涙を抱いた渡り鳥

昨夜は21時過ぎに床に就いた。いつもより1時間は遅い。目覚めたのが1時。3時間くらいしか眠っていない。少しうつらうつらして寝入るまでには至らない。こんな時は起きて事務所に行くことに限る。 3時過ぎに事務所に着き、このブログを書いている。

今朝は少し冷える。このところ、春の陽気が続いていたので、今の気温が平年というがそうは思えない。平年よりも高い低いと言っても、その「平年並み」とは過去30年の平均気温ということで、当たり前だが、毎年気温は山坂がある。

人生も同様だ。70歳の平均余命は男が15.08年だそうだ。あと15年くらいしか生きられないということ。そう思って楽しく明るく余生を送ることが70歳の「平年並み」ということなのだろう。 しかし、私は70歳を機に生前葬&出陣式を行い、第二の人生をスタートさせたのだ。
まだまだ第二の人生の0歳と思って生きれば、違った世界が見えてくる。そう思ってこのイベントを行なった。
意思の弱い人は無言実行よりも有言実行で人生を生きることだと思って行なったのだ。

しかし、身体はいたるところガタが来ている。高血圧、高脂血症、痛風の薬は飲んでいるし、健康食品も3種類飲んでいる。さらに今は五十肩で四苦八苦している。 今度の日曜日には五十肩の治療で、経堂の楊梅桃李(女性向けのマッサージサロン、裕美ちゃんの紹介)を受診する。
身体は歳には逆らえない。つくづく、歳は取りたくないものだと思う。
妻は、「もうそろそろ利口になって高齢者らしく生きたらいいのに」と言う。

しかし、生まれ変わった身だ。あと50年生きると思って生涯現役を目指して、できるところまで生きてみたいと思う。
仕事の最中に倒れることが老人の正常な終結だと思って生きようと思う。
勿論、あと半世紀生き長らえたらたくさんの人が迷惑するだろう。それは分かっているが、その心持ちで生きることが幸せな人生を生きることになると思うのだ。

105歳で亡くなられた日野原重治先生は「生き方上手」というご本を書かれたが、同じ「生涯現役」でも、私のそれは決して上手な生き方ではないと正直言ってそう思う。
しかしこればかりは、生まれ持ったキャラクターのなせるところで致し方ない。できるだけ人さまにご迷惑をかけないことを念頭に置いて生きようと思う(その生き方自体が人さまにご迷惑をかけると妻は言う)。

水前寺清子の『涙を抱いた渡り鳥』を思う。
果たして、私はこの歌の主人公なのだろうか。

ひと声鳴いては 旅から旅へ
くろうみやまの 時鳥(ほととぎす)
今日は淡路か 明日は佐渡か
遠い都の恋しさに
濡らす袂(たもと)の 恥ずかしさ
いいさ 涙を抱いた渡り鳥

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)