決して『恕の心』を忘れない。

毎週日曜日に、横浜たまプラーザ運動器スポーツクリニックに通っている。昨日は両肩への注射とリハビリで約1時間。痛みはピークの峠は越して下り坂を駆け降りているところだ。まだまだ全快とはいかないが、最近は五十肩を気にすることもなく、仕事も以前の健康体の時と同様に前向きに考えられるようになった。「身心一如」を実感として納得する。
何事も自らが体験しないと腹の奥にストンと止まっていない。凡人には経験から学ぶことで成長するものだ。

たまプラーザ駅からクリニックまで、徒歩で3分も掛からないが、駅前には3軒の花屋さんがある。気持ちが落ち込んでいる時は目に留めなかったが、心が穏やかになったせいだろう。通院の帰りに大きめのお店に立ち寄って観葉植物と3株の小さい薔薇を買い求めた。
田園都市線沿線は環境も良く地価も高い。懐だけではなく、心もリッチな人たちが住んでいるのだろう。街にはそんな雰囲気が漂っている。

事務所に帰ってちょっと土いじりをして、妻と長男と三男と私で外苑前の居酒屋「ミライザカ」で夕食を共にした。

3人の息子たちはそれぞれ世帯を持って家を出ている。青山の自宅は妻と私の二人暮らしだ。
2年くらい前からだろうか、息子たちの誰から言い出したのか、「小林家」のグループLINEをしている。息子たちも、3人でLINEをしている。
兎に角、仲の良い家族だ。皆んな妻を大事にしている。3人とも「お父さんが好き放題できているのはお母さんがいるからできることだ」と言う(そのことは私も重々分かっている)。

息子たちは三者三様、同じ親から生まれたのに性格は全く違う。ただ、人のことを思い遣る優しい心は共通に持っている。自分にしてほしくないことは人には決してしないという、論語の「恕の心」だ。

子貢問ひて曰く、
「一言にして以って終身之を行ふ可き者有りや」
子曰く、
「其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」

【要旨】
人間として一生行うべき道を一言でいえば、それは「恕」である。

過去・現在・未来に亙って、何だかんだ話題は尽きない。
この3つの時代は全て一本の棒で貫かれている。因果応報、善因善果、悪因悪果の棒だ。
心穏やかに人生を生きること。善きことだけをすることを心掛けること。アンパンマンの歌ではないが「いいことだけ、いいことだけ、おもいだせ」を念頭に置いて生きることだ。

生まれてからこれまで、私はどんな人に影響を受けて人生を生きてきたのか、そんなことを寝床で考えていた。
私の人生で最大の転機は稲盛和夫さんに出会ったことだが、その伏線は一体何だったのだろう。

物心がついた時、やはり一緒に住んでいた育ての親である祖父母の影響はそのど真ん中にある。
どれだけ教育を受けたかではない。人間として如何に生きていくのが幸せなのかは、日々の人生を真剣に生きているところからその感性はできあがる。

「国のために尽くせ」
「人さまにご迷惑をかけるな」
「人のために尽くせ」
能登で育った中学生まで、祖父母の人生哲学のシャワーを浴びた。それが私の人生哲学のベースだろう。

金沢大学附属高校では、武者小路実篤に傾倒した。
「白樺派」「新しき村」

この道より我を生かす道はなし、この道を歩く

仲よき事は美しき哉

君は君、我は我、されど仲よき

色と言うものはお互いを助けあって美しくなるものだよ。
人間と同じことだよ。
どっちの色を殺しても駄目だよ。
どの色も生かさなければ。

自分と闘うことで自分を磨く。決して人と戦わない。
それぞれの人間の個性を天の思し召しと思い、人を蔑ろにせず、大切にする。
天は、人にその人しかすることができない得手を授けて、この世に送り出してくれている。

真夜中は私の人生の思索の時間だ。今日は2時に目覚め、事務所に出向いてblogを書いて、今は4時半を過ぎだ。
NHKの「ラジオ深夜便」を聴いて、眠くなったらちょっと仮眠する。朝風呂に浸かり、髭と頭髪を剃る。昨日の反省をするひと時だ。
稲盛さんは「日々の反省をせよ。決して後悔はするな」と仰っている。

6つの精進
1.誰にも負けない努力をする
2.謙虚にして驕らず
3.毎日の反省
4.生きていることに感謝する
5.善行、利他行を積む
6.感性的な悩みをしない

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)