昨日、OUEN塾OBの江崎卓君が来社し、青山グランドホテル2階のKAWAKAMI-ANにてランチを共にした。
江崎君はいつも来社する時はお土産を買って持ってきてくれる。1月26日の信念会のおりにも早く会場に来てくれて受付をはじめ準備作業を手伝ってくれた。まだ社会人2年目の24歳。こんな気配りができる若者は珍しい。実に誠実で心優しい好青年だ。
彼が言うには、
「この前の信念会は盛り上がりましたね。いつも望年会はおじさんばかりだったですが、参加者の40%近くが女性だと全く雰囲気が変わりますね。 団長はどうしてそんなに人を集められるのですか。それも老若男女、業種もさまざま。今回は女性が50名以上。団長のお人柄なんでしょうが、その秘訣は何でしょうか」
江崎君は素直で気配りができて、何事にも興味を持って思うところを私に投げかける。私も心を開いて思うところを話す。
彼の質問に答えながら、私は私の来し方の人生を振り返り、これから行く末の人生を考える。沈思黙考することとは違う、会話を通して私の人生を整理整頓するのだ。そんな時、自分でも気づかなかった心の内奥を口から発することがある。 やはり、人との触れ合いは人生の成長になくてはならない不可欠なものだ。
①友だちの友だちはみな友だちだ。「類は友を呼ぶ」の諺もある。オープンマインドで人と接することだ。
②全ての人と対等なお付き合いをすることだ。
「偉い、偉くない」は私の付き合いには全く関係ない。人間、皆平等。偉くなった人は素直に尊敬するが、それはその人はできる人かもしれないが人間ができた人ということではない。区別をしても差別をしてはいけない(と言っても、私は全く人を差別したことがないというそんな傲慢なことは思ってはいない)。
③人と喧嘩せず。
と言ってもこれは最近になってのことだ。昔は結構喧嘩早かった。我慢ができなかったのだ。正しいと思ったことを通そうと思ってそれをそのまま発言し行動に移すことは、必ずしも人生の成功にはつながらない。グッと我慢することも大切だ。 それは相手の立場に立って考えるということ。こちらが100%正しいと思うことは私の思い。相手はどうだろうか。
その人の性格や立場によって自分は負い目があると思っていてもどうしたらいいか悩んでいることもあるだろう。そのことに思いを致すと、こちらの対応も変わってくる。そうすれば物事はスムーズに展開することが多くなるだろう。ただ真っ直ぐに突き進めばいいというものではない。 私はそれを古稀になって少し分かったような気がする。ちょっと遅すぎるが。
自分のことと同じように人のことに思いを致すことで争いを避けることができる。
争いや諍いは何もいいことはない。それは昨今のウクライナ侵略や気球に対する米中の対立にも現れている。
お互い何もいいことはないのに、なぜ争うのだろう。それぞれの言い分はあるだろう。100対0ということはない。だとすれば、外交は争う因果な世界だと思う。
それに比べ人間関係は、賢い人なら恕の心(思い遣りの心)を持って考動すれば、お互いがWIN WIN の関係になることができる。 即ち、賢い人になることだ。人を思い遣る心を持つことだ。
私はそのことで結構失敗してきた。友人を無くしたこともある。
人間は愚かだから、やはり失敗しないとなかなか悟ることはできない。
ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言った。私は愚者なのだろう。歴史を学んできたものの、なかなか血肉にはなっていなかった。 血肉になるには学んだ歴史に自らの経験が加わり、それでやっと堅固なものになっていく。だからその悟りを生かすためにも長生きをしたいと思うのだ。
そんな話をした。私もそのようなできた人間になりたいと思いながら話した。
「有言実行」言えばやらねばならないのだ。
今日からまた、1泊2日の福岡出張だ。河村会長の想いを果たすためにも人生後半戦、頑張っていきたいと思う。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)