「人は人のために生きる」

私は、OUEN塾をいろいろな方面でご支援いただいている企業をOUEN Companyと称している。九州北部や北陸でのOUEN塾開催の協賛していただいたり、寄付をいただいたりして、OUEN活動をご支援いただいている。また、OUEN Company同士のビジネスマッチングやビジネスコラボレーションをサポートすることで、成約のおりには幾ばくかの報酬をいただき、それをOUEN活動の原資にしている。

志があっても資金がないと想いは果たすことができない。さりとて、寄付はそんなに簡単に集まるものではない。そこで私は、OUEN活動(ボランティア)の原資のほとんどをOUEN Company同士のマッチングから稼いでいる。
とは言っても私はどんな会社でも応援できるわけではない。身は一つであり、私の人脈も限りがある。私の個人的人脈とキャラからのマッチングであるから、必然的に私が応援企業を選択するということになる。
私は、頼まれたことは私ができる限りそれに応えようと努力してきた。昔は”ダボハゼの小林”と言われていた。何にでも飛びつくからだ。しかし、最近ではだいぶん変わってきたように思う。それは、「コモディティ商品&サービスはできるだけ扱わないことにしている」ということだ。価格だけで勝負という商材&サービスの紹介はよっぽどのことがなければしないことにしている。「他との差別化が明確なものに特化している」ということだ。

ビジネスマッチングを始めた当初は、トイレットペーパーのセールスマンをしていた。大学の同期で偉くなった友人たちを訪問して、その会社や関連会社で使っていただくお願いをしていたものだ。友人からは「東大まで出て、何をしているんだ」と言って、有難いことにきちんと紹介してくれた。持つべきものは友だ。
しかし、私がする仕事ではないと思いながらのセールスだから全く面白くはない。世の中にあるビジネスは公序良俗に反しないものであれば全てに意味がある。しかし、天が私に与え給うたミッションでなければ、それは私がする仕事ではない。それは極論を言えば「渇しても盗泉の水を飲まず」ということだ。そんなことを考えながら馬齢を重ねて古稀に至ってしまった。そして第2の生が始まり、コスパを高めて意味ある仕事をしようと思う。

昨日は鶴見製紙の松村さんが、女性をお二人お連れになって私の事務所にいらした。同社は古紙を原料にしてトイレットペーパーを製造しているが、このトイレットペーパーはコモディティ商品の最たるものだ。しかし、同社は古紙の原料を機密文書に特化している。リサイクルに加え、機密文書の処理は情報セキュリティ、時間と経費削減にも貢献する。これなら大いにお手伝いできる。その流れでコモディティを扱うのであればそれは良しだ。私がご紹介する商品&サービスは、OUEN Companyの皆さんに「流石、小林が持ってくるものは一味違っている」と感じていただくものだけにしたいと思っている。

暦は7月になった。本格的な夏の到来だ。コロナと熱中症対策をバランスよくコントロールしなければならない。
今朝は5時半から2時間半に亙り速足ウォーキングを熟した。早朝ということもあり、神宮外苑では人影はまばらだ。皆、マスクはしていない。マスクを手に持っている人もいるが、ポケットに忍ばせているのか、皆さん楽しそうに朝の空気を吸っている。この3年間でコロナ対策は学んだのだろう。国に言われてマスクをすることはない。自分の頭と経験で行動することだ。

「人は人のために生きる」
前者の「人」は自分だ。後者の「人」は自分であり、その他の人だ。人は勿論自分のために生きて、自分ではない人のためにも生きてこそ、「人」になることができる。私は、そんな「できた人」になりたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

一日24時間を二倍の48時間にして生きる。

12時57分金沢発のはくたかで東京に帰る。東京着は15時52分。乗車時間は2時間52分。金沢⇄東京間の日中の北陸新幹線ははくたかがほとんどだ。富山、長野にしか停まらないスーパー特急のかがやき(乗車時間は約2時間半)は朝と夕の時間帯のみのようだ。 30分弱の違いだが、はくたかでも3時間弱で東京に帰ることができる。急いだ旅ではないので、30分遅れてもどうということはない。

今日の午前は、真柄建設真柄社長、加賀建設鶴山取締役を訪ね、日東商事の馬場さんからスーパージオ工法のプレゼンを行なった。先方はプロであり、彼らからいくつかの厳しい質問が投げかけられた。私は彼らとは親しい仲であるので、ズバリ本音を言ってくれたのだろう。ありがたいことだ。

この工法の実績は全国で3,000箇所に及んでいるらしいが、今まで同社はメーカーの立ち位置でのビジネスだった。これを全国に展開していきたいと考えている。メーカーでありながら施工会社を目指す。その点ではゼロからのスタートである。
そんな時に私が関わることになったのだ。私の行動力と手持ちの人脈、そして創意工夫を駆使した小林ならではの人脈開拓を期待されてのことだ。その責任は重い。やりがいがある。 そして、これが、私のミッションである「地域創生」に密接につながっているのだ。チャレンジのしがいはある。面白いと思う。

金沢には観光客がだいぶん戻ってきているようだ。タクシーの運転手も明るい声でそのことを喜んでいる。
何せ金沢は武家文化の古都として、そのプライドは半端ではない。
全国至るところに「小京都」と称している街があるが、金沢はそうではない。金沢は小京都と言われることを潔しとしない。京都は公家で金沢は武家だと言う、独自文化を持っているという拘りがある。孤高のプライドだ。私はこんな金沢が大好きだ。媚びず、真似せず、自らの個性を、淡々と、しかし堂々と、自然体でアピールする。全く外連味がない。金沢は私のふるさと石川県の誇りである。私も、そんなプライドある人間になりたいと思う。

16時に東京に到着して、ank榎森さんといろいろ打ち合わせをする。最終的に「地域創生」につながるビジネス&ボランティアにしたいと思う。 ビジネスは自分がつくるもの。泉が湧き出すように、ビジネスは湧き出してくる。
ビジネスは遊びだ。遊びながらビジネスする。ビジネスしながら遊ぶ。それがベストだ。仕事≒遊びが一番長続きするのだ。これが理想のビジネス&ボランティアの在り方だ。 生涯現役でそんな生き方をしていきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

穏やかな第二の生を生きていく。

2ヶ月半ぶり、一泊二日の金沢出張に来ている。今回は、日東商事の馬場隆太郎さんと同行出張だ。馬場さんは同社馬場社長の御曹司。平成3年生まれの30歳の若者だ。東大3年後輩の竹本毅さんのご紹介だ。

馬場さんと初めてお会いしたのは出陣式の時だから、まだ1ヶ月も経っていない。親子ほど歳が離れた二人だが、10年来の友人であるかのように腹を割って人生論を語り合う仲になった。
人間同士の関係は付き合いの長さではない。相性もあるが「人間如何に生きるか」という人生観、生きる姿勢が共通しているか否かの問題のような気がする。たとえ歳や性格が違っても追求する人間像が同方向ならば、その違いを軽く超越することができるものだ。

昨夜は、金沢片町の超人気店である「かぶ菜」で日本海の珍味を堪能した。前回は若女将の前田有紀さんに予約の電話を入れたが、いくら何でも出張の前日だったので、予約が埋まっていて行くことができなかった。今回は満を持して半月前に予約したので、滑り込みセーフだった(写真は若女将の前田有紀さんと馬場隆太郎さん)。馬場さんもたっぷりと日本海の美味を堪能したことと思う。

私の後半生のミッションは「地域創生」だが、そのためにはいくつかの武器が不可欠と思う。武器なしの手ぶらでは戦おうにも戦うことはできない。
その武器の一つが同社の特許工法であり、その武器を馬場さんと二人三脚で全国行脚しようと思っている。そのスタートが北陸であり、九州北部だ。ここで実績を作って全国に拡げていきたいと思う。老人と若者の弥次喜多珍道中だ。

OUEN望年会は、老壮青の男女が入り混じって和気藹々、お互いを尊敬し合いながらも対等な関係の実に珍しい会になっている。
このような関係の仲間たちが21世紀をつくっていくのだ。もう「大きいことはいいことだ」の時代は20世紀でおさらばだ。これからは「小粒でもピリッと辛い山椒のような個性ある仲間たちが、緩やかな関係を保ちながら、お互い束縛されることなく、自由闊達に仕事&遊びをするチームプレイ」が時代をつくっていくのだ。

若女将とは久しぶりだったが、彼女の第一声は、しみじみと剃髪頭の私を見て「小林さん、穏やかになられましたね」と一言。「小林さんは剃髪が似合う」「剃髪すると穏やかな心になるのかな」だと。髪の毛があった私はそんなに角張っていたのだろうか。

そうかもしれない。
戒名が本名になって、戒名に相応しい生き方をしようと思っている。陽のエネルギーを沢山集めて、陽のエネルギーを持った人たちに沢山集まってもらって、みんなが幸せになるように愛を広めていこうと思っている。

第一生では自分の名前をそれほど意識して生きていなかった。ほとんどの人はそうなのではないか。戒名をいただいて生きている人もいるだろうが、どれだけ戒名の意味を意識して生きているだろうか。少なくとも私は戒名の意味を強く意識して生きている。そして、第二の生ある限り、意識して生きていこうと思う。それだけでも生前葬をした意味があったと思う。

人間争っても、何の益はない。苦があるだけだ。その苦は楽しめる苦ではない。本当の苦は楽しむことができて、血肉になる苦だ。そうでない「人間を人間で失くしてしまう苦」は醜い苦だ。

「苦を磨き砂にする」
「苦を楽しむ」
そんな苦労をして生きていきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

「手段の目的化」と『目的の手段化』の大違い

今朝も3時前に目が覚める。そして、何はということなく床の中で20〜30分沈思黙考するのが日課になっている。
そんなことで、いつも3時半には事務所に着いて朝食前の一仕事(?)をする。
6月は夏至の月であり、家を出る時には一日の光明が薄く差し出している。そして、「さぁ、今日もこれから頑張るぞ」と気合いが入る。

中学2年生だったと思うが、戦後日本復興の立役者であった吉田茂元総理が亡くなり、戦後最初の国葬が執り行われた。その時、私も「国葬をしてもらえるような人間になりたいものだ」と作文に書いたことを覚えている。言葉足らずで「私は国葬になりたい」と書いたものだから、先生が授業中にクラスの皆んなのいる中で「小林君は国葬になりたいんだそうです」と笑いながら私を揶揄ったことを覚えている。
そして、高校では代議士、大学では官僚、会社に入っては社長と、「坂の上の雲」ではないが、私は「末は博士か大臣か」という上昇志向の人間だった。しかし、40代前半に稲盛和夫さんの盛和塾に出合い、その考え方は180度ひっくり返った。コペルニクス的展開だ。

盛和塾に入塾して「人は何のために生まれてきたのか」「人の幸せとは何か」を根源的に考えるようになった。44歳6ヶ月での銀行退職の引き金はこんなところにもある。

人は幸せを追求する動物である。幸せな心を感じるのは人間以外にはいないのではないか。「幸せになること」が人生の最終目的ではないだろうか。そのために人間は毎日を一生懸命に生きていく。 そして、私は「応援」と言うキーワードをそのベースにしている。

平成26年にOUEN Japanを設立した。当初は学生たち(大学生や留学生)の応援団になりたい、彼らの応援団長になって、彼らに「ありがとう」と言ってもらいたい。それが私の目的だった。そして、そのことを実現するために、彼らに関わって応援してくださる多くの企業の皆さん(OUEN Company)の応援団長になることも私の目的になった。そして、学生たちとOUEN Companyの皆さんと共に手を合わせ(協働して)、私たちが住み、働き、学ぶ、地域を元気にする「地域創生」が目的になった。
一つの目的が手段化する。そして、その手段を使って新たな目的を果たそうと思う。そしてまた、その目的が手段化して、次の新たな高みに登っていく。そして、人は最終目的である「幸せ」に到達するのだ(勿論、その過程は全て「幸せな心」である)。
「健康」というキーワードも然り。人間にとって健康になることは目的であり、健康であることは「世のため人のために尽くす」ための手段である。健康でなければ人のために尽くすことなどできはしない。

44歳までは上昇志向が強かったが、それはあくまでも「幸せになるための手段」であるはずだ。しかし私は、それが目的化してそこで終わっていたのだ。 それが冬の日本海に揉まれて、地位や名誉には拘らなくなってきた。
私は、「人間としての幸せ」を追求することが最終目的であると確信したからだろう。

そのために、日々努力精進していく。自らの「幸せ」のために。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

「悪い煩悩」を剃っているか。「良き煩悩」を剃ってはいないか。

まだ6月だというのに、昨日は東京も真夏が一足飛びにやってきたかのような真夏日の一日だった。今日も同じく猛暑の一日らしい。

昨日の日中でのウォーキングは熱中症の危険があり、いくらウォーキングが趣味の私でも事務所に篭りきりだった。
これからこんな日が続くのだから日中のウォーキングはやめて早朝ウォーキングをすることにしようと思う。ということで、今朝は6時前に外苑前の事務所を出て、四谷〜新宿〜千駄ヶ谷と約2時間の早足ウォーキングで気持ちのいい汗を流した。ついでにJR新宿駅のみどりの窓口で、7月19〜22日の九州〜関西出張の切符を買い求めた。
6時過ぎはまだ人通りはほとんどない。私と同年代のご夫婦が犬の散歩がてらゆっくりと散策しているくらいだ。私はマスクを外してウォーキングだ。外出でも人がいなければ気兼ねなくマスクは取って問題ない。日本人は同調圧力に弱いから、そんな時でもちゃんとマスクはしている。自分で考えて取ったり付けたりでいいのだがとも思う。

8時半、事務所に戻って朝風呂に浸かり、髭と頭を剃る。ここのところ頭も毎朝剃っている。
やはり、剃らないと気分が良くない。髪は短いほどよく手入れをしなければ見苦しくなる。特に高齢者と言われるような歳になると意識して小綺麗にしていることが大切だと思う。 これは身支度だけに限らない。若い時には無意注意で良かったのだが、高齢になると全てのことに有意注意であることが長生きの秘訣ではないかと実感している。 2月4日の立春に新宿の公園で高転びに転んだのも、私が、この「有意注意」でなかったからだ。

私は同年代の男性の平均よりも髪の毛は多い。少しずつ細く少なくなっているが、まだまだ多いと自覚して喜んでいたが、そんなことで喜んでいてもそれは低レベルのことで喜んでもしようがない。 髪は毎日少しずつ伸びている。だから剃りがいがある。
福井住職の仰る通り、髪は煩悩の象徴であり、人間は生きている限り煩悩を消すことはできないのだろう。特に私のような髪の毛が多い人間は煩悩も人以上に持っていると思う。 その煩悩を消すことが仏の道に入ることだと思っていたがそうではないらしい。
煩悩があることで人間は成長し、世の中は進歩してきた。しかし、その煩悩があるせいで、ウクライナ危機のようなことも世界から消えることはない。前者が「良き煩悩」であり、後者が「悪い煩悩」だ。 煩悩を無くすような無理はせず、無くすことができない煩悩をできるだけ「良き煩悩」にする努力をすることだ。そのために生涯をかけて努力精進することだ。

今日の剃髪では、「悪い煩悩」を剃ったのか。「良き煩悩」を剃ってはいないか。
そんなことを考えながら、剃りがいのある剃髪をして今日の一日をスタートさせた。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

「隙間商品開発研究会」でのZOOM講演

昨日は、ニッチの会主催の「隙間商品開発研究会」に講師としてZOOMにて講演をさせていただいた。
この研究会のメンバーは、ニッチ商品・サービスに実業として関わっていらっしゃる人たちである。私は、ある人に言わせれば「何でおまんまを食べている人か分からない」人間、「虚業で生きている」人間であることは確かであり、皆さんのご参考になる話ができるだろうかと思った。
しかし、こんな人生を送っている人間がいることをお話しすることが、皆さんのこれからの人生や仕事の在り方に何らかのお役に立つこともあるのではないかと思い、ZOOM講演の講師を引き受けたものだ。資料として、6月4日の出陣式のおりの「私のご挨拶」(添付)を皆さんに送らせていただいた。

ZOOM講師のお話しは、九州北部信用金庫協会の篠原専務からいただいた。
篠原さんとお知り合いになったのは、NPO OUEN Japanを設立(平成26年1月)して間もない頃だったと思う。
NPOの筆頭理事の梶山先生(元九大総長、その当時は福岡女子大理事長兼学長、現在は同校最高顧問)から、OUEN塾(学生たちと地元企業の交流イベント)の第一号は福岡ですればいいとの進言をいただいたことで福岡に出向くことになった。
その開催のため、地元の企業と大学の皆さんにご協力いただきたいとお願いをする訪問を、4泊5日で毎月福岡出張をしていた最初の頃だ。それは平成27年ではなかったかと思う。
親しくさせていただいている西武信用金庫の髙橋理事長が「福岡でOUEN塾を開催するのであれば、信用金庫がキーになるだろう。九州北部信用金庫協会の篠原専務を紹介するから、訪問して相談に乗ってもらったらいい」と篠原専務をご紹介されたものだ。

梶山先生からは、福岡の7社会(九電、JR九州、西鉄、西部ガス、九電工、福銀、西日本シティ銀)のトップの方々をご紹介いただいたが、地元経済の根っこを支えているのは地元の中小企業であり、中小企業が元気にならないと地域創生はできない。大中小がともに手を携えてこそ地域創生ができるのだ。
まず、学生たちに、彼らが住み、学び、これから働く、地元をよく知ってもらうことが地域創生につながる。地域創生までには迂遠と思うかもしれないが、地道な一歩一歩の積み重ねが夢を現実に変えていくのだ。

そんな想いを持って第1回のOUEN塾を福岡で開催しようと思った。そして毎年2月に4泊5日のOUEN塾を3回開催してきている(ここ2年はコロナで開催できてはいないが、来年から学生リーダーを募集して趣向を変えたNew OUEN塾を開催したいと考えている)。

OUEN JapanはNPOであり、その活動資金は、NPO の目的をご理解いただいた企業や個人の浄財が望むところだ。しかし、私個人がいくらそのことを説いても、なかなか浄財は集まらないのが現状だ。それなら、企業のビジネスをサポート(売上拡大、経費削減に寄与する)することでその成約報酬を源資にすることであれば、企業の支援はスムーズにいただけるだろう。そんな想いで、企業同士のビジネスマッチング、ビジネスコラボレーションのサポートに傾注している。私はこれら企業を勝手にOUEN Companyと称しており、現在、OUEN Companyは首都圏を中心に、OUEN塾を開催している九州北部や私のふるさと北陸地区、それに関西、東北、北海道と200社は超えるまでになった。

稼いでそのお金をOUEN塾活動に使う。何でそんなことをするのか。それは私が幸せな心になりたいからだ。人さまが喜んで下さることをすると、こちらは幸せな心になる。 人間は幸せを求めて生きている動物だ。その「人間の在りようの基本」を私は応援部で学んだ。

私は東大応援部で応援漬けの大学生活を送った。「何学部を卒業されたのですか」と聞かれても恥ずかしくて法学部でしたとは言えない。しかし、胸を張って応援学部でしたとは言える。誰よりもそのことは自信を持って言えるほど応援部に浸かっていた。 そして、そこで学んだ東大応援部の「3S-Spirits(Service、Sacrifice、Study)」は、今、私の生きる哲学(応援哲学)になっている。 私は、Serviceを社会貢献、Sacrificeを活私奉公、Studyを人生修養と意訳しているが、これが私の応援哲学である。

また、私は稲盛和夫さんを私淑している者ではあるが、稲盛さんの「6つの精進」も私にとって大きな支えになっている。
それは、誰にも負けない努力をする、2.謙虚にして驕らず、3.毎日の反省、4.生きていることに感謝する、5.善行、利他行を積む、6.感性的な悩みはしない、の6つだ。

人のために尽くすことは自分のためである。自分が幸せになるために、人のために尽くす。
私の利己主義は、一般的に言われるそれとは違うだろう。私が考える「究極の利己主義」とは、人のために尽くすことで、自分の心が喜ぶというものであり、それは「利他の心」に近づくものなのだと思っている。

これはビジネスの基本でもあろう。近江商人の「三方良し(売り手良し、買い手良し、世間良し)」然り。石田梅岩の「石門心学」然り。 商人には商人道があるのだ。

今、私は、生まれ変わって、第2の生を雄々しくスタートさせた。それは、思いの他、順調だ。

ありがたいことに、心清き人たちが私の周りに多く集まってきてくださる。出陣式で私の存念を表明したことで、皆さんもそのような想いになっていただいているのだろう。
入口は、ビジネスonlyであっても良い。それを長続きさせるためには、永続させるためには、ビジネスの中に、相手のことを思い遣る「恕の心」を持つことが不可欠なだと思う。これから半世紀、このポリシーを貫き通すことで幸せな人生を送りたいと強く思うものである。

そのようなことを取りとめもなくお話しさせていただいた。
「類は友を呼ぶ」という諺がある。同じ想いの皆さんと親しく交流をしたいものだ。私のメールアドレスkobayashi@ouen-dancho.jp にでもご連絡をいただくことを願っている。 また、年末のOUEN望年会(約200名の老若男女のご出席者)にも是非ご出席いただきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名:小林 博重)
出陣式でのご挨拶 04.06.04.docx

才田貴広さんのこと

昨日、才田貴広さんが外苑前の事務所にいらした。
才田さんと知り合いになったのは、もう10年も経つだろうか。いくつかの関西の企業をご紹介いただいているし、OUEN望年会にも何度もご出席いただいている。
しかし、私は未だ何のお手伝いもしていない。「応援はキャッチボール。好球を投げられたら好球を投げ返す」という応援の精神をまだ形にしていない。今回の生前葬&出陣式にもお声をお掛けしなかった。私としたことが、ちょっと情けない。

生前葬&出陣式が終わって、才田さんから携帯にお電話があった。久しぶりだ。
「あぁ、出陣式にお声をお掛けしなかった」と後悔の念を持って電話に出たが、才田さんとはご縁があるのだろう。「是非お目に掛かって、第二の生では深いご縁にしなさい」と天のお告げではないかと、こちらの勝手でそんなことを思った。

彼は大阪梅田に会社を構えているが、コロナが落ち着き、そろそろ東京にも毎月出張しようと思っているのだと。6月の東京出張のおり伺いたいとのお電話だった。願ってもないことだ。 22日は小田原から帰って16時前には事務所に戻っている。と言うことで、16時に来ていただくことにした。懐かしく1時間以上積もる話をすることができた。

才田さんは宮崎県のご出身だ。滋賀大学卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入社。
個人目標15期連続達成、内11期個人表彰(頭取賞2期)の輝かしい成績を残されている。
銀行を退職後、中小・ベンチャー企業の支援コンサルティングの会社(㏍ベスト・イン・ブルーム)を大阪梅田で設立。企業や人の「花を咲かせる」をモットーに中小企業の支援業務を行なっている。

才田さんは、私の次男(三菱UFJ銀行勤務)の会社の先輩でもある。
次男は、彼の人間性から発する「絶えず顧客志向の営業姿勢」をすこぶる尊敬しており、そのことをよく私に話していた。
私は、「才田さんはどんな男だろう」と大変興味を持ってお目に掛かったことを覚えている。
お会いして、次男の言葉に違わず、才田さんの穏やかで人を包み込む温かい人間性で以って顧客志向を貫く営業姿勢がその優績につながっているのだと納得した。
ほんまものの優績者はやはり素晴らしい豊かな人間性の持ち主なのだ。Win Winのビジネスでなければそれは永続しない。まぐれで表彰は1〜2回はあっても二桁の表彰はあるものではない。素晴らしいの一言に尽きる。その成績がではない。その人柄が素晴らしいのだ。

私のミッションは「地域創生」だ。私の周りに集まってくださる全ての人のお力をお借りして、それぞれが己の個性、得手をフルに発揮していただくことにより、緩やかでも強固なチームワークを持って、夢を追求すること、地域創生をすることなのだ。 私は、そのキーカンパニーは「信用金庫」だと思っている。
信用金庫は取引先である地元中小企業を元気にしないと自らの発展はないのだから、その営業支援をすることが必須なのだ。
私は、その武器をさまざまな形で地域に提供し、地域創生に貢献したいと思っている。そのためにも才田さんにはお力を貸していただきたいと思うものだ。

天は決して私を見捨てはしない。第二の生は多くの心清き人たちが私の周りに集まってきてくださる。これも天のお導きだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

名を意識して生きること

生前葬を行ない戒名を授かって明らかに変わったことがある。
それは「名は体を表す」ことを身を以て実感したことであり、名に恥じない生き方をしなければならないと自然に思うようになったことである。

生まれた時に授かった名は、親が付けてくれた。私も3人の子の親である。それぞれ、想いを持って名付けた。
私が小学校の頃だったか、「自分の名前の由来」を親に聞くなどして作文するようにと先生に言われたことを思い出す。
家に帰って聞いたところ、「博重」と言う名は、近所で一目置く教養のある人に付けてもらったものだと言われた。
「博」は博学とか博識とか、広く学問を学び、知識豊かな人間になるようにと言う想いであり、「重」は、どっしりとしてぶれない一本筋が通ったポリシーをもった人間になるようにと言う想いだとか。

しかし、私はそんなことを意識して生きてこなかった。自分の思うまま、そのままの自然体で生きてきたように思う。

協調性があるようで、何かおかしいと思ったことは妥協ができない。つい突っかかってしまう。短気なところがあり、我慢ができない性格であり、それが傲慢に見えるところもある。 そんなことで、21年間勤めた銀行をあっさり辞めてしまった。そうするしかないように自分を追いやってしまったから後に引き下がることができなかった。 今は後悔はしていないが、50歳前後で壁にぶち当たった時は、もう一度銀行に戻れないものかと深い後悔をしたこともある。

稲盛さんは「6つの精進」の3つ目に「毎日の反省」、6つ目に「感性的な悩みをしない」と説いていらっしゃる。
それの意味するところは、「反省はしても後悔はするな」と言うことであり、「後悔して悩むことは感性的な悩みであり、何の益もない。神ならぬ人間であるから、人間は完全無欠というわけにはいかない。間々、間違ったことはするものだから、それをしっかりと反省して、これからの人生に活かすことが大事であり、後悔することは全く意味がない」と言うことだろう。 私はこの「6つの精進」で救われたのだが、今は、名に恥じない生き方をしてきていなかった自分を恥じて反省している。

しかし、生まれ変わった第二の生はそうではない。戒名という本名を仏様から授けていただいたのだ。
第一の生での経験を活かして、その名に恥じない生き方をすることができるし、していこうと思う。

私の周りには沢山の陽のエネルギーが集まってくる。私がそのような「できた人間」になることで、陽のエネルギーはどんどん集まってきて極大になる。「重陽」とは「陽が重なる」という意味で、心清きエネルギーが極大になるのだ。 その集まってきた「心清き陽の人たち」に愛を広めることが「博愛」ということだ。

私はこの「重陽博愛」の名を絶えず意識して、自然体で物事に取り組んでいくことが少しずつできるようになってきたように思う。心穏やかに生きていくことができるように思っている。

今の私には、この本名(戒名)に恥じない生き方を貫くレベルにはまだまだ迂遠ではあるが、そのような人間になろうと努力精進していくことで、そのようになっていくように思う。

絶えず、本名を意識して生きることが大切だと言うことだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

夢は思い続ければ必ず叶う。

天が人に与え給うミッションは、真っ直ぐな心で、七転八倒しながら生きていると自ずから気付くもののようだ。
孔子はその時期を50歳(知命)であると論語には書いてある。孔子ならぬ凡人の私であれば、天命を知る時期は古来稀なる70歳(古稀)でも早いのかもしれない。

だから、天はその人に与えられたミッションを果たすために100歳か120歳かは分からないが、長寿という修行の時間を与えるのだろう。長寿はただ悠々自適な後半生を送るために人間に与えられたものではない。 天命を知り、与えられたミッションを果たすための時間として、天は人間に長寿という贈り物を与えて下さったのだ。

クラーク博士は北大を去る時、学生たちに『青年よ、大志をいだけ』と言う名言を残した。「世のため人のため絵本シリーズ」に『思い続けることで夢をかなえた人 稲盛和夫』がある。

『願いは必ず叶う』と言われる。願いは叶わないと思う人も、「願いは叶わない」と言う『願い』は叶っているのだ。やはり、願い(夢)は必ず叶うものだ。ただし、願い続ければ、絶対諦めなければ、「願いを叶えよう」と誰にも負けない努力を続けていけば、の前提があるが。

私は54歳で個人会社Mapを立ち上げ、60歳(還暦)でNPO OUEN Japanを設立した。全て成り行き任せだった。天命を知るところではなかった。ただ素直に真っ直ぐ生きていこうと思い、生きてきた。 そして、これが私に与えられた天命なのではないか、私はこのミッションを与えられて生まれてきたのではないかと少しずつ分かってきた。 そうすると、そのミッションを果たさなければこの世から旅立つことはできない、長生きをして、そのミッションを果たさなければならないと強く想うようになった。

ミッションは、学生たちの応援団になることだ。
そして、その私のミッションを分かってくださって応援してくださる企業(OUEN Company)の皆さんの応援団になることだ。
そして、彼らと協働して、住み働き学ぶ地域の創生の一助となることだ。「地域創生」が私の最終のミッションであると自覚するようになった。その達成は迂遠なことであるが、少しずつでも命ある限り長く地域創生に貢献していくことだ。
夢は、見果てぬ夢くらいがちょうどいい。見果てぬ夢は後に続く人たちが繋いでいってくれるのだから。老人の幸せな最期は、前のめりになって仕事のさなかに倒れて果てるものだ。

古稀(従心)を機に、生前葬を取り行ない、生まれ変わって出陣式を開催した。戒名である「不動院重陽博愛居士」は私の本名になった。陽のエネルギーを最大に集めて、人に幸せを与え広めることだ。それが地域創生に繋がる。

第二の生のスタートを切って、自然体で物事を考えるようになった。
「無理はよそうぜ、からだに悪い」第二の生は身心一如、何事もバランスが大切と思い、無理なく自然に、人のため世のために尽くすことをすることだ。長続きすることが不可欠だからだ。想いがあっても行動できなければ全く意味がない。

そして、「夢は必ず叶う」ことを少しずつ実感している。
そう思い、それに沿うように行動していくことだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

大義を持ってビジネス&ボランティアに勤しむ。

第二の生の滑り出しは順調だ。それは出陣式が押し並べて好評だったことに由来すると思う。
私の応援哲学とそのベースになっているもの、人生70年の来し方・これから半世紀の行く末について、少し長くなったが思いの丈をご挨拶させていただいた。そしてankの素晴らしいプロデュースが効いている。

昨日、慶應義塾大学応援指導部同期の太田さん(西武学園理事長)とランチを共にしたが、彼から「西武グループに食い込みたいといろいろな人が私を訪ねてくるが、小林のような『大義を持って仕事をしている』人間はほとんどいない。やはり、『大義があるかどうか』『世のため人のため』という大義を持って具体的に活動している人を応援したいと思う。私は何をしたら小林のお役に立つことができるだろうか」とありがたい言葉をいただいた。

私が話したことは「OUEN塾は学生の応援団として、企業との交流を通して社会を知ること、企業に就職をする一助になることを目的としている。そして、延いては学生たちとOUEN Companyの皆さんが協働して、私たちが住み、働き、学ぶ地域の創生に寄与したいと思っている。そのためにはお金がないと何もできない。
そのお金はOUEN Company同士のビジネスマッチング、ビジネスコラボレーションのサポートをすることで、その成功報酬としていただくことで調達することがベストと思っている。
OUEN塾はすぐコスパが現れるものではないし、そのためにしている事業ではない。中小企業にとってはそんなコスパが悪いイベントに参加できないと思う先が多いと思う。世のため人のためといってもその前に自分のためがないと協賛してくれないのが現実だ。卵か鶏か、どちらが先かということだが、皆さん、まずは利益が見えないと協賛してくれない。それは仕方がないことだと思う。
私のような考え方をする人はほとんどいない。それが現実であり、それをとやかく言ってもしようがない。それを大前提としてOUEN塾を続けていかないといけないと思っている。 そのために、OUEN Company同士のビジネスマッチング、コラボレーションのサポートで活動資金を稼ぐことだ。
まずは、OUEN塾への企業の参加が先。そうすればOUEN Companyがどんどん増えてビジネスマッチングがどんどん進むだろう。そしてOUEN塾の活動資金も潤沢になるだろう。やっとその入り口に来たところだ。
だから、私が紹介する企業の商材やサービスが西武学園にとってメリットと思ったなら契約していただくことが私への支援になる。よろしくお願いします」と、そんなことを話した。

「先憂後楽」ではないが、今は苦しくても後から楽になる。まだまだ苦しいことが続くが、そうすれば後で楽になり、楽は永続するのだ。目先のことばかり考えていると、それっきり楽はおしまいになってしまう。

そのあと、明治大学応援団後輩の大前さんもいらして、彼の仕事をちょっとお手伝いしていただけないかと。ありがたいお話だ。私が人のお役に立てると思うから私にお願いしてくださるのだ。

OUEN塾は来年から再開したいと思うが、今までとは一新したOUEN塾を考えたいと思う。
コロナ禍は災難だが、「転んでもただでは起きない」

人生は実に面白いドラマだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)