「凡人」であることの幸せ

GWの前半、今日は一日中雨模様だ。
相田みつをさんの言葉が思い浮かぶ。

雨の日には 雨の中を
風の日には 風の中を

晴れの日が良く、雨や風の日が悪いのではない。雨のおかげで草花は潤い、風のおかげで風力発電ができる。

宇宙は138億年前に超高温・超高圧の火の玉が爆発(ビッグバン)することで始まったと考えられている。宇宙は超高温・超高圧の状態から始まり、現在も膨張を続けているのだとか。 その膨張は偶然の産物ではなく必然性があり、この世には全てのものを進化発展させていく「宇宙の大流」があると考えざるを得ない。 雨が降るのも、風が吹くのも、「全て良かれかし」と言う「宇宙の意志」によるものだ。

だから、身に起こる全てのことを「宇宙の大流に沿ったこと」、それは「宇宙の意志」と思い、全てを素直に受けとめて、感謝する心を持って生きることが大切なのだろう。

そうは思っても、なかなかそんな心持ちにはなることができない。それでもそう思おうとすること、真っ直ぐに生きようとすることで、未熟な我が身であっても思いもかけぬ幸せの種が降ってくるのだ。

千里眼であればそんなことは当然なことだと思うだろうが、そうでない凡人の我が身には、その予想外の種は「生きる意味の源泉」であり、「成功し続ける原動力」になる。

人間は千里眼でないほうが幸せだ。僥倖を当然と思わず、感謝の心を持つことができるからだ。

平々凡々の凡人であることは幸せである。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

第二生の生き方スタイルは『応援』を極めることだ。

今朝も3時に目が覚め、充分寝足りた感があったので起きて事務所に出かけた。
それはそうだ。昨夜も20時過ぎには床に就いて7時間は眠っている。70歳の正常な老人の生活パターンだ。

もう私の年齢になると悠々自適の生活をしている人が一般的だろう。
その点、政治家先生は70歳は脂が乗っているピークだ。八十路を過ぎても妖怪のように政治の世界を闊歩している老政治家は珍しくない。政治家のこの「老いて益々盛ん」なバイタリティは、ある意味で尊敬に値する。

私は、70歳を境に、生前葬を済ませ第二生を生きていることもあって、精神的にはゼロからの新たなスタートであり、肉体的には老人としてのこれも新たなスタートでもある。この相反する2つのスタートが、得もいわれぬ私独自の「生き方スタイル」を醸し出しているように思う。

政治家先生や大企業のトップの方々は、第一生の集大成として、最後の力を振り絞って走っているのだろうが、私は第一生を終えての新たなスタートだから、その「生き方スタイル」は全く違う。 悠々自適というのではない。全力疾走なのだが、それは老人の私なりの全力疾走であり、全く無理のない全力疾走だ。

若者たちと対等に(あくまでも対等)に、それぞれの得手を持ち寄って夢を追いかける。
若者たちが主役で私が脇役と言う位置関係がベストだ。そうでないと若者が成長しない。私は若者の成長のスピードに拍車をかける触媒であり、それが『応援』の本質なのだ。これが私の第二生の「生き方スタイル」なのだ。

若者たちとザックバランなディスカスをする。お互いが本音を言い合うことで、ビジネスのベストチョイスを模索することができる。

やはり、老いて悠々自適な生き方は私には全く似合わない。
老人にとって、最高に幸せな最期は、「全力疾走して前のめりになって倒れて旅立つ生き方」を貫くことだと確信する。

そのための肉体のメンテナンスだ。前のめりで倒れるためには健康でないとそうはならない。

今日からGWのスタートだ。
今朝は、毎月通っているかかりつけ医で数種類のいつもの薬を処方していただこう。
そして、2時間ウォーキングで心身をリフレッシュしよう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

やってみせ、 言って聞かせて、 させてみて、 ほめてや らねば、 人は動かじ

早いもので、今日は4月の最終営業日だ。ネットで月末の振り込みを済ませ、4月の桜から5月の新緑のカレンダーにイメージチェンジした。暦はまだ4月だが、気分を切り替えて気分一新、爽やかな5月の風を向かい入れる。

猫の額のようなベランダに名も知らぬ草花を植え観賞する。心の余裕が出てきたのか。これからが私の第二生の本番なのかと思うのか、爽やかな皐月の薫風を肌で感じる。

5月の活動は、Flora CEOのアンナとの東京の企業訪問がメインになる。
彼女は京都から1ヶ月に亙り東京に来て企業回りに精を出すことに決めた。流石、26歳の若い女性だが経営者だ。その決断に脱帽する。

トマトはトマト、カボチャはカボチャ、決してメロンになることはできない。

若い時は不得手を克服することで高みを目指すことは成長にとって不可欠なことだろうが、私の第二生は当然ながら真っ新なゼロからのスタートではない。良しにつけ悪しきにつけ、第一生を引きずっている。
精神は青春だが、肉体はいくらメンテナンスしても70歳の中古であることは厳然たる事実だ。それを素直に受け入れて、青春の心で白秋の肉体を、無理なく、長続きさせなければならない。そして、私の得手をフル活用することだ。それは私の得手である『応援』に尽きる。

『応援』とは「援けに応える」こと。人を育てることに喜びを感じること。あくまでも、黒子に徹すること。たとえ表に出ても分を弁えること。足るを知ること。謙虚になること。若者から学び、共に働くことに感謝する素直な心を持つこと。第一生での財産を惜しげなく若者に与える心の広さを持つこと。これらは全て「応援哲学」の基本だ。

山本五十六の箴言

やってみせ、
言って聞かせて、
させてみて、
ほめてやらねば、
人は動かじ

話し合い、
耳を傾け、
承認し、
任せてやらねば、
人は育たず

やっている、
姿を感謝で見守って、
信頼せねば、
人は実らず

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

義理人情を解する若者たちとのパートナーシップを大切に する。

人生は上手くしたものだ。先読みができない人間でも、真っ直ぐ、地道に、謙虚に生きていれば、天はその人を見捨てはしない。

思い上がらず、
下座に徹して生きる時、
天が君を助けてくれる。
森信三

長期で見れば「因果応報・善因善果・悪因悪果」の法則は寸分の狂いもなく我が身に起こってくるのだ。

願わくば千里眼の眼を持って先を見通すことができれば言うことはない。しかし、人間には心がある。人間は一人では生きてはいけないから、温かい人との心のつながりでその足らずをカバーすることができる。そして、そんな集団は、皆んなの力で天才にも勝る「オールラウンダー」になることができる。 すなわち、私の場合は、先読みができる心清き人たちとのコラボレーションをすることにより、私が持っている「誰にも負けない能力」と言う武器を提供することだ。 お互いの足らずをカバーし合うことにより、バランスが取れた『丸い球形』をつくることができる。

そのため、何よりも人に対する目利きが求められる。痛い目に遭うとその目利きのレベルは高まるが、そうは言っても痛い目は少ないに越したことはない。

人間関係は合わせ鏡と言うが、それはどんな鏡でもいいわけではない。歪んだ鏡は合わせ鏡にはならない。
「ビジネスはビジネスライクで」は当然のことと思うが、私はその”ビジネスライク”が好きではない。
その意味は、勿論ビジネスはビジネスライクなのだが、そのベースに人間の心、ビジネスを離れた人間の心があることがビジネスパートナーとして長続きするポイントだと思うからだ。

長く付き合ってもザックバランにならないだろうと思う人、心を開くことができない人がいる。そんな人は、いつまでも慇懃無礼な態度で接してくる。何も嫌味なことをするわけではないが、何か面白くない。heart to heartの関係にはならないのだ。
私は、このような人とはビジネスライクで付き合えばいいとは思わない。できたらこんな人とはあまり関わりたくないと思う。損得だけで人との付き合いをする温かい心のない人だと思うからだ。私は「ビジネスはビジネス」という割り切りができない性分なのだ。

それは相手の年齢とは関係ない。若い人でも義理人情を解するピカピカの人がいる。
そんな人たちと古稀を超えた老人の私が友人になる。ビジネスパートナー同士になる。同士が同志になる。お互いの強みを持ち寄って、同じ夢を追いかける。

私は、そんなワクワクする人間関係が最高だと思う。それが生涯現役で生きる秘訣だ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

意気に感じて、果敢に動く。

「人生意気に感ず」
早稲田大学第二校歌「人生劇場」に私は「漢の心意気」を感じる。

高校時代から「このような人生を生きてみたい」と思って生きてきた。また、大学は「自由闊達な京都大学」に進みたいと思っていた。 しかし、祖父の想いは「目指すは東京大学」だった。その祖父は私が高校3年の9月に「ぼう、東大だぞ」との一言を残してあの世に旅立って行った。
東大の校風は私には性に合わないと思っていたが、祖父の遺言だ。目指す大学を京大から東大に代えて無事合格することができた。それでも応援部に入ったことで、その後の人生は、日々「漢の心意気」を感じながら生きている。

私の気性からすれば、大学は京大でも東大でもなく早稲田だったと思う。

「人生意気に感ず」
心意気で人生を生きるのが、それが漢の生きる道と思うからだ。
「人生意気に感じたら、ビクともするなと銅像が、ビクともせずに風に立つ」
そして、その心意気を行動に移す。考えて動く。行動は「考動」でなければならない。

そのベースに人間哲学が必須だ。
「人生如何に生きるべきか」
「人は人のために生きる」 

そして、人と人との触れ合いの中で、心と心が触れ合い、漢意気に感じたら、ビクともしない人間哲学を死守して、目指すところに向かって全力疾走することだ。それが漢だ、それが人間だと思う。

「類は友を呼ぶ」
「友だちの友だちは皆友だち」
漢意気に感じた人間の周りには、同じ想いの人間が集まってくる。

坂本龍馬が勝海舟に西郷隆盛の印象を「西郷は釣鐘」だと言った。
「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。馬鹿なら大馬鹿、利口なら大きな利口だ」と。

人間関係は合わせ鏡であり、志高い人の周りには、同じく志高い人たちが集まってくる。そして、集まってくる人たちは老若男女を問わない。 官僚組織のようなヒエラルキーではない、フラットで、自由で、緩やかな、しかし強固な団結力がある組織だ。
その組織のメンバーは、志高く、心広く、心清い人たちだ。

古稀にして、そんなワクワクする組織をつくり、そのメンバーの一員になることができれば、私の第二生は、こよなく幸せなものとなるだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく 資格がない。

昨日は久しぶりに事務所のベランダで土を弄った。春になったせいもある。それよりも、五十肩も良くなってきて、第二の生の「生き方スタイル」も「これで行こう」と思ってスッキリと前向きに生きていこうと思ったせいが大きい。

私は、NHK朝ドラ「らんまん」の主人公万太郎のように、こよなく植物を好む人間ではないが、緑に包まれていると心が穏やかになる。人間は皆そんなところがある。

そして、心が穏やかになると悪いことは頭の片隅に押しやられる(まだまだ人間ができていないから、ガンジーのように「全て許す」強さを持つには至らない。その域には「生涯をかけて辿り着けばよし」と言うところだろう)。

そうすると、なぜか幸せな気持ちになり、人のことを思い遣ることができるようになる。そして、人のために尽くすことで、自分がさらに幸せになる。

良い循環の連鎖が始まるのだ。あくまでも幸せのスタートは「自分の心から」なのだ。

自宅の奥に閉まってあった祖父小林米次郎の写真を事務所に掛けた。「私の第二生の想いは祖父の精神にあるからだ」と思うに至ったからだ。

祖父は強く優しかった。
レイモンド・チャンドラーに「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」の名言があるが、それを祖父は地でいっていた。自然体で強く優しかった。

女性の活躍が社会を強くする。そして、女性が活躍すると社会が優しくなる。
その応援団長に私はなりたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

衆参補選から人生を学ぶ。

今朝の日本経済新聞の見出しは衆参補選だ。日経では「衆参5補選 自民4勝1敗、和歌山は維新、立民全敗」とある。
私は政治には興味はない(投票には欠かさず1票を投じているが)が、政局は人生そのもののような気がして、自らの人生を生きるにあたり大いに参考になる。

自民は勝利宣言をしたが、それは渋のついた生栗をガブリと齧ったような苦い宣言だったのではないか。
よくぞやったり日本維新というところだ。

何でも反対の立民が全敗とはそんなものだ。維新は大阪の地域政党から国政に出て、この統一地方選は奈良と和歌山で勝利を収めた。自力がついてきたと言うところだろう。 これから全国に打って出るだろうが、自民に対抗するのはこの維新くらいなのではないか。
地道、着実、是々非々を明確にして正面突破する、ブレない。
コアの大阪を拠点にまずは地上戦で勝利を収める。そしてその勢いを全国に拡大する。ビジネスの基本と全く同じだ。大いに参考にしたい。

昨日は、自宅の隣にある青山小学校で区議会選の投票を済ませて、2時間ウォーキングを楽しんだ。

青山〜渋谷〜明治神宮〜ハンズ新宿〜四ツ谷〜青山のコースだ。
明治神宮で参拝し、ハンズ新宿で観葉植物を買った。そして、四ツ谷の笹寺で義父の墓参りをした。
ちょっと寄り道をしたので、3時間のウォーキングでの散策だ。五十肩も気にならず、気分は爽快。19千歩。ちょっと歩き過ぎ。
妻は「多くても1万歩くらいがいい」と言う。

歳に応じて無理をしないのが長続きするコツだ。これはウォーキングに限らず人生全てのことに当てはまる。
稲盛さんは「人生はマラソンだ。42.195kmを100m走のように全力疾走する」と仰った。
若い時は無理に無理を重ねても氣合いで克服できるが、歳を重ねるとそれでは長続きできない。少なくとも私には無理だ。
「トマトはトマト、カボチャはカボチャで、メロンにはなれない」のだから、これからの人生は私らしく、「得手」という個性をフルに発揮して、好きなことを気持ちよく長く続けようと思う。

【幸せの4つの因子】

1.やってみよう
夢・目標、強み、成長、自己肯定感

2.ありがとう
感謝、利他、許容、承認、信頼、尊敬、自己有用感

3.なんとかなる
前向き、楽観性、自己受容

4.ありのままに
独立、自分らしさ

私の第二生は、この【幸せの4つの因子】を指針として、早急に具体的考動に移すことだ。それは総天然色で脳裏に浮かんでいる。

この、1年ちょっと、バタバタ・ドタバタしたが、やっとスタート台に立った。
自らピストルを打ってこれからの長旅をスタートさせよう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

『氣(エネルギー)』を高めて、周囲に満遍なく発信してい く。

毎週、五十肩の治療で”たまプラーザ運動器スポーツクリニック”に通院している。
受診とリハビリで約1時間。左右の肩に注射を打って、それから理学療法士によるリハビリだ。
初診は4月9日、それから毎週だから昨日が第3回目だ。注射は痛み止めだからその効果は1週間も持たないだろう。少しずつ良くなってきているのは、五十肩がピークを過ぎて回復段階に来ているからだろう。 この治療とは別に、経堂のエステサロンに3週間おきに通っている。2時間の肩を中心にした全身マッサージだ。
これは五十肩が全快しても継続していきたい。古稀を超えた中古車両だから特に中古車両のメンテナンスが必須だ。身体の異状が心にも影響を与えるからだ。
若い時には放っておいたら回復したことが、歳を重ねると有意注意でメンテナンスしないと気(エネルギー)を発揮し続けることができなくなる。素直な心になればそのことはよく実感できる。

気(エネルギー)と言えば、その旧字が本来の意味を表しているのだと言う。
私が昨年11月まで通っていた合気道の正式名称は”心身統一合氣道”であるし、石川県能登半島羽咋市にある旧国幣大社の気多大社の正式名称も”氣多大社”だ。

氣と気の違いは米と〆だ。
米は末広がりで八方に広がることを意味している。エネルギーのあるべき姿は全身から放出されることだから、エネルギーとしてあるべき字は『氣』なのだと。 一方、「気」はエネルギーを〆る(しめる)意味になり、外に放出されない。それではエネルギーの意味がない。これから気でなく『氣』を使うようにしよう。

私の本名(戒名)は「不動院重陽博愛居士」と言う。
瑞華院了聞の福井住職(上人)が「不動明王の燃えるような熱情を、多くの陽のエネルギーを持った人たち(志高く、心清き人たち)に広(博)める、愛を広(博)める人間になれ」と付けてくださったのだ。 そのエネルギーは、広(博)めてこそ意味がある。気でなく『氣』を広(博)めるのだ。

20〜21日、アンナと企業を同行して、アンナから『氣』を感じた。彼女はウクライナで6歳から空手を学んでいた。「葉隠」を読み、日本の武士道精神を体得している。武士道はヨーロッパの騎士道と似ているところもあるが、本質は少し違うのではないかと言う。 武士道はストイックで、その人の人生の生き方を深掘りしている。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは死を讃美しているのではなく、日々、死を意識して生きることで悔いのない生を全うすることなのだ。そんなニュアンスを私に話してくれた。

日本人でない若い女性に「日本精神」を教えられた。私は、メンターは歳上だったり、器量の大きい日本男子のイメージがあったが、そうではない。 志高い若者たちや女性たちの中に素晴らしいメンターがいる。私の周りにそんな素晴らしいメンターたちがいる。

私が事務所の書斎(ブース)に、貼ってある箴言の中に柳生家の家訓がある。

小才は、縁に会って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を生かさず
大才は、袖触れ合う縁をも生かす

アンナはこの箴言が心に響いた、今までの人生を違った目で見た感覚だったと。今まで、このようなことを日本人から聞いたことがない。

素直な心で老若男女全ての人たちから学ぶことで、人は成長していくのだ。

中村天風翁は「人間の正体は気体である」と仰っている。気体は「氣体」であり、エネルギーだ。それは『霊魂』と言われる「氣体」なのだ。その道具が身体であり心なのだ。

よく、人間は生まれた時がピュアであると言う。それは、人間の霊魂がピュアだと言うことだ。全ての産まれたての赤ん坊の霊魂がピュアなのだ。心はゼロ。だから、心がピュアということではない。肉体が100%なだけだ。

歳を重ねるごとに濁世にまみれて心が濁っていくと言われる。人生を生きていく内に、至るところから苦労が降ってくるからだ。
しかし、その苦労を友として、苦労を楽の種として、素直な心で、前向きに、明るく、人生を生きていくことだ。

だんだん年老いていくと、霊魂の道具である身体は衰えてくる。それを騙し騙しして生きる。その代わり、ゼロだった、これも霊魂の道具である心が、その苦労を肥やしにして、産まれた時のゼロから少しずつその割合を高めていくのだ。それが「心を磨く」ということだ。

そして、この世から旅立つ時に、ゼロになった身体の代わりに100%の心を、人間の正体である霊魂に捧げて次の世に旅立っていく。 その捧げ物の心が産まれた時のゼロより低いマイナスであったならそれは生きてきた意味がない。きっと、霊魂はその捧げ物を受け取らないだろう。 できるだけ心をプラスにすることだ。心を磨いて高めることだ。
そうすれば霊魂はその捧げ物を喜んで受け取ってくれるだろう。

心を高める人生を送りたい。これからの第二の生はそんな人生を送りたい。若い力、男性に限らず女性の力、いや今までそうでないと思っていた女性の力は私のサポーターの中でも群を抜いているもののような気がする。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

人とのつながりを拡げるコツ

「犬も歩けば棒に当たる」
昨日はアンナ(Flora CEO)と東京の企業6社を訪問した。アンナとFloraのサービスを紹介することが訪問の趣旨だ。やはり、企業を訪問して、リアルな面談をすることで思いもかけない気付きがあり、アイディアも湧いてくる。私と企業とのパイプに流す水はまずはFloraのサービスだが、その流す水によってその水脈は潤い、太くなる。そうすれば、その水脈に違う美しいカラーの水(商材・サービス)を流すことができる。それは、OUEN Companyの皆さんのビジネスに貢献することになるのだ。

私は超アナログの世界で生きているが、それがデジタルとの和合によって双方が生きてくる。そんな実感を強く持った。

私はあまり先を見通す能力に欠けていると自覚している。私は超凸凹人間であり、それも凹のシェアが圧倒的に高い。しかし、それは人を害するものではないから、凹を穴埋めしてくれる心清き人と、しっかりとパートナーの関係をつくることだ。そのためには、私の凸を遺憾なく相手に提供しなければならない。凹と凸が合わさって丸い大きな球形になるのだ。

OUEN塾の学生リーダーから「団長はどのようにして人脈を拡げるのですか。それも団長の人脈は皆んな、ザックバランでオープンな人とのつながりですよね。10年来の友人・知人だと思っていたら、つい2〜3ヶ月前に知り合った人と分かってビックリすることがしょっちゅうです」と何度か聞かれた。アンナもそんなことを私に聞いた。

その答えは簡単だ。
初対面、2回目くらいの面談で、その人の心がピュアかどうか、第六感を働かせる(これがなかなか当たらない。これで結構痛い目に遭っているが、「失敗は成功のもと」の諺通り、次第にその確率は高くなってくる)。 そして、3回目くらいには、オープンマインド。心清き人に対してオープンマインド、10年来の友人・知人のようにザックバランに話す。 人間の心は合わせ鏡だ。こちらがそうなら相手もオープンマインドになってくる。
それが人と人とのつながりを太く広くするコツだ。そんなに難しいことではない。

先を読む能力は先天性のもののように思う。私はその能力はあまり高くない。
だとしたら、真っ直ぐ目の前のことをしっかりやることだ。人を裏切ることはしない。稲盛和夫さんが仰る「人間としてあるべきプリミティブな原理原則」を愚直に実行することだ。
そうしていれば、神仏、サムシンググレートが天から見てござる。そして、「良かれかし」と言う『宇宙の大流』に私を乗せてくださる。それは因果応報、善因善果、悪因悪果の道理だ。100%そこから外れることはない。人生はそんなものだ。

そんなことを実感した一日だった。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

志高い若者たちを応援する。

20〜21日はFloraのアンナさん(CEO)と東京の企業訪問だ。直と間を含め10社の企業との接触をする。
アンナの流暢な日本語でのプレゼンを聞き、私は門前の小僧になった。

昨夜は、西櫻亭伊勢丹新宿で、大学同期の坪内さん(元NTT docomo副社長)とアンナさん、髙田君(Flora COO、中央大学3年生)と会食した。途中から西櫻亭副社長の安藤裕美さんも加わり、和気藹々とした会話に花が咲いた。

アンナのバイタリティは群を抜いている。
ウクライナから京大法学部に入学し、ビジネスの道に進みたいと思いアメリカに短期留学した。
そして、日本に帰り、京都でベンチャービジネスを立ち上げた。
まだ26歳の若い女性だ。
その志は、まず日本を拠点にして世界に打って出る。今は、その拠点を確固とするため八面六臂でオールラウンドに頑張っている。その意気やよし。 私はアンナの応援団長として、私ができるところを精一杯サポートしたいと思う。
その志の高さ、熱い情熱、ネバーギブアップ精神、ビジネスセンス、人間性等、トータルの魅力で私は彼女を応援したくなる。
そして、COOの髙田君をはじめとした仲間たちが彼女を支えている。

ウクライナ人のアンナが日本から世界に打って出る。
ワクワクする迫力がある。人形のような若い女性にどうしてこんな迫力が備わっているのか、私はただただ脱帽でしかない。

私と彼らの歳の差は半世紀近い。坪内さんは「私たちは化石だ」と言う。
私は昭和27年生まれだ。
東大応援部は戦後創設された。昭和23年卒の先輩たちが初代になる。私は昭和50年卒だから、初代の先輩たちは私より27年歳上になる。私が現役の時は彼らは雲の上、神様のような存在だった。その彼らとの歳の差よりも、私とFloraの経営陣との歳の差はその倍近い。戦後生まれの私からすれば明治生まれの先輩たちとビジネスをする感覚だ。想像もできない。しかし、それは、お互いに刺激的なことだろうと思う。私も彼らの息吹に触れて若返る。若者のピュアさを存分に吸収させてもらう。 若者のピュアさと老人のピュアさが合わさって得もいわれぬ深く澄み渡ったピュアな水になるのだ。
私は70歳の老人らしく、素直な心で私が持っている財産を惜しげなく彼らに提供したいと思う。

『人生意気に感ず』
人生意気に感じたら、ビクともせずに風に立ち、ただ前を向いて行動するのみだ。
その行動が、私を支えてくださる皆さんのためにもなることなのだ。

一つの小粒の石が水面に落ちて、その輪を広げていく。私はそんな小粒の石になりたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)