金沢から北陸新幹線で約20分、富山に入る。富山では、富山県議会議員の鹿熊正一さんを訪問する。鹿熊さんは富山県東部に位置する朝日町が選挙地盤だ。4月の統一地方選挙がまもなくであり、そんな時に快く面会していただけるのは、東大応援部の1年後輩だったこともあるが、鹿熊さんの心広く謙虚な生き方を貫いていらっしゃるお人柄のなせる所以だ。
彼は、私の後の応援部主将(団長)を任せたい人徳ある人物だった。それは、自他ともに認める既成事実だった。しかし、彼はその直前、突然に退部したのだ。それで、私の後任の人事構想は全て崩れてしまった。そんなお互いに忘れることができない思い出がある友人同士なのだ。
昭和49年は私が東大応援部主将(団長)の年だ。東京六大学野球秋季リーグ戦が始まる直前の8月、応援部の伊豆大島で夏合宿があった。 竹芝桟橋に集合して合宿はスタートするのだが、その前日に鹿熊さんは私が帰省していた能登に電話してきて、これから能登まで伺いたいのだと。
鹿熊さんの実家は富山の泊だから北陸本線で津幡まで来て七尾線に乗り換えて能登部まで来る。隣の県だからそんなに遠くはないが、なんでまた合宿の前日にと、私は嫌な予感がした。 案の定、応援部を退部したいとのこと。お父上が富山県会議員で、将来を考えて、思うところがあるのだと。
父が行きつけの寿司屋で飲みながら鹿熊さんの話をじっくり聴いた。やむを得ない。そして、その翌日、竹芝桟橋で部員全員に鹿熊さんの退部を伝えた。
鹿熊さんを信頼していた。しかし裏切られたと言う気持ちはサラサラなかった。それだけ彼の人間性を尊敬していたからだろう。だから、彼とは50年来の付き合いが続いているのだ。
会食のおり鹿熊さんが言うには、富山の人口減少は全国のいずれの地方と違わず、止まることがないと。特に若い女性の県外転出が多い。女性には富山が魅力がない。何とかしなければならないのだと。
私はOUEN信念会の話をして、「ジェンダー平等〜女性の活躍が日本を元気にする〜をテーマにしてパネルディスカッションをしたこと、そのパネリストの一人が富山県魚津市出身の中瀬幸子さんで、彼女は横浜でAvintonジャパンというITベンチャーを立ち上げていらっしゃることを話した。 鹿熊さんは「是非、紹介していただきたい。団長とご一緒に富山まで来ていただけないか。富山を元気にするお手伝いをしてほしいと思う」と。 そんなことで、20時を過ぎていたが中瀬さんにお電話した。詳細はメールでお伝えするがそんなことなんだと。
鹿熊さんは「今日は先輩に会っていろいろいいことがあった」と私との再会をとても喜んでいただいた。
私は、石川県のみならず、加賀百万石のもう一つの富山県の地域創生にもお手伝いしたいと思う。
こんなところからお手伝いできるとは全くの想定外だったが、世の中はそんなものだ。「犬も歩けば棒に当たる」の諺もある。
これからもフットワークよろしく、人さまとのコミュニケーションを大切にしていきたいと思う。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)