今朝は4時過ぎに目覚めた。熟睡とまではいかないが、思いの外眠ることができたようだ。
長い人生には、まずもって、真っ直ぐな一本道が続くことはない。曲がりくねった山道であれば、これが一本道なら人一倍注意を払って前進すればいい。一人で努力すればいい。場合によっては今来た道を引き返してもいいだろう。
しかし、間々、三叉路や交差点に出くわす。目的地が何処にあるかはっきり分かっていて、スマホのマップでチェックできれば何と言うことはないが、人生はそんな甘いものではない。一寸先が闇というのは政治家だけではない。どちらに進めばいいか、悩むことばかりあるのが人生だ。
そんな時、私は、私のバイブルを取り出して何度も何度も読み返す。その私のバイブルとは稲盛和夫さんの著作だ。
『生き方』『考え方』をはじめとした数多くの著作は、私に「生きる指針」を与えてくれる。
それは「人間として如何に生きるべきか」「人間の原点とは何か」そして、「プリミティブな原理原則に立ち返って歩いていくことが幸せへの近道」なんだと教えてくれる。
「不易流行」
何事も時代の変化に合わせて日々自らを変えていかなければ生きていくことはできないが、その変えていく中に、決して変えてはならない「人間としてあるべき存念」を見失うことがあってはならない。
それはプリミティブあり、誰もが親や先生から教わった、そんなことは当たり前だとも言える教えだ。しかし、大人になって生き方上手な人間になると、その当たり前のことができなくなってしまうようだ。
「嘘をつくな」「正直であれ」「人に迷惑をかけるな」「思いやりの心を持て」などなど、誰でも子どものころ教えてもらったことがあること。それは盛和塾で稲盛さんから教えてもらったことだ。その盛和塾の塾生ですら、間違った「生き方上手」な人間になると、その本質を忘れてしまうことが往々にしてあるのだ。
リーダーの在り方を思う。
中国明代の哲学者である呂新吾は「呻吟語」に言う。
深沈厚重なるは、これ第一等の資質
磊落豪雄なるは、これ第二等の資質
聡明才弁なるは、これ第三等の資質
聡明才弁な人間が経営のトップになることが間々ある。いや、そのような人が多く経営のトップを務めているのだ。そして、その人たちはリーダーとしては第三等の資質の持ち主なのだ。見間違えてはいけない。
どちらの道に進むべきか。
人さまのために生きる道、誰にも恥じることのない道を選ぶことだ。
そうすれば、必ずその人は成功する人生、幸せな人生を送ることができる。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)