心が通じる人との楽しい会食

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昨日は久しぶりに心の洗濯した一日を過ごした。

お昼には范さんが事務所にいらして、1時間ほどのお話しをして、近くの行きつけの中華料理店(礼華青鸞居)でランチをともにした。

彼女とは昨年の私の誕生日(11.8)に新宿伊勢丹の西櫻亭で初めてお目にかかった。この誕生日会は黄さんが中心となって開いていただいたもの(実は、会場やプレゼントは私がお願いしたもので、妻は「図々しいにもほどがある」と呆れていた。勿論、妻も誕生日会には出席した)で、総勢9人の女性たちが集まってくれた。その中のお一人が范さんだった。

范さんとはこの会を開催することが決まって、その1カ月前からメールのやり取りをしていた。だから、初対面だったのだが、昔からの友人のような気持ちでお会いした。

彼女は人生100年時代の半ばにさしかかった歳になったこともあり、今までの人生を振り返り、その殻を破って、より広く高い人生のステージを生きてみたいと考えていた最中だったようだ。彼女がそんな思いの時に私は彼女に巡り会ったのだ。 お互い、心の琴線に触れ合ったというのだろうか、心の深奥までオープンにして、メールやリアルな会話をして語り合った。
それから3ヶ月。彼女は5月から新天地で第二の人生をスタートするのだと、私に報告しに来てくれた。ありがたいことだ。

稲盛さんは、【人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力】という人生・成功の方程式を私たち塾生に示された。私はこの成功を幸せと読み換えたい。人生の成功とは幸せになることだと思うからだ。

范さんの話をお聞きして思った。彼女はその熱意や能力は抜群であるから成功の人生を送ることができているのだが、それ以上に彼女の人生の考え方、人生を深掘りしていることが何よりの成功の原因なのだということだ。

「私は何のために生まれてきたのか。私に与えられた能力をどう使ったら、その能力を与えて下さった天(神仏)に顔向けできるだろうか」と人生を突き詰めて考えている。そしてブレない哲学まで高めている。それが彼女が幸せになる最大の原因なのだ。 彼女は、ブレない生き方、ブレないスタイルを死守して生きている。何よりも自分に正直に、真っ直ぐに生きている。

彼女の話を聞いて、そのブレない生き方が私の腹にストンと落ちたのだ。
はたして、私はどうだろうか。「森の石松ではいけない。大政にならなければ」と思った。
親子ほどの違いはあるが、歳が子どもの范さんに人生を生きるコツを教えられた気がした。私はこんなことがザラにある。心はまだまだ幼子なのだ。

17時から西櫻亭でMYパートナーズの永田さんと裕美ちゃん(安藤裕美さん、西櫻亭の経営者)との会食があるので、14時半に事務所を出て、2時間半をかけて西櫻亭まで行こうと思った。 直線距離で歩くと40分で着くだろうが、久しぶりのウォーキングをしようと思ったのだ。
外苑前→神宮球場→絵画館前→赤坂御所→四ツ谷駅→半蔵門→千鳥ヶ淵緑道→靖國神社→市ヶ谷駅→四ツ谷駅→新宿御苑→伊勢丹新宿(西櫻亭) ちょうどピッタリ17時に西櫻亭に到着した。いい運動になった。これでストレスも解消だ。
裕美ちゃんは私の子どものような歳(三男の1歳歳下)だが、気持ちよく私たち古稀を過ぎたおじいさんたちと付き合ってくれる。明るい天真爛漫な人柄だ。決して慇懃無礼ではない。「巧言令色鮮なし仁」ではない。
私の愛娘のような愛すべきお嬢さんだ(私の同期の東北大応援団長だった木島先生(元副学長)は、「愛娘のようなの『ような』はちょっと問題だな。誤解される」と笑っていう。 また、妻は「愛娘のようなではなく、愛娘なんだよね」と言ってくれる。私たち夫婦には息子たちが3人で娘はいないから、やはり裕美ちゃんは私たち夫婦の愛娘だ。

范さんも裕美ちゃんも、心が真っ直ぐで、努力家で、ガッツがある。だから私も心をオブラートに包むことなく何でも話すことができる。

私は、ビジネスライクのみの付き合いは全く得手ではない。ビジネスのベースにハートがないと、お金の切れ目が縁の切れ目になってしまうと思うからだ。人とは長い付き合いをしたいと思う。しかし、心と心の付き合いができる人は出会う人たちの中のほんの一握りなんだろう。世の中はそんなものだ。 稲盛さんは京セラを創設した時のことをこのように書いていらっしゃる。

私は今から35年前、周囲の方々の温かい支援のもとに、7名の仲間とともに京都
セラミック株式会社をつくりました。
会社を始めた頃は十分な資金もなく、立派な建物や機械もありませんでした。ただ私には、家族のように苦楽を共にし、お互い助け合える心と心で結ばれた仲間がありました。
そこで私は、人の心というものをよりどころとしてこの会社を経営していこうと決心しました。それは人の心ほどうつろいやすく頼りにならないものもないかわりに、ひとたび固い信頼で結ばれれば、これほど強く頼りになるものもないと思ったからです。

「人の心は冷たい。されど人の心は何よりも温かい」
私は心の琴線に触れてお付き合いする人をありがたく大切にしたいと思う。
その出会いをつくってくださったのは天であり、天は心を清くして生きている人にそのような出会いを与えてくださる。
因果応報、善因善果ということだ。

久しぶりに心が通じる人たちと楽しい会食をすることができて、ストレスは吹っ飛んだ。
昨日は素晴らしい一日だった。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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