『立春』は第二の生の誕生日

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今日は立春、二十四節気のスタートの日だ。
昨年、私はウォーキング中に新宿の公園で高転びに転び、慶應病院で頭を5針縫った。幸運にも脳には異常はなかった。
ただ、右の前頭部が10円玉くらい、毛が抜けて生えてこない。さらに、縫った跡も当然ながら毛は生えてこない。
そんなわけで、この際丸坊主にしたほうがスッキリするということで、床屋で丸刈りにした。
日が経つと、それでも中途半端だと思ったので、毎日朝風呂のおりにT字型カミソリで剃ることを日課にしている。頭皮の具合でカミソリでは差し障りがある場合もあるので電動シェーバーも購入して剃髪に関しては万全の体勢を整えている。

昨年、瑞華院了聞の福井住職に転んだことをお話ししたところ、「小林さん、立春は二十四節気の第一の日であり、それはおめでたい日です。そんな日に転ばれて第二の人生をスタートされたのは、それはおめでたいことです。 大事に至らなかったのも、おめでたい日だったからでしょう」と。

何事も前向きに考えることだ。神仏はその人の生きざまをご覧になって、それが素晴らしいものであれば、それに相応しい恵みを与えてくださるのだ。

松下幸之助さんは、溺れる寸前、引き返してきた船に助けられた時、「これが夏だったから良かった。冬だったら到底助からなかっただろう。僕はつくづく運のいい人間だ」と述懐されたとか。

運の強さを確信すること、人間は神仏によって生かされている存在だと実感されたのだろう。
何があろうと人生を怨むことなく、素直に謙虚に生きることで幸せな人生を送ることができるということだ。

私は、一人ならずの人に「小林さんは、ボランティアのようなことをして、それがどうしてビジネスになるのか。果たしてビジネスをしているのか」とよく聞かれる。私は「これが私のビジネススタイルであり、ビジネス=ボランティアなんです」と言っているが、客観的に考えると、自信を持ってビジネスをしているとは言うことができないと思う。 こんなことは私しかできないだろうと思うし、誰も私のようなことをやろうと思う人はいないだろうと思うからだ。汎用性がないことはビジネスにはならない。

ビジネスコンサルティングなら、自らがコンサルをするから、成約に至った時はそれを自分が知ることができる。そして、フィーを請求する。 しかし、私の場合はそう言うケースもあるが、私が知らないところでビジネスが成約することもある。
そんな時は私は分からないから、私からフィーを請求することはできない。私にフィーを支払うべき人が「小林さん、ありがとうございました」と言って支払ってくれることを期待するだけだ。 また、私はそのフィーの料率をほとんど決めないで人を紹介しているから、相手の言うままにいただいている。

この2つから分かるように、これはビジネスではないのだ。しかし、私の性格上、これが一番私に合っているやり方だ。その点、私はビジネスパーソンではない。

私にフィーを支払わなかった人について、私は後からそのことを知ることになるのだが、それは、その人のビジネスの相手は私が紹介した人で、その人がそのことを私に話してくれるからだ。

私はそれを聞いた時、もうその人とは付き合うのを止める。フィーを請求することはしない。その替わり、その人を無視して金輪際付き合わないのだ。 「無視」「絶交」は何よりも厳しい仕返しなのだ。もうその人は私のネットワークを活用できないのだから。

ことほど左様に、私はビジネスパーソンではないが、何とか生き長らえている。
それは、私とWin Winの関係になることが幸せの最短距離だと考える心清き人たちが私の周りに大勢集まってきてくださるからだ。

人生は因果応報、善因善果、悪因悪果だ。

人生は面白い。
そして、人生は素晴らしい。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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