アンナとの『美女と坊さん』の珍道中(企業同行訪問)は、早いもので2週間以上に及ぶ。31日が最終日だから、あと1週間だ。
Floraの社員は多国籍なので、アンナは真夜中でも仕事をしていることが間々あるらしい。私の真夜中の徘徊(2時〜5時)とは全く違って、彼女は経営者として、明るく、素直に、元気印で、必死に生きている。若い彼女に教えられることはたくさんある。
人間のレベルは馬齢を重ねただけでは、若くても魂年齢が高い人を超えることはできない。
彼女と私は48歳の歳の差がある。親子にしては離れ過ぎている。若いお祖父さんと言うところか。
彼女との出会いは今年の1月26日、OUEN信念会だった。まだ4か月しか経っていない。それが今月の珍道中だ。出会いは奇跡のようなものだ。
昨夜、情報技術開発(株)の藤井部長と川島さんと中嶋さんが、私たち2人との懇親の席を設けてくださった。
藤井さんとは昨年の12月9日にシャンティ(福岡市)の柴本社長のご紹介で初めてお会いした。川島さんも中嶋さんも今年1月だ。まだ6か月も経っていないのに、ザックバランなお付き合いをしている。 ほんとに人との出会いは奇跡のようなものだと思う。
私は、このような短いお付き合いでも心温まる、心を開くお付き合いに至った時、いつも思うことがある。
それは、私が安田信託銀行(現、みずほ信託銀行)を44歳6か月で中途退職したことだ。
安田信託銀行では、皆さんに一方ならぬお世話になっていた。
私の40代は、金融自由化の大流が日本にも襲ってきて、金融機関は生き残りの戦いをしていた時期だ。
そんなピリピリしていた時、「若気の至り」もあり、いろいろなことがあって、急転直下、退職を決めたのだ。引くに引けない退職だった。しかし、それからの人生は「ぬくぬくと育った生簀の魚が冬の日本海に飛び込んだ」ようなものだった。
荒波に揉まれて、「何で安田を辞めたのか」と後悔した時期も1年以上あっただろうか。しかし、稲盛さんは「人生、反省は大いにしても決して後悔はしてはならない。後悔の後に幸せはない。反省して、それを糧にして成長するところに幸せが訪れる」ことをお話しになった。
その通りだ。
そう思うようになって、「人との出会いは奇跡であり、このような素晴らしい人たちと出会って、ともに人生を生きていくことができるのは、44歳の時、『清水の舞台から飛び降りた』からだ。そのまま、安田に残っていたら、この人たちとは出会わなかった。私は運がいい」と素直に思うことができるようになった。
人との出会いは奇跡だ。
皆さんとの出会いに心から感謝する。