『不易流行』
不易:いつまでも変わらないこと
流行:時代々々に応じて変化すること
すなわち、「不易流行」とは、いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものを取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。
私の人生においての「不易」とは、
①敬天愛人
②絶対積極(ぜったいせきぎょく)
③応援人生
をモットーに生きることだ。
人生は季節に準えられる。
生まれて東京大学を卒業するまでは、人生を模索する時代だった。
人はこの時代を「青春」と呼ぶが、私に言わせればこの時代は暗闇で明かりを追い求める冬だ。暗く沈んでいく暗い冬ではなく、人生に希望を持って素晴らしい人生を生きていこうとする、春を思う明るい冬だ。 人生は「玄冬」から始まるのだ。
闇夜は暗いが、希望ある暗さだ。その暗さが、来る春夏秋を一層明るいものにする。
私はこの玄冬の時代に、「応援の本質」をこの身に叩き込んだ。
社会人として安田信託銀行に44歳まで21年間奉職したが、これが私の「青春」時代だろう。
皆さんに助けられて、銀行員らしくない21年間を送った。
人事部に8年に亙り所属し、人を生かすポイントを学んだ。
そして、その後の営業部では、ベンチャービジネスとの取引開拓に携わった。上場を目指す「ベンチャービジネス起業家」の応援だ。私の「青春」は安田信託銀行時代だったと思う。
そして、稲盛和夫さんとの出会いもあって、「限りある人生、もっと得手を磨いて私しかできないことをしたい」と銀行を飛び出した。 生簀の魚が大海に飛び込んだようなものだ。七転八倒、紆余曲折ながらも、真っ直ぐ生きた四半世紀だったと思う。これが私の「朱夏」だ。燃えるような「朱夏」だった。 この「朱夏」の時代の出会いは「寄らば大樹」でなかったが故に、私にとって素晴らしい人たちとのつながりができたと思う。
苦は楽の種
苦を磨き砂にする
感謝と謙虚
私の「玄冬」と「青春」と「朱夏」の70年が私の第一生だ。そして、昨年の生前葬で第一生を終えた。
第二生は、第一生の生前葬の瞬間移動の出陣式がスタートだ。
人生を一旦区切って新しい人生を生きる。その「第二生=私の白秋」はこれからの人生だ。
それから間もなく1年が経つ。助走期間は過ぎた。これからが第二生の本番だ。
人生の集大成として、第二生がある。実りの秋こそ、私が生まれた証明だ。
今年、OUEN Japanの「OUEN信念会」で「女性の活躍が日本を元気にする」とテーマを掲げた。
世の中は男と女で成り立っている。人類は男と女が協働してこそ、皆んなが幸せになることができる。女性の活躍は男性を応援することでもある。
SDGs
ダイバーシティ&インクルージョン
女性活躍
アンナ(Flora CEO)と出会って、今まで全く関心がなかったことが、これからの日本を元気にすることだと気がついた。
松下幸之助さん曰く、
「素直な心が人生を豊かにする」
PMS
生理痛
月経
更年期
フェムテック
世のため人のため、
女性のため、
男性のため、
生きる哲学=不易を死守することで流行を追い求める。それこそが不易の本質だろう。
第二生は、不易流行で人生を送りたいと思う。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)