『幸運思考』で生きること。『下座に徹して』生きること 。

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4月8日の産経新聞朝刊の「挑戦するトップ」のコーナーに三菱地所・吉田淳一会長の記事(ジャーナリスト大塚英樹さん書)が載っていた。 第3回目は『幸運思考』だ。

大塚さん曰く、

私は成功する企業経営者には「幸運思考」があると考えている。「運」というのは、「私は運がよい」と思う人につき、「運が悪い」と思う人にはつかないようだ。現に、成功する経営者の多くが「自分は運に恵まれた」と語っている。
彼らに共通するのは、どのような状況に置かれても、どこかで肯定できる視点を持っていることだ。例えば、失敗したとき、その原因を他人のせいにしたり、タイミングや環境のせいにしたりせず、すべて反省の機会に置き換えられる人だ。さらに全てが勉強だと思える人。「会う人全て勉強」「仕事は全て勉強」と思える人と、そうでない人とでは、ものごとの吸収力が違う。周囲を見る目も違ってくる。企業リーダーには欠かせない資質だと私は考える。 と。

松下幸之助さんはいつも「私は運がいい」と仰っている。川で乗った船が転覆して急死に一生を得た時、「普通はそれまでの命だった。私は運がいい。生きている」と。

稲盛和夫さんも「逆境を磨き砂とすることだ」と仰る。
さらに、付け加えて仰ることには、「逆境よりも順境こそがもっと磨き砂だ。順境だと人間はどうしても驕ってしまう。自分が優秀だから順境なんだと思ってしまう。人さまのお世話になって現在があるとは思わない。そして、謙虚さを失くしてしまい、その成功は長続きしない。楽こそが、人間を磨く磨き砂だ」なのだと。

何事も自分を磨く「磨き砂」とすること。良いことも悪いことも、どんなことがあっても全て自分の成長のために降りかかってきた「磨き砂」と考え感謝し、明るく元気に前向きに生きること。 『絶対積極』思考で生きることだ。それが、その人に「人生の成功=幸せ」をもたらすのだ。

人生の大半は人間関係だ。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、寂しいことのほとんどは人間関係が原因だ。
特に私のように「人間関係をビジネス&ボランティアにしている人間」はそのことを強く感じる。

稲盛さんは「京セラフィロソフィについて」と題して、次のように書いていらっしゃる。

私は今から三十五年前、周囲の方々の温かい支援のもとに、七名の仲間とともに京都セラミック株式会社をつくりました。
会社を始めた頃は十分な資金もなく、立派な建物や機械もありませんでした。ただ私には、家族のように、苦楽を共にし、お互い助け合える心と心で結ばれた仲間がありました。
そこで私は、人の心というものをよりどころとしてこの会社を経営していこうと決心しました。それは、「人の心ほどうつろいやすく頼りにならないものもないかわりに、ひとたび固い信頼で結ばれれば、これほど強く頼りになるものもない」と思ったからです。

『人の心は移ろいやすく頼りがない。しかし、ひとたび固い信頼で結ばれれば、これほど強く頼りにになるものもない』

そうなんだ。人の心は頼りになったりならなかったりする。人の心は両極端だ。頼りになったり頼りにならなかったり、どちらか、それを決めるのは、自分の心なのだ。『絶対積極』の思考をすることだ。 『絶対積極』思考が、頼りになる人間関係をつくるのだ。

このような『絶対積極』の思考ができる人は天性のものかもしれない。しかし、『絶対積極』の思考をしようと自らに言い聞かせて生きることで、少しづつ『絶対積極』の思考は自分のものになってくる。その習慣が『絶対積極』人間をつくる。

「天が助けてくれる人生」を生きることだ。
思い上がってはいけない。下座に徹して生きることだ。人さまのお世話になってこそ、人のために尽くすことができることを忘れてはならない。

思い上がらず、
下座に徹して生きる時、
天が君を助けてくれる。

天に助けられる心根を持って生きていこう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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