「凡人」であることの幸せ

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GWの前半、今日は一日中雨模様だ。
相田みつをさんの言葉が思い浮かぶ。

雨の日には 雨の中を
風の日には 風の中を

晴れの日が良く、雨や風の日が悪いのではない。雨のおかげで草花は潤い、風のおかげで風力発電ができる。

宇宙は138億年前に超高温・超高圧の火の玉が爆発(ビッグバン)することで始まったと考えられている。宇宙は超高温・超高圧の状態から始まり、現在も膨張を続けているのだとか。 その膨張は偶然の産物ではなく必然性があり、この世には全てのものを進化発展させていく「宇宙の大流」があると考えざるを得ない。 雨が降るのも、風が吹くのも、「全て良かれかし」と言う「宇宙の意志」によるものだ。

だから、身に起こる全てのことを「宇宙の大流に沿ったこと」、それは「宇宙の意志」と思い、全てを素直に受けとめて、感謝する心を持って生きることが大切なのだろう。

そうは思っても、なかなかそんな心持ちにはなることができない。それでもそう思おうとすること、真っ直ぐに生きようとすることで、未熟な我が身であっても思いもかけぬ幸せの種が降ってくるのだ。

千里眼であればそんなことは当然なことだと思うだろうが、そうでない凡人の我が身には、その予想外の種は「生きる意味の源泉」であり、「成功し続ける原動力」になる。

人間は千里眼でないほうが幸せだ。僥倖を当然と思わず、感謝の心を持つことができるからだ。

平々凡々の凡人であることは幸せである。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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