松下幸之助さんは乗っていた小舟が転覆して九死に一生を得た体験をした時「私は運がいい」と思ったそうな。私も今朝、そんな思いをした。夢の中でスマホが電源が入っているにも関わらず使えなくなってしまい、それも田舎の見知らぬ土地でのことだった。連絡をしようにも公衆電話はない。民家で電話を借りようとドアを叩いたのだが、警戒されて電話を貸してくれない。どうしようかと途方に暮れていた時にありがたいことに目が覚めた。「あぁ、夢で良かった」と胸を撫で下ろした。そして、松下幸之助さんならぬ「私は運がいい」と思ったのだ。
何でもいい。「私は運がいい」と思うことが幸せな人生をつくっていく。所謂「陽転思考」だ。
今月はアンナ(Flora CEO)が31日までマンスリーマンションで東京に住み、私は彼女をOUEN Company をはじめとする在京企業の本社を同行訪問する。そのアポに都合がつけば、髙田さん(Flora COO、中央大学3年生)も同行する。美女と野獣ならぬ「美女と坊さん」の珍道中というところだ。そのスタートの朝に「幸先がいい」夢を見た。
駕籠に乗る人 担ぐ人 そのまた草履を作る人
駕籠に乗る裕福な身分の人もあれば、その駕籠を担ぐ人もいる。さらに、その駕籠かきの履く草鞋を作る人もいる。
世の中には貧富の差があり、さまざまな境遇の人がいる。これを当然のことだと思うか、あってはならないことだと思うか。
それぞれの立場の人が持ちつ持たれつの関係で社会が成り立っている。それがチームワーク。そんなチームを作りたいと思うか。
そして、そのチームのトップになりたいと思うか。はたまた、自分の器量、性格、能力を考えて、喜んで支える立場が自分の立ち位置だと思ってその立ち位置をありがたく全うするか。
青春の志はどうしても組織のトップを目指そうと思う。それが生まれてきた意味と思う。
しかし、素直な心で自分自身を見つめ、「おれがおれがの我を抑え、おかげおかげの下で生きていこう」と思い、「思い上がらず、下座に徹して生きる時」、天は必ず私を助けてくれる。
稲盛さんは「この仕事、神に祈ったか」と、その担当者に問いかけたそうな。
その意味は、神頼みをせよということではない。「神に祈るしかないところまで、君はその仕事をしているのか」と言う「人間の限界を追求せよ」との叱咤激励だ。
素直な心で自らの立ち位置を自覚し、それに徹することと、素直な心で人間の限界まで人生を極めることとは、全く矛盾することではない。
要は、天や神仏から与えられた尊い命(天命)を、生涯に亙り燃やし続けることなのだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)