了聞にて開催された「終活セミナー」に参加した。
題目は『終活概論:終活のはじめの一歩』。同じ「シュウカツ」でも就職活動の「就活」は、その意味は明確だが、「終活」は「人生の終わりを見据えての活動」であり、人生が終わったら後はどうなるか誰も分からないのだから、あまり考えたくないことは後回しになってしまう。
人生地図には「自立期」と「エンディング期」がある。
私の今はまだ自立期であり、全てのことは自己管理可能だ。
それは何事も自分の意思で決定することが可能だということであって、人に頼らず生きているということではない(人間は決して一人では生きることができない)。
しかし、いつか認知症になって判断力が失われるようになる時期が来るのだろう。理想はピンピンコロリで生涯現役を貫くということだが、これだけは自分がそう思っても思い通りにならないのが人生だ。
自立期にしっかりと「エンディング期」について「学ぶ」そして「決める」そして「託す」ことをする必要がある。それを形にするものがエンディングノートなのだ。
私はこの前から「転ばぬ杖」と思って「エンディングノート」を書き始めたが、これは雑記帳でもいいのではないか。気になったことをそのまま書いておこうと思う。まずはここからだ。
セミナーを聴いていて、改めて、生前葬&出陣式をして良かったと思った。
人生には春夏秋冬がある。秋に実がなり、人生の終末である冬を迎える。その終末を如何に楽しく明るく過ごすかが「人生の幸せ」ということだろう。 しかし、それは「下り坂の人生」が始まったということなのだ。その下り坂の人生をどう生きるかが「終活」の一つのテーマである。
私はこれは少し面白くないと思う。下り坂の人生ではなく、登り坂ならぬ「上り坂」の人生のほうがより明るく楽しいのではないか。
宇宙の大流に沿って生きる。
そんな「エンディング期」を送ることは幸せである。それは、下り坂の人生をそのままに生きることだ。
しかし、私はちょっと欲張りに、宇宙の大流に棹さして生きていきたいと思う。それは下り坂から上り坂にソフトランディングすることだ。そのために一旦生を終え、新しい生をスタートさせることで下り坂を上り坂に変える。第二の人生を残り物と考えず、下駄を履いてゼロからのスタートを切る。それが生前葬&出陣式だ。
✴︎「流れに棹さす」本来の意味
傾向に乗ってある事柄の勢いを増すような行為をすること
生前葬&出陣式をする年齢は、人生100年の半分の50歳から、還暦の60歳、古稀の70歳まで。
古稀を過ぎると第二生を生きる期間を考えると遅すぎる。
私の70歳が最後のタイミングだろう。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)