奇跡的な『邂逅』

巡り逢いによって人生は変わる。それもコペルニクス的転回で変わってくる。しかし、そのために、生きる人生哲学がブレてはいけない。尚、一層強固に揺るぎないものにアウフヘーベンすることが大前提だ。

人生には数えきれない出逢いがあるが、同じ出逢いでも『邂逅』はニュアンスが違うように感じる。『邂逅』には、生涯出逢う「出逢い」のなかでも奇跡的とも言える出逢いのイメージを私は感じる。それはまさに「奇跡」と言えるだろう。

さだまさしに「奇跡」と言う歌がある。

奇跡〜大きな愛のように〜

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない

僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない
けれどあなたを想う心なら 神様に負けない
たった一度の人生に あなたとめぐりあえたこと
偶然を装いながら奇跡は いつも近くに居る

ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい

あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない

今日と未来の間に 流れる河を夢と言うなら
あなたと同じ夢を見ることが出来たならそれでいい
僕は神様でないから 奇跡を創ることは出来ない
けれどあなたを想う奇跡なら 神様に負けない

ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい
ああ大きな愛になりたい あなたを包んであげたい
あなたの笑顔を守る為に多分僕は生まれてきた

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない

これは男女の愛の歌だろう。恋人か夫婦か、そんなところだろう。しかし、それだけではない。偶然巡り逢ったことが『邂逅』にまでアウフヘーベンして、極短時日の付き合いであっても、このような「奇跡」の歌がピッタリな関係になる人もいるのだ。 それが「奇跡」ということなのだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)