を要する。私の場合、耐えられない痛みではないので、マッサージと適度な運動(ラジオ体操や日頃の肩回し等)で自然治癒を目指すことにする。

勿論、五十肩は老化の症状であることは間違いないが必ず治るものであり、さほど気に病むことではない。そう思ったら少し気分が晴れてきた。老化であっても老化ではないんだと。

海老原院長から「小林さんの身体は小林さんの身体であって小林さんの身体ではないんです。多くの人が小林さんを頼りにしているのですから、その人たちのことを考えて身体を労わることをしないといけません。そのために、出張もします。何でも言ってください」とありがたい言葉をかけていただいた。 歌の台詞で「あなた1人のからたじゃない」と言うのは男女の間の話だが、私のようなケースもある。「私の身体は私1人のためにあるのではない」と自分を元気づける。

昨日は大相撲九州場所の千秋楽だった。今度こそ高安が初優勝かと思いきや、本割りと決定戦の両方とも阿炎に負け、優勝をさらわれた。想定外だった。 サッカーW杯も日本はコスタリカに敗れた。これも日本人は想定外だったと思う。その他の試合でも想定外が一つならずある。

事ほど左様に、間々想定外は頻繁に起こる。想定外は想定外ではない。何事も諦めてはいけないと言うことだ。
チャーチルは言っている。「ネバーネバーネバーギブアップ」

想定外であって想定外ではないことが起こるのが人生。だから人生は面白い。人生はやめられない。

あと半世紀の命。さりとていつおさらばということになるやも知れず。
せいぜい人生を楽しもう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

七朋会幹事会を開催する。

コロナ禍でなければ11月の最終土曜日は『七朋会』の開催日だ。
今年は何とか開催できるのではないかと思い東大駒場生協食堂を予約していたが、大学からそのお許しが出ない。では、学士会館はどうかと聞いてみたら、100名を超える人数を収容できる部屋(201号室)は予約が入っていた。
それではどうしようかと、七朋会幹事で相談した結果、幹事が集まって七大学応援団の文集(『七大学応援団(部)語り尽くし』)作成のための打ち合わせをしようではないかということになったのだ。

打ち合わせ場所は、狭いながらも集まるには至便の私の事務所にした。

木村(北大)、木島(東北大)、小田(名大)、日吉(京大)、竹田(京大)、楠原(九大)、小林(東大)と、飛び入りで偶々東京に出張していた羽田野(九大)の8名とZOOMで参加の北川(阪大)の総勢9名だ。

15時から17時まで事務所で打ち合わせをして、都合がつく有志6名で17時から近くの外苑飯店(台湾小館)で2次会だ。この店は台湾人が経営しており、青山らしくないリーズナブルで美味しい中華料理店だ。私は時々利用する。

アナログで生きてきた私たち応援団OBだけでは、デジタルのこの時代、コンテンツはあっても皆さんに喜んでもらえる制作物はつくることができない。その道のプロのお力をお借りしなければどうしようもない。
ということで、来年1月28日(土)10時に再度、私の事務所に集まることになった。それまでその準備のための作業はそれぞれが行う。そして、応援団らしく、その日はお昼に『七朋会幹事新年会』を開催しようということになった。

兎に角、応援団の仲間はシンプルに分かりやすく気持ちがいい。ザックバラン。付き合っても全くストレスが溜まらない。溜まったストレスも解消される。私の場合、それは七朋会が一番だ。

それは、皆んな「情がある」「心が温かい」「駆け引きが全くない」「シンプルで」「人間として常識がある」「愛すべき」人間なんだろうと思う。 勿論、応援団でもそうでない人間はいる。人間世界だからそれは当然だが、その比率は応援団は、特に国立七大学応援団は、最高に低いと思う。

その昔、流行った「嗚呼‼︎花の応援団」は応援団を面白おかしくデフォルメしている。そういう一面があるが、それは応援の本質ではない。 応援とは、人間として生きる原点であり、そのことを真剣に、真面目に、考え生きていくことなのだ。
七朋会のメンバーに会うと、それが幸せに生きる最短距離なのだと、心からそう思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

「人の念いに応える」ということ

真夜中にblogを書いて一寝入りして5時前に目覚めた。
夢に仲人をしていただいた岡田和郎さんが出て来られた。初めてのことだ。

岡田さんは、私が安田信託銀行に入社した時の人事部研修室長だ。当時、採用は人事部研修室が担当していた。岡田さんは実質の採用責任者だった。昭和32年入社、早稲田大卒、広島県尾道市出身。 村田英雄似で、村田英雄を優しくした風貌。穏やかな心優しい人だった。人を大切にする人で、公平無私。私はそのお人柄に惹かれていた。 総合職同期は47人いたが、同期の中でも特に私を可愛がってくださった。彼は依怙贔屓をする人ではない。私が勝手にそのように思っていたのだ。

妻は安田信託銀行の同期で、岡田さんのことを私と同じ気持ちを持っていたようだ。
そんなことで、岡田さんに結婚式の仲人をお願いした。

奥様は岡田さんが癌で余命幾許もないことをご存知だったようだ。
奥様は「小林さんの仲人はお断りしたほうがいい。仲人をお引き受けしたら、将来にわたり小林さんの面倒を見て差し上げないといけないのに、きっとそれは叶わないだろう。小林さんに申し訳ない」

岡田さんは「小林君は安田信託銀行できっと偉くなるだろう。安田信託銀行を支えていってもらわなければならない人材だ。だから三顧の礼の想いで採用した。将来の面倒は見ることはできないかもしれないが、折角のお話だ。ありがたくお引き受けしよう。引き受けたい」と仰ったそうだ。後で奥様からお聞きした。

私の仲人をされてから半年後、岡田さんはお亡くなりになった。45歳だった。

私は44歳6カ月で安田信託銀行を退職した。もし、そのおり、岡田さんがご存命でいらしたら、そして岡田さんに「退職するな。これからの安田を支えてほしい」と説得されていたら、私は安田を辞めることをしただろうか。私は辞める決断ができただろうか。

これも全て運命であり必然なのだろう。岡田さんが若くしてお亡くなりになったことも、私が44歳で安田を辞めたことも。

思いは想いになり、念いになる。そして、それが事を成就させる。そして、そのような昇華する「おもい」を持つことができる人は幸せな人生を生きることができる。

まず、想うことだ。そして念うに至るまで、「おもい」を高めることだ。

ゼオライトの河村会長は広島県尾道市瀬戸田出身だ。瀬戸内海にある島のご出身だ。昨日もマスカットと瀬戸田のみかんが会長から届いた。

同じ広島県尾道市ご出身の岡田和郎さんが夢に出てきてくださったのだろうか。

私は岡田さんの想いを果たすことなく安田信託銀行を退職したが、岡田さんが私に期待されていたことは「人間として素晴らしい人間になること、人のために尽くす人間になること」であると私は勝手ながらそう思っている。

私が岡田さんを尊敬し慕っていたのは、銀行の大先輩としてではなく、『人間岡田和郎』としてだったからだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

「たすけにこたえる=応援」と言うこと

「たすけ」を漢字にすると、「助け」「佐け」「佑け」「援け」「救け」「輔け」「補け」「扶け」等がある。ニュアンスは少しずつ違うところがあるが、その意味する心はほとんど違わない。

援助、救援、補足、輔弼、補佐、補助、救助、扶養、応援、天佑、佐幕等々。

「たすけ」でこれだけ多くの漢字が当てられている。

「人間とは何か」
「人間とは如何にあるべきか」「人生如何に生きるべきか」
等、人間を考えるにあたり、この「たすけ」という言葉が全てを言い表していると言っても過言ではないだろう。

「人は人のために生きる」「人はたすけあって生きる」ことが『人としての生き方』なのだと思う。

「たすけにこたえる」→「援けに応える」→『応援』とは、そんな「人間とは如何に生きるべきか」と言う哲学的意味がある、人間の目指すべき在り方を言い表している言葉だ。それは『応援の心=利他の心』なのだ。

チームを応援すること、人を応援することから、もっと個別的に「団長、頼みます。よろしくお願いします」と、私を信じて託してくださった想いに応えることは、当に『応援』ということではないか。それは『利他』である。そのことが稲盛さんの教えではないのか。

1人でできることは限られている。そして、人間の命は有限であり、その時はいつか神ならぬ身にとって知るすべはない。さすれば、与えられている命を大切にすること、健康には一層留意することで生きること、信頼に応えることだ。援けに応えることだ。

自分が渦の中心になる、信頼できる人たちのお力を最大限に借りることをしなくては、その期待に応えることはできない。多くの人を巻き込むことだ。 そして、人を大切にすること、人に感謝すること、謙虚に生きることをしないと人は応援してくださらない。情けは人のためならず。

これが「生まれ変わった」ということか。見える世界が違ってきている。倍返し、3倍返しは美しい心でないと人は幸せにはなれない。

真夜中に目覚め、いろいろな思いが脳裏を巡る。そして、思いが想いになる。そして、それが念いに昇華していく。人生とはそんなものだ。それが幸せな人生を生きるということだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

『顧客感動の3倍返し』を誓う。

一昨日から2日間、1泊2日の夫婦揃っての福岡旅行を無事終えることができた。
一般的には無事であれば「無事何事もなく」と表現するのだが、今回の旅行は「無事」ではあったが、想定外の事があり過ぎた「記憶に残る素晴らしい旅」だった。

マーケティング戦略には、「顧客満足(カスタマーサティスファクション=CS)」と「顧客感動(カスタマーディライト=CD)」と言う言葉がある。
企業には顧客の期待水準を満たすCSが求められるが、さらにその上を行く目指すべき企業とは、CSをさらに発展させ顧客の期待以上の品質やサービスの提供を行なうことで顧客の予想外の「感動」や「歓び」を与えるCDを追求することだと言うのだ。 今回の福岡旅行は、CSを超えたCDの塊の、一生の記憶に残る忘れることができない感動の旅であった。

半澤直樹の「倍返し」がある。
そこに欠けていることは「人間への愛」ではないだろうか。そこには「恨み」「憎しみ」「裏切り」と言う言葉はあっても、ほんとうの「愛」と言う美しい言葉はないように思う。そんな倍返しは憎しみの倍返しが繰り返されるだけだ。 本来の目指すべき「倍返し」とは、「愛の倍返し、3倍返し」でなければならない。

私は今回の旅で決心にまで至ったことがある。それは、ゼオライトの河村会長に対し「愛の3倍返し」をしなければならないということだ。いや、しなければならないのではない、心の底から「愛の3倍返し」をしたい、そうするのだ。

稲盛和夫さんは「愛と誠と調和の心」と仰る。河村会長も私も稲盛さんを私淑する人間である。
「愛と誠と調和の心」を持って、これからの人生を逞しく生きていこうと思う。

ここのところ、「老化」と言う言葉を身に沁みて感じている。
老け込むというのではない。心はいつまでも青春だ。しかし、それに伴う身体はどうしても衰えてくるのは自然の摂理だ。身心一如である。身体が衰えたら心も衰える。それではいけない。 身体の衰えをしっかりと自覚して、身体と真正面から向き合い、身体を騙し騙しして心を強くすることだ。
私は人を騙すこと裏切ることは絶対にしないが、自分の身体だけは別物だ。
汝自身の身体を知って、騙す強かさを持つことだ。何せあと半世紀は身体とお付き合いしなければならないのだから。

今日は偶々、ゆっくりとできる一日だ。身体を休め、心を整える一日にしようと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

ゼオライト(株)の経営陣の皆さんから温かいおもてなし をいただく。

日本人大学生および来日留学生の応援団として平成26年にNPO OUEN Japanを立ち上げた。それまでは、私にとって福岡は、銀行時代に2〜3回くらい出張したくらいのご縁でしかなかった(私は安田信託銀行時代、7年3カ月の長きに亙り人事部門だったが、そのおりに人事部臨店と称して本部から福岡支店を訪れ人事面談をした)。銀行では全員、年に一度、自己申告書を人事部に提出する。自己申告書には、次に転勤したい部署をチェックする欄があるが、国内外を含め最も人気がある地方は福岡と札幌の2都市が争っていた。福岡はそんな超人気がある都市だ。
私は札幌支店は課長時代に2年の勤務経験があった。次の地方支店は福岡へ支店長で転勤したいと思っていたが、その願いを叶えることなく、44歳6カ月で銀行を辞めてしまった。
そんなことで、私の思いの中で、福岡はずっと未練ある都市だった。その福岡がOUEN Japanを立ち上げたことで、私の第2のふるさと(第1のふるさとは私が生まれた石川能登)になったのだ。

元九州大学総長の梶山千里さんにOUEN Japanの理事にご就任いただき、梶山先生から「先ずは、福岡でOUEN塾を始めたらいい。応援する」と言われ、九州電力やJR九州、西鉄をはじめとする福岡の大企業をご紹介いただいた。その他、伝手を頼って中堅企業や福岡らしい個性ある元気な企業を訪問し続け、月に1週間の頻度で福岡に通い続けた。
やっと3年後に皆さんのご協力を得て【OUEN塾in福岡】を開催することができた。2回目からは北九州市の企業も加わって【OUEN塾in福岡・北九州】を開催した。毎年2月、年1回の開催を3回続けたが、現在はコロナになって中断を余儀なくされている。
そんな思い出のある福岡だ。それだけでも私にとって福岡は第2のふるさとなのだが、ゼオライトの皆さんに巡り会ったことで、その想いはさらに強固なものになった。

昨日、夫婦で福岡に出向き、ゼオライト(株)河村会長をお訪ねして、故河村恭輔名誉会長の三回忌のお参りをした。

ゼオライト(株)は、故河村恭輔さんが1969年(昭和44年)11月に個人事業として福岡で創業された会社だ。それから同社は、半世紀あまりの満53年、福岡では押しも押されもせぬ超優良中堅企業に成長している。

水処理エキスパートのゼオライト株式会社
zeolite.co.jp

私と同社との出会いは、ザイマックス藤原常務のご紹介だ。
令和3年4月7日、福岡市博多区那珂の本社を訪問し、嶋村社長にお会いしたのが最初だ。6月には東京支店長の杉常務にお会いして、それから同社のお手伝いがスタートした。
それから1年半。決して長くはないが、そのご縁は生涯に互りお付き合いする深く清いものになった。

昨日は、河村会長・嶋村社長・松井専務・岸田専務・杉常務から温かい最高のおもてなしをいただいた。ありがたく深く感謝するものである。

私は顧問として、私の人脈をフルに生かして同社ビジネスのお手伝いをしてきた。
それには、同社社員の皆さんの温かいお人柄に惹かれてご協力をすることは吝かではない、全力投球をしようという想いだ。
しかし、それだけではいけない。何かが不足している。それは戦略や戦術というものではない。勿論、戦略や戦術は必須ではあるが、そこに理念や志という言葉で表される経営哲学・人間哲学がベースになければならない。
そしてそれは人ごとではない、自分ごととして、同社に関わらなければならないのだ。外から見るのではなく内側から見て考えることだ。

経営には哲学が必須だ。その経営はビジネスであり、人間如何に生きるべきかである。
同社は半世紀あまりを経てその経営は揺るぎないものになった。そして、これから半世紀と言わず一世紀に亙るまで永続していくことが求められている。
その未来を見つめる大局観が私に求められている。同社経営に自分ごととして関わること、私の得手をフルに生かすことで同社の成長発展に尽くすことが求められているのだ。

今、その想いを故河村恭輔名誉会長、河村勝美会長に心から誓うものである。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)


ご自宅の伏見稲荷を背に、河村会長と写す。


ゼオライト(株)の経営陣と写す。後列左から、岸田専務・松井専務・嶋村社長・杉常務。

「女性リーダー育成」の旗を立てる。

昨日は「ミニ重陽の会」を御成門で行なった。ランチを味芳斎支店、すぐ傍の昔ながらの喫茶店でお茶をして、楽しいひと時を過ごした。

味芳斎は永田さんの行きつけの行列ができるお店であり、今回の主催者である范さんのお勤め先の会社の傍だった。
都合がついて集まったのは范さん、水谷さん、裕美ちゃん、永田さんに私の5名だった。裕美ちゃんは急遽参加になった。
私はお昼に、彼女のお仕事が終わって日本橋三越でお茶でもしようと会ったのだが、彼女の次の用事が御成門の近くで、ランチとお茶をしても余裕で間に合うことが分かったので、彼女を誘ったのだ。

永田さんや私にとって彼女たちは歳の離れた妹であったり娘であったりする女性たちだ。彼女たちと自然体でザックバランな話に花を咲かせることができることは、それは楽しいことだ。 私の友人知人たちは「どうして小林がそんな娘のような女性たちと」と思うらしく、実に不思議がる。
私はこの歳になって、妹や娘でなくてもお姉さんとでも全く同じ気持ちでお付き合いができるようになった。
友人知人たちと違うのは、私が「生まれ変わった」ということだろうか。現年齢は0歳6カ月の赤ん坊。幼子にもなっていない。

私が銀行時代の20代の後半、神戸支店勤務の時、その時の西前支店長はお茶目な愛すべき支店長だった。彼は私を評して、「小林は幼子のような心を持っているな。だからどんな人の懐にもスーと入っていく。図々しいが嫌われない不思議な男だ」と妙なところで褒めていただいた。 私には天性のそんなところがあるのだろう。せっかくの天性を生かして生きていきたいと思ったことを今でもしっかり覚えている。
妻も「お父さんは今が一生に一番のモテ期なんです」と言う。これも古稀という歳が輪をかけている。

コロナの第8波に突入して、年末年始にピークを迎えるとか。いつになったら終わるのかもどかしいが致し方ない。
いつも開催していたOUEN望年会は今年も取りやめることにした。これで3年パスすることになる。
新年会をと思うが、第8波のピークを過ぎても通常通りというわけにはいかないだろう。

ちょうど生まれ変わったことでもあり、小規模でもOUEN Japanのミッションを見つめ直し、エッジを効かせた新年会を考えようと思う。
ちょうど「重陽の会」を立ち上げたことでもあり、この会を核にした「女性リーダー育成」をキーワードにしたイベントを考えよう。そして、「重陽の会」メンバーには女性のお友だちを連れてきていただこう。 また、西武信用金庫の髙橋理事長は、念願の一つであったと仰る「女性後継者の会」を立ち上げられた。髙橋理事長にもご協力をお願いしてみよう。

そんなこんなで、OUEN Japanは「大学生・留学生の応援団」のみならず、「女性リーダー育成のサポーター」の旗を立てようと思う。 それが日本を元気にするのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)