第二生の開幕にあたり、プロローグ(序幕)を思う。

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私の「人生劇場」は、春夏の第一幕と秋冬の第二幕に分かれる。

第一幕の終幕は昨年の立春(2.4)に突然到来した。それは私がウォーキング中に新宿の小さい公園で高転びに転んだ日だ。
ことの起こりは一昨年に南麻布の了聞で都市型納骨堂を求めたことからだ。私は不孝者ゆえ能登にある先祖伝来の墓参はずっとご無沙汰している。 古稀を来年に迎えるという歳になって、ぼちぼちエンディングノートでも書き始めようと思って、ネットを調べてこれはというノートを購入して書き始めた。
そんな時に大学時代から付き合っている「人生劇場」の青成瓢吉のような”義理と人情で生きている”、令和の御代では化石のような馬形貢さんが了聞を紹介してくれて、それで電光石火、約1ヶ月の期間を経て、了聞を私の終の住処にしたというわけだ。
そして、了聞の皆さんとの何気ない会話から「古稀になる来年(令和4年)の6月4日に了聞で第一の生の生前葬を、日本青年館で第二の生の出陣式を行おう」ということになった。なったというよりも、そう私が決めた。浅慮と言われても、それは否とは言えない。 時は今、一気呵成に、一回しかない私の人生だ。私が決める。自己中と言われることは承知の上だ。これからの私の人生の生き方でこの決断を「結果オーライ」にするのだ。

こんなことがあって、古稀を我が人生の区切りとした。
第一生は70年。今は、人生100年時代だ。第二生の期間は第一生と比して、半世紀くらいはほしいと思い50年と設定したが、もしそれが現実になった場合はどうだろうと考える。

ふと、高校時代に古文で学んだ「大鏡」のことが頭をよぎった。

大鏡の主人公は不老不死の老人二人だ。健康で認知症にもならず、子孫の行く末を見つめているのだが、その子孫は皆、不老不死ではない。その当時の平均寿命前後で次の世に旅立つ。それを二人の老人はずっと見続けている。決して死ぬことはない。自ら死ぬことはできない。 私はこの物語を読んでいて、これは地獄の物語ではないかと思った。
不老不死を望んで人生を謳歌して生きるのは幸せなことだが、もし願っていた不老不死が現実になったらそれは生き地獄になってしまう。 人間の幸せとは、夢を持って一生懸命生きても、それは”見果てぬ夢”で終わることが幸せだろう。
果たしたいと思って果たすことができなかった”見果てぬ夢”を次代にバトンタッチしていく、そんな後に続く人財を育てながらともに夢を追い続けていく。そして、前のめりに倒れて人生を終えることが幸せなのだろう。

そう考えると、私の第二生の相応しい期間は100歳までの30年というのがベストチョイスだと今は思っている。
もし、その後の20年生きるとしたら、それはその時に考えることにしよう。

浅慮で第一生と第二生の区切りを古稀にしたが、成り行き人生が私の今までの生き方であったから、第二生の「生き方スタイル」は漠とながらそのイメージは脳裏にあるものの、まだまだ総天然色とは言えるものではない。 それゆえ、第二生のシナリオは漠としたものであり、なかなか第二幕の開幕とはいかなかった。

これもまた、七転八倒・紆余曲折の約1年を掛けて、漸く第二生のプロローグ(序幕)としての前口上を語るところまで至った。
さぁ、まもなく第二生の幕を開こう。第二生の開幕だ。

4月1日付で、ベンチャービジネスFloraの顧問に就任することになった。Sales Advisor、OUEN Danchoのタイトルだ。

私の得手は人と人をつなぐこと。これには誰にも負けない自負がある。私の誰にも負けない得手はたったこれだけだがそれでいい。
それをフルに生かすことで、世のため人のために尽くすことができればそんな幸せなことはない。

天は、この世に人を送り出す時、その人に一番相応しい得手を授ける。人は懸命に生きていると、ふとした時に、天が与えて下さった得手を知る。
そして、誰にも負けない努力をして、その得手を磨き続けていると、ある時、その得手をフルに生かすチャンスが巡ってくる。それを人は「運命」という。また、その巡り逢いを「邂逅」という。

私が培ってきた温かい人脈(人とのつながり)が生きて、さらにそのつながりがどんどん拡がって(友だちの友だちは皆友だち)、皆んなが幸せになる。 Win Winがどんどん連鎖していく。皆んなが元気になって幸せになる。

私がつくってきた温かい人とのつながり、そして、これから拡がっていく温かい人とのつながりは私の唯一の過去現在未来の財産であり、インフラだ。 人と人とをつなぐパイプ。山から流れ下る川、それには本流や支流、路地の傍を流れる小川もあるだろう。それが全て合流して滔々と大海に流れ込む大河になる。

そのパイプであったり小川であったり、大河であったり。
そこにどんな”清く、美しく、決して濁ることのないピュアな水”を流すことができるのか。

その水は人を救う。全ての人類を救う。
その水は、私が第二生のミッションと考える「学生の応援団」「企業の応援団」「地域創生の応援団」のベースの水になる。
そして、そのつながりの活性化はそれぞれの企業がメインとしているビジネスのサポートにもなるだろう。
その具体化が私の第二生のミッションだ。

その”清く、美しく、決して濁ることのないピュアな”水に巡り逢い、私のミッションを果たしたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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