昨年6月から私の第二生は始まった。
長かったようで、あっという間の70年だった。人間の寿命は有限であるから、人生100年、還暦の倍の120年を生きることは不可能ではないにしても難しいことだ。
生きることは「何かを成す」ことだ。「何かを成す」ために命=健康がある。ただ長生きをすることが生まれてきた目的ではない。生きることはあくまでも手段に過ぎない。 そのことを念頭において、命という天からいただいたものを、大切に、特に第二生ではメンテナンスを怠ることなく、与えられた「ミッション=使命」を貫徹することだ。
そして、見果てぬ夢に終わろうとも、それを引き継いでくれる志ある人を見つけ育てて、仕事のさなかに前のめりになって倒れ、天寿を全うする人生を生きていきたいと思う。人生とはそんなものだ。
この1年は私の第二生の助走期間だった。その区切りである生前葬&出陣式のイベントは行なってみて、区切りの意味を少しずつ自覚するようになった。
ビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と喝破したが、賢者ならぬ愚者の私は、やはり区切りである生前葬&出陣式を経験することによってしか、第二生の目指す在りようが腹落ちして来なかった。この1年が第二生の助走期間だったのだ。そして、漸く、今まさに飛翔の時を迎えた。
私は経営の才は全くないと自覚している。
稲盛和夫さんに憧れて、45歳になる前に「転職」をして清水の舞台から飛び降りたのだが、汝自身を知らなかったことで一時はドン底に落とされた気持ちになった。
しかし、私は運がいい。
相田みつをさんは、「途中にいるから宙ぶらりん。底まで落ちて地に足が着けばほんとうに落ち着く」と言っている。
ある知人は、「偉くなると自分の地位を意識するあまり、自由奔放に生きるということができなくなってくる。その点、小林は奇想天外なことを考えて実行に移すことを厭わない。そんな生き方ができることは幸せな人生なのかもしれない」と言った。
その通りだ。心は若くなる。身体も老けない。勿論、身体は不死身ではないからあちこちガタが来ているが、それは有意注意を心掛けてメンテナンスを怠ることなく生活することによって身体の衰えをカバーすることができる。
巡り会う人たちを大切にしようと思う。
人は一人では生きることができないからだ。人さまのお力をお借りしてこそミッションを果たすことができる。
謙虚な心で皆さんに感謝することだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)