「生き方スタイル」を死守する。

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昨日は平日だったがノーアポだった。そのおかげで、一昨日の春分の日に引き続き、私にとってはまたとない連休になった。
ちょうどWBCの準決勝・決勝と、誰に気兼ねすることなくテレビ観戦を楽しんで過ごした。こんなところはサラリーマン失格の一匹パンダでよかったことの一つだ。

メキシコ戦、アメリカ戦、ともに、連日に亙る世界一を決める歴史に残る名勝負だった。感動した。
決勝では、村上・岡本のHRはエッジが効いていたし、抑えの大谷の器用も見せ場を作った。大谷器用は、流石栗山監督の采配と思った。 最後のバッター強打者トラウトと大谷との勝負も、最後の一球は”一球入魂”の言葉通り、大谷の凄まじい気魄がこもっていた。流石WBC決勝戦の締めに相応しい対戦だった。

この2日間の素晴らしい試合は、私に人生の生き方を教えてくれたような気がする。
特に大谷選手の全てが超一流の言動は、「人間、何が大切なのか。どう思って生きていけばいいのか」を教えてくれた。

それは、大好きで愛するベースボールを極めることが彼の素晴らしい人間性をつくってきた、心をつくってきたということだ。
「好きこそものの上手なれ」という諺があるが、大谷選手は、その技術もさることながら、好きを極めることで彼の器の大きさや人間性の素晴らしさが、一般のレベルとは比べられない別次元とところまで極まっていることに驚嘆する。それは「ものの上手」のレベルではない。

そして、自分自身を振り返る。はたして私はどうだろうか。
やっと、古稀の歳にして、「好き」という観点ではないのだが、私の「生き方スタイル」を見つけることができた。遅すぎる自覚ではあるが、せいぜい長生きをして、その「生き方スタイル」を極めようと思っていた。しかし、任侠道にその「生き方スタイル」がブレてしまったところがあったようだ。

私は幼少から日本の男の生きざまを任侠道に見つけていた節がある。

義理と人情を秤にかけりゃ
義理が重たい男の世界

義理がすたればこの世は闇だ

俺の目を見ろ 何にも言うな
男同士の腹のうち

お世話になったら倍返し、3倍返しが真の人間のありようだ。

そんな任侠道は、曲がりくねった狭い世界だ。なかなか虫の目から超えることはできない。勿論、虫の目の心をなくしてはいけないが、それだけでは「人のため世のため」に生きることはできないのではないか。 広い世間を俯瞰して見る鳥の目が不可欠だ。その「鳥の目」を生きるコアにして生きるべきなのではないか。

狭い任侠道から一皮剥けて、任侠の心を失うことなく、広く深い「人の道」を生きることだ。
それは石田梅岩の言う「商人道」であり、近江商人の「三方よし」だろう。

せっかく、自分らしい「生き方スタイル」を見つけたのに、任侠道に縛られて、その「生き方スタイル」を見失ってはならない。なんやかや理屈をつけても任侠道を生きるコアにしてはいけない。森の石松になってしまう。「生き方スタイル」をブラしてはいけない。

私は長崎IRで「生き方スタイル」をブラした。また、任侠道でブラそうとしている。大谷選手はそのことを教えてくれたような気がする。

大谷選手は「生き方」に拘っている。お金や名誉ではないのだ。ブレない「生き方」を貫くことで、お金や名誉も「生き方」についてきている。何がなんでも「生き方スタイル」を死守して生きているのだ。それも自然体で。

私も、せっかく見つけた、自分らしい「生き方スタイル」に拘り続けて、第二の生を生きることが大切なのだろう。
任侠道に引き摺られて、「生き方スタイル」を見失ってはいけないのだ。

この前、裕美ちゃんに会った時、彼女は私に言っていた。
「小林さんが遠くへ行ってしまうのではないかと思っていた。小林さんらしさがなくなってしまうとちょっと淋しい気持ちがしていた」と。

「小林らしさ」を失ってはいけない。「生き方スタイル」を死守することだ。そして、人のため世のために尽くすことだ。

昨日、日本橋丸善で中村天風関連の本を買った。

⑴中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない(池田光著、三笠書房)
⑵心を磨く(中村天風講演集、PHP)

不動院重陽博愛居士
(俗名小林博重)

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