義理と人情を秤にかけりゃ
義理が重たい男の世界
(唐獅子牡丹)
何から何まで真っ暗闇よ
筋の通らぬことばかり
(傷だらけの人生)
ものいわぬははらふくるるわざなり
(徒然草)
恩を受けたら倍返し、三倍返し
稲盛和夫さんは『生き方』の著書の中で「単純な原理原則が揺るぎない指針となる」と仰っている。
魂というものは、「生き方」次第で磨かれもすれば曇りもするものです。この人生をどう生きていくかによって、私たちの心は気高くもなれば卑しくもなるのです。
人格というものは「性格+哲学」という式で表せると、私は考えています。人間が生まれながらにもっている性格と、その後の人生を歩む過程で学び身につけていく哲学の両方から、人格というものは成り立っている。つまり、性格という先天性のものに哲学という後天性のものを付け加えていくことにより、私たちの人格(心魂の品格)は陶冶されていくわけです。
どのような哲学が必要なのかといえば、それは「人間として正しいかどうか」ということ。親から子へと語り継がれてきたようなシンプルでプリミティブな教え、人類が古来培ってきた倫理、道徳ということになるでしょう。
すなわち、嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えてはならないなど、だれもが子どものころ、親や先生から教わった、そして大人になるにつれて忘れてしまう単純な規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準としたのです。
それは、とてもシンプルな基準でしたが、それゆえ筋の通った原理であり、それに沿って経営をしていくことで迷いなく正しい道を歩むことができ、事業を成功へと導くことができたのです。
そんなことを右往左往しながら考える。
まだまだ私は、「人間」ができていない。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)