「人生意気に感ず」
早稲田大学第二校歌「人生劇場」に私は「漢の心意気」を感じる。
高校時代から「このような人生を生きてみたい」と思って生きてきた。また、大学は「自由闊達な京都大学」に進みたいと思っていた。 しかし、祖父の想いは「目指すは東京大学」だった。その祖父は私が高校3年の9月に「ぼう、東大だぞ」との一言を残してあの世に旅立って行った。
東大の校風は私には性に合わないと思っていたが、祖父の遺言だ。目指す大学を京大から東大に代えて無事合格することができた。それでも応援部に入ったことで、その後の人生は、日々「漢の心意気」を感じながら生きている。
私の気性からすれば、大学は京大でも東大でもなく早稲田だったと思う。
「人生意気に感ず」
心意気で人生を生きるのが、それが漢の生きる道と思うからだ。
「人生意気に感じたら、ビクともするなと銅像が、ビクともせずに風に立つ」
そして、その心意気を行動に移す。考えて動く。行動は「考動」でなければならない。
そのベースに人間哲学が必須だ。
「人生如何に生きるべきか」
「人は人のために生きる」
そして、人と人との触れ合いの中で、心と心が触れ合い、漢意気に感じたら、ビクともしない人間哲学を死守して、目指すところに向かって全力疾走することだ。それが漢だ、それが人間だと思う。
「類は友を呼ぶ」
「友だちの友だちは皆友だち」
漢意気に感じた人間の周りには、同じ想いの人間が集まってくる。
坂本龍馬が勝海舟に西郷隆盛の印象を「西郷は釣鐘」だと言った。
「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。馬鹿なら大馬鹿、利口なら大きな利口だ」と。
人間関係は合わせ鏡であり、志高い人の周りには、同じく志高い人たちが集まってくる。そして、集まってくる人たちは老若男女を問わない。 官僚組織のようなヒエラルキーではない、フラットで、自由で、緩やかな、しかし強固な団結力がある組織だ。
その組織のメンバーは、志高く、心広く、心清い人たちだ。
古稀にして、そんなワクワクする組織をつくり、そのメンバーの一員になることができれば、私の第二生は、こよなく幸せなものとなるだろう。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)