♬ 男心に男が惚れて ♬
(名月赤城山)
♬ 義理と人情を秤にかけりゃ
義理が重たい男の世界 ♬
(唐獅子牡丹)
♬ 俺の目を見ろ 何にも言うな
男同士の腹のうち ♬
(兄弟仁義)
♬ やると思えばどこまでやるさ
それが男の魂じゃないか
義理が廃ればこの世は闇だ
なまじ止めるな夜の雨 ♬
♬ 時よ時節は変わろうとままよ
吉良の仁吉は男じゃないか
俺も生きたや仁吉のように
義理と人情のこの世界 ♬
(人生劇場)
生まれてから今まで、ずっと男の演歌を好んで歌ってきた。心の中心は『男の世界』に憧れているのだろう。
レイモンド・チャンドラーは、
「タフでなければ生きて行けない。優しくなければ生きている資格がない」と言っている。
演歌の世界の男の生きざまは、タフなようで優しい。その優しさを隠して、表情に出さないことが男らしいのだろう。
これからの目指すところは『ジェンダー平等』の世界であり、男はその優しさを表現することを躊躇ってはいけない。それがこれからの真の男の生き方なのだ。
両極端を併せ持つことはバランス感覚であり、それが人間には求められる。
「シンプルイズベスト」ではあるが、それは「生きざま」が真っ直ぐぶれないこと、分かりやすいことの意味であり、「強さと優しさ」「豪胆と繊細」を併せ持ち、両極端をアウフヘーベンさせる男が真の男であり、人間であろう。
人生70年生きてきて、それは馬齢のところが多々あったが、おかげさまで元気に生きてくることができた。
70年の中古車であり、あちらこちらガタが来ているが、それだからこそ、酸いも甘いも噛み分けることができるようになった。
「清濁併呑」という言葉がある。心が汚れた濁は問題外だが、清くなろうとして人生を闘っている濁であるなら、併呑してもよい。いや併呑すべきなのだ。 右と左の両極端をアウフヘーベンすることで、人に幸せを与えることができることは多くあるだろう。
争うことをせず、併呑する器量を身につける「大物」になることだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)