第2の生のミッションを熟慮断行する。

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「応援」とは「援けに応える」ことだ。それは「人のために尽くす」「他を利する」利他でもある。

私は「応援」を、人と人をつなぐことで行なってきた。ビジネスにおいてもボランティアであっても、それは「1対1のマッチング」であり、もっと広く「多数の関わる人たちのコラボレーション」のコーディネーターである。いわゆる「人と人をつなぐこと」である。

それは、その「人たち」の心の深奥まで入ることによってサポートすることではない。それはそれぞれの個人や法人のミッションであり、私はその一部分をサポートするだけだ。

私は人が好きであり、人に関わるビジネスやボランティアに関わり、彼らのサポーターになることが生業であり、それは彼らが考えたミッションを私のキャラクターや培ってきた人脈をフルに駆使することでお手伝いすることであり、それ以上ではない。私はそれでいいと思っている。それが私の能力が一番発揮できる思うからだ。

私は一般に言う組織人には相応しくない人間だと思っている。だから、組織を出てフリーターとして自らが緩やかな組織をつくり、その渦の中心になって私のミッションを果たそうと思っている。そう思ったのは、私の70年の人生での拙い経験から確信にまで高まり、それは揺らぐことはない。

しかし、そのスタイルを固守しつつ、人の想いを真正面から受け止め、それに応えること。どうしたら、ご恩になったお返しを「倍返し」「3倍返し」ですることができるだろうかと考える。

人に期待されたら、そして、その人が私のことを心から信じてくれて、想いをつないでほしいと思って、それを私に託してくれたのであれば、私はそれに応えることが「人として」の在り方であろうと思う。

私に何ができるか。私にしかできないことは何か。それを明確にして、その期待と信頼に応えることだ。

そんなに時間はない。1ヶ月くらい熟慮しよう。そして、熟慮の上、断行するのだ。
それが、私の第2の生のミッションを具体的に明確にすることなのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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