「まずは人のために」それが自分のためになる。

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「ど厚かましいけど嫌われない」が私のモットーになっている。
私の性格は、中学生までは真逆だったような気がする。コペルニクス的転回は高校時代だ。
能登の田舎から雅な金沢に下宿して、田舎者丸出しで高校生活を送った。同級生たちは皆髪を伸ばしていた。運動部に所属している生徒たちも当時の高校生には珍しく、丸坊主頭はいなかった。金沢大附属高校は、ちょっと県立高校とは違っていた。都会的な高校だった。 私は柔道部だったが、私にそんなオシャレは似合わないと思っての丸坊主だった。
それが目立ったということなのだろう。そんな私を同期生は好意的に接してくれた。それがキッカケで私の性格は変わっていったのだろうと思う。 捻くれていない素直な生徒だったことも皆んながそのように接してくれた原因だったと思う。

私は人と人をつなぐことを生業にしている。ビジネスであったりボランティアであったり、何でもありだ。
それで儲けようと思っていないことが問題でもあり、それがために人は私を受け入れてくれるのだと思っている。何事も一長一短がある。

私は、モットー通り「ど厚かましいが嫌われない」ことをベースに人の懐に飛び込んでいく。勿論、飛び込んでいっても嫌われない人のところしか飛び込んでいかない。私もそれなりに人を見て行動している。

私はAさんにBさんを紹介した後で、Aさんは私に「このような対応で良かったでしょうか」と仰ることが間々ある。ありがたいことだ。私がお願いしていることであるのにである。

私は「どうしてか」と考える。そして、それは私が「ど厚かましい」こと、キャラクターがそんなものだと受け入れていただいているだけではないのだろうと思う。

それは、「小林さんは私(会社)のためにこの人を紹介してくれたのだ」と思ってくださっているからなのだ。それまでも何回かメリットある紹介をしてくれた、これからも紹介してくれるだろうと言う思いがおありだからだろう。

そして、その連鎖があって私は生きているのだ。たくさんの人たちと友人・知人になると、その連鎖を楽につくることができる。

「先憂後楽」
「自利利他」
「因果応報」
「善因善果」

は全てそんなことだ。何も難しいことではない。
しかし、人は「自分、自分」と思う心で満たされていて、人のことを考えない。口先だけになってしまう人が多い。

その利己をもっと突き詰めればいいのにと思う。究極の利己は利他になるのに、利己を究極まで追い求めないのだ。それは勿体ないことだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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