髙橋忠一さんのご冥福をお祈りする。

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昨夕、銀行時代同期の菊本直孝さんから、3月11日(土)に髙橋忠一さんがご逝去されたとLINEをいただいた。
髙橋さんは、私が渋谷支店から神戸支店に転勤した時の次長(副支店長)であり、神戸のあと、人事教育部に転勤したがその時の部長だった。
私が神戸から人事教育部に転勤したのは、新しくつくる人事教育部(髙橋さんが部長)のスタッフとして、是非神戸から小林を異動させてほしいと髙橋さんが強く人事部にかけあったこと故だった。

ちょうど私たち同期が役付にトップ昇格する時だったが、私はその中に入っていなかった。それを髙橋さんは、「人事に異動させる時にトップ昇格でなければ格好がつかない。何とか小林を昇格させて異動させてくれ」と言うことだった(それは異動して髙橋さんから聞いたのだが、私が人事教育部から人事部に異動して、社員の人事考課表を見ることができた時、入社以来の自分の人事考課を見てその通りだったと確認できた。私は自分でも自覚していたが、サラリーマンとしての評価は高い人間ではない。こんなところからも髙橋さんには恩義がある)。

髙橋さんはお名前が忠一であるので、皆んなに「忠さん(ちゅうさん)」と親しみを込めて呼ばれていた。
佐藤栄作元首相は「栄ちゃんと呼ばれたい」と仰ったようだが、「皆んなから愛されたい」と言う願望は偉くなった人ほど強いのだろう。 「あの人は人望がある」とか「素晴らしい人柄だ」とか言われるが、リーダーの中でもトップリーダーは、そのような「人望ある人」であってほしい。

忠さんは私に何を期待されたのか。
それは銀行員に必須な銀行員としての知識とか、銀行員らしい振る舞いとかではない。それは私には所詮無理なことだ。
私に期待されたのはリクルーターのリーダーだった。リクルーターに相応しい若手社員を選別し、そのリーダーになること。私が学生たちを惹きつけるトップリーダーになること。安田信託は信託銀行の中では、三菱、住友、三井に次ぐ4番目だが、小林やリクルーターの人間的魅力で就職戦線を戦っていく。強力軍団をつくることだ。

忠さんとは、飲みながら、精神論を戦わせたものだ。「小林は甘い」としょっちゅう言われた。しかし、私を誰よりも信頼してくださった。 「小林しかできない採用をやれ。流石、小林と言われる採用だ」と発破をかけられた。
そして、忠さんには「勝つ」意味を教えられた。
東大応援部は「勝つぞ、勝つぞ、東大」と言っているが、それは言葉だけでほんとに勝たせようと応援をしていないのではないか。小林もそうなのではないか。 安田は4番目でいいんではないかと心では思っているのではないか。それではほんとの人材は採用できないぞと。

昭和末期の頃だ。それから40年近くが経つ。昭和は遠くなりにけり。
人生とは何ぞやと思う。そして、尾崎士郎の「人生劇場」を思う。早稲田大学第2校歌は「人生劇場」だ。
時代は変わろうとも、人間の生きざまは、その根っこは決して変えてはいけない。
時代に取り残されないために、若者とパートナーシップを取って、「敬天愛人」をベースに堂々と生きることだ。堂々たる「応援人生」を生きることだ。

やると思えば どこまでやるさ
それが男の魂じゃないか
義理がすたれば 心は闇だ
なまじとめるな 夜の雨

時世時節は 変わろうとままよ
吉良の仁吉は男じゃないか
俺も生きたや 仁吉のように
義理と人情の この世界

心から、髙橋忠一さんのご冥福をお祈りします。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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