昨日、京大応援団OBの吉森さんから「朝日新聞朝刊の読者欄に下記の投稿があったのを読んだ。感動しました」とメールをいただいた。
題目:応援団 人のために夢中になれる
投稿者:大学生 田中愛菜さん(福岡県 19)
投稿文
1年前、大学の入学式で応援団の演舞を見た。
「応援」という純粋な情熱と温かさに涙がこぼれた。勝負ごとやお祝いごとでは、何か特別な感情が生まれる。応援とは、その感情に華を添える役割だと私は感じた。そして応援団に入団した。
この1年、声の出し方や楽器演奏など、きつい練習に目的を見失うこともあった。でも応援は「他人の人生の大事な局面に立ち会うこと」だと自分に言い聞かせ、耐えた。
この春、私は応援団員として入学式の舞台に立った。マーチングメドレーで会場が盛り上がるにつれて、硬かった新入生の顔がだんだんほころび、若い笑顔が咲いた。
中学時代は陸上部、高校は弓道部と、ずっと自分自身とだけ向き合ってきた気がする。応援団で初めて、人のために全力を尽くすことに本気になれた。そんな自分がうれしい。
私は、偶々今年1月、Flora(株)を立ち上げ、CEOとして日本で花を咲かせようと人生を懸けているウクライナ出身のアンナさんに出会い、彼女やFloraを応援しようと思った。
それが確信になったのは4月20〜21日に彼女が京都から東京に上京して、私が親しくしているOUEN Company を数社訪問したことがきっかけだ。
彼女の経営者としての「想い」と「経営者魂」を強く肌で感じたからだ。
彼女はウクライナから京都大学法学部に入学。アメリカの大学に短期留学して経営を学び、京都に戻ってFlora(株)を創業した。
26歳と若いが、私には想像できない挫折を感じて生きてきたのだろう。まさに、稲盛和夫さんの「苦を磨き砂」にしている。
私など、馬齢を重ねてきただけで、その箴言はまだまだ血肉になっていない、言葉の域を超えていないのだ。本物の苦を体感していないからだ。
素直な心でいると、若者から人生を学ぶことは多々ある。こちらが教えることも沢山あるが、人から学ぶことも同じくらい沢山ある。よくいる大人のように「分かったような振り」をしてはいけない。
アンナが京都大学生だったこともあり、京都大学応援団OBで4年後輩の竹田真一さんにアンナの応援を頼んだ。
竹田さんは「いぶき会」(京大応援団OB・OG会)の副幹事長をしている。私が発起人の1人である国立七大学応援団OB・OGの集いである「七朋会」でも番外幹事を喜んでしてくれている。「人柄の竹田」だ。その「人徳」の極めて比重が大きい「人柄」で人生を渡っている竹田さんにお電話したのだ。
竹田さんは関西在住だ。「それでは東京にいる1年後輩の吉森さんを訪ねたらいいのではないか」と吉森さんに連絡してくれた。
勿論、私は吉森さんを良く知っている。同じ北陸、私の故郷能登の隣の越中富山出身。関東いぶき会の取り纏めをしている御仁だ。
彼の茅場町の勤め先に出向いて、リアルでお願いをした。電光石火、何人かの京大応援団OBに連絡していただいた。その結果、今月、何社か、アンナと同行訪問することになった。ありがたいことだ。
そんなことで、吉森さんとメールのやり取りをしたことが、朝日新聞朝刊の投稿文のメールになったのだ。
人は、人を「応援」して生きている。どれだけ人を応援したか、それがその人間のレベルの高低に直結するのではないかと私は思っている。
天台宗の「自利利他」「忘私利他(もうこりた)」の精神は「利他=人に尽くす」を謳っているが、それは「自分のために、人に尽くす」ことだ。自分が一番可愛いのだったら、人に尽くすことをすれば、それが心身共に一番自分のためになる。
「人に尽くす『利他』が究極の『利己』になる」「『利他』こそが、『自利』になる」「心身両面の自分の人格陶冶になる」のだ。
諺でいう「情けは人のためならず」とは、人への情けは、自分のため、自分の魂のレベルを高めるためなのだ。
私は、その想いを「応援哲学」にまで高めたいと思っている。
福岡で大学に通う投稿者の田中愛菜さんには、精々、応援団で人間を磨いていただきたいと思う。そして、応援団で学んだ「人のために生きること」「人の援けに応える人生」を大学卒業後も社会で貫いていただきたいと思う。
大学は学びがほとんどだが、社会では、学びと具体的行動、考え動く「考動」が不可欠であり、社会での応援こそが人生の本番なのだ。
「応援の心」を持って、残りの長く短い人生を真っ直ぐに歩いていきたいと思う。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)