「天風哲学」を血肉にする後半生

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第二の人生を生きる。ゼロからの人生だが、ゼロではない。実際のところ、私はまだ死んでいないからだ。擬似的に葬式をしたので、私の命は切れてはいない。だから実際のところ、第一生の雑念は消したようで消えてはいない。

ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と喝破したが、愚者である自分は「生きた70年の経験」からしか学んではいないのだ。歴史から学ぶことによって少しずつでも賢者の入り口に辿り着きたい。そのため読書は欠かすことができない時間だ。

中村天風師の『天風哲学』を紐解く。何度も何度も読み返す。それは頭で分かったつもりでも、その時腹落ちしていると思っていても、何か事が起こると「怒り」や「恐れ」や「悲しみ」が心の片隅から心全体に染み出してくることを実感するからだ。 「修行が足りない」と言うことだろう。

山本五十六は言っている。

苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう

不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう

これらをじっとこらえていくのが男の修行である

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ

話し合い、耳を傾け、承認し、
任せてやらねば、人は育たず

やっている、姿を感謝で見守って、
信頼せねば、人は実らず

そう言えば、山本五十六は天風門下の一人だった。

これからの私の第二生は、天風哲学を少しずつでも血肉にする半生にしたいものだ。

怒らない
恐れない
悲しまない

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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