第二生は、仕事を遊びにする。

中国五行思想では、人生を季節に準えて、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」と4つの季節に分けている。
五木寛之さんは、同じくインドでも人生を4つに区切っていると言う。

インドの発想では、人生は「学生期」に始まって、「家住期」「林住期」「遊行期」と続く。

「学生期」とは、人生の準備期間、世に出る前のトレーニング期間。五行思想の「青春」だ。人生を生きるためにその基礎を学ぶ時代だ。

「家住期」とは、盛年の時期。仕事に就き家庭を持ち、社会的存在になる時代だ。まさに燃える夏、「朱夏」であり、働く時代だ。

「林住期」とは、仕事をリタイアして悠々自適で人生を楽しむ時代。「白秋」であり、休息し思索する日々を送る時代である。

「遊行期」とは、棲家を離れて、杖1本の旅に出て、漂泊の日々のなかに悟りを求めようとする修行の旅。
修行は生涯に亙り続けていくものだと思うが、この「遊行期」の修行はその名の通り、「遊び」ながら修行をすること、「遊び=修行」だ。 「人生とはこのようなものだ」と自分が生まれてきた意味を自覚して、その意味を具現化するために、思いのまま、自由気儘に生きていくことがベストの生き方ではあるまいか。 遊びながら、自分の自由意思で、仕事を楽しむ人生を生きる。遊び=仕事がベストな生き方だと思う。

五木寛之さんも「遊行期というのは、生きることすべてが遊びならざるものはなし、という時期のことなのだと思いたい」と書いている。

私は今、五行思想では「白秋」であり、その先の「玄冬」を含めた人生の後半戦を生きている。それは、インドの発想の「林住期」と「遊行期」である。 どちらにしても、もう人生を淡々と生きる時期なのだ。

私は古稀で生まれ変わった。下駄を履いて、プラスαで第二生を生きている。第一生とは全く違う生を生きて行きたい。
それは、遊びながら、自由気ままに、「世のため人のために」生きることだ。

「われと来て 遊べや親のない雀」
(小林一茶)をもじって、「われと来て遊べや心清き若人たち」を合言葉に、若者たちと人生を謳歌して第二生を生きて行きたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)