私の悠々人生を突っ走る。

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古稀を過ぎて今まで以上に思うことがある。「人生は有限であり、残りの人生は日々短くなっている」と言うことだ。これは当たり前のことであり、若い時は考えないわけではなかったが、残りの人生が短くなってくると、寄り道をしている時間はないことを痛切に感じる。

私は40歳を過ぎた時、残りの人生はあと半分だと思った。そして、稲盛和夫さんと巡り会って「人間如何に生きるべきか」「私は何をするために生まれてきたのか」と自問自答し、無謀にも銀行を飛び出した。 何も勝算があったわけではない。比喩として、経営の才などない自分が冬の日本海に飛び込んだというのが当たっている。
一時はとんでもないことをしたものだと思い悩み後悔したこともあったが、「反省はしても後悔するな」の言葉を反芻し、半世紀以上の期間、七転八倒してきた。 「因果応報」、人生何とかなるもので、これは稲盛哲学と応援哲学のおかげであると思う。
人生、幸せ、哲学等、人間の本質を追求し続けることで、幸せは自分に訪れると思うようになった。そして、その想いは揺るぎないものになったと感じている。これが馬齢を重ねると言うことか。
人間の寿命からすれば古稀という最終コーナーを曲がった時点で悟ることは、それまでの人生は馬齢を重ねてきた人生なのだが、「終わり良ければ全て良し」の諺もある。今までの70年間は人生の半分であり、あと半分の人生があるとは全く思わないが、これからは新たな第二の人生であり、70年をリセットして、第一の人生をベースに、賢く、高コスパで残りの人生を生き抜くことが、この世に送り込んでいただいた天への恩返しなのだと思う。そして、そのための「生き方スタイル」は漸く総天然色で見えてきたように思う。 目指す目標に辿り着くためには、「確立した生き方スタイル」が不可欠なのだ。そして、その第一歩を漸く歩み始めたところだ。

私には、多くの人たちが歩く一般的な「悠々人生」とは全く縁がない。心身の健康に留意することは、私独自のビジネス&ボランティアの道を歩くための手段であり、それが目的ではない。
永久現役、生涯現役で目標を果たすこと、天から与えられたミッションを果たすことが、私独自の悠々人生なのだ。ビジネス=ボランティア=遊びなのだ。一石三鳥というところだ。素晴らしい高コスパではないか。

スイスの哲学者である、カール・ヒルティは言っている。
「仕事のさなかに倒れること、これこそ正常な老人の正しい経過であり、およそ人生の最も望ましい終結である」と。

2〜3月は毎週出張が続いている。石川県、富山県、福岡県だ。福岡県は4週連続だ。
第二の人生のベースづくりを固めて、これからの私の悠々人生を突っ走ろうと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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