吉田松陰が死を目前にして書き留めた「留魂録」には、人間の一生を四季に準えている一節がある。
人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。
人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。
十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。
では、私の人生の四季は如何なるものかと考える。
おかげさまと言うべきか、私は30歳で生を閉じた松陰の2倍を遥かに超える人生を生きている。そして、人生100年と呼ばれる時代に生きて、120歳までの人生を描いている。
現実問題、120歳まで生きて、ただ生き長らえる人生であれば生まれてきた甲斐がない。やはり、生涯現役の人生が理想だ。
まずは10年、80歳まで疾ることだ。それも、無理せず、自然体で、人のために生きる。
そして、10年を区切りとして、90歳、100歳の現役人生を、描き、生きることだ。それが、120歳まで続けばそれもよし。これは天のみぞ知ることだ。生きることは目的ではない。手段にしか過ぎない。何かを成すために生きるのだ。
暗闇で生を享け、玄冬〜青春〜朱夏の70年を生きてきた。そして、その第一生を閉じて、新たな第二の人生の「白秋」「実りの秋」を生きる。
昨夕、FloraのアンナCEOと髙田COOと三人で、打ち合わせの時間を持った。そして、アンナと初めて電話で話した事務所の2階の居酒屋(ひごの屋)で会食をした。
私にとって、これは第二生のキックオフとも言える記念すべき時間だった。
私の第二生は昨年6月4日から始まったが、大空に飛翔するには1年の助走期間を要したようだ。第二生にも春夏秋冬ならぬ冬春夏秋がある。
しかし、第二生の季節は、第一生の下駄を履いていることもあって、冬を過ぎれば春夏を飛ばして秋になる。1年の助走期間を過ぎて迎えた「秋」は、春夏をミックスした「実りの秋」になる。
OUEN塾リーダーOB ・OGたちと同年代の二人は私の第二生のベストパートナーだ。
老若男女、手を携えて、それぞれの夢に向かって疾る。同じ夢ではないが同じ夢だ。それぞれが対等で、それぞれの役割を全うすることで、その夢は近づいてくる。
ヒルティは言っている。
「仕事のさなかに倒れること、これこそ正常な老人の正しい経過であり、およそ人生の最も望ましい終結である」と。
人生の白秋に、その時はいつかは知らず、「人生の最も望ましい終結」を迎えたいものだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)