男の修行⑵

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切羽詰まった時や一生に一度か二度しかないような普通ではない時に、その人がどれだけの「人物」であるかが分かる。
世間渡りが上手な人は、平常の時ではその正体をオブラートに包み込み、なかなかその人の正体を見破れないことがある。だから「人物を買い被って」しまう。よほど眼力がある人であってもそれを見破ることはなかなかできはしない。

自分が「人物を買い被って」いたと分かった時、どのようにその人に対処するか。
できた人は、自らの不明を恥じ、そのような人物と分かったことを天の恵みと思い、今まで通りさりげなく、その人と淡々と付き合う。 できない人は、胸の内をあからさまに表に表す。
それが大人と子どもの違いだ。

人は一人では生きていない。生きていけない。多くの人との付き合いの中で生きている。
一人の人とのぎくしゃくした関係が周りの人たちとの関係を悪くしてしまう。どうしたら、皆んなが幸せな気持ちになって生きていくことができるか、そのことを考え処することができる人を「大人(おとな)」という。「大人(たいじん)」という。

人生は一生修行であり、勉強である。
そして、人間は幾つになっても少しずつでも進歩することができる。

山本五十六の言葉を噛み締める。

苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう

腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう

これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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