私が決して金融機関には就職しまいと思っていたのに安田信託銀行に入社したわけを考えると、一番には応援部の8年先輩である井口さんにお誘いいただいたことがある。
東大紛争の後の応援部は、ブラスバンド部員のほとんどが退部し、新しく吹奏楽団を立ち上げた。そのため、応援部員は4人にまで減少し、廃部の危機というところまでに至った。 その時、井口さんをはじめとするOBの有志が立ち上がって再興させた。
朝日新聞社で11年先輩の志村さんは社会部の同僚にお願いされ、その結果、朝日新聞の東京地方版に『東大応援部、危機!、志ある東大生よ立ち上がれ!』と東大生に発破をかける記事が掲載された。そんなことで、私の同期や後輩たちが10人以上入部したのだ。
そして、先輩たちの接待攻勢があった。
「入部したら最後まで頑張れ!」「応援部は、特別人生勉強になるクラブだ。最後までやり遂げたら人生は明るくなる。続けることだ」と、それは温かい言葉ばかりをかけていただいた。その先頭が井口さんだったのだ。
そんなことで、私はよく井口さんがお勤めだった安田信託銀行馬喰町支店にお邪魔したものだ。そして、その流れで新小岩の料亭でご馳走になったり、船橋の井口宅で奥さんの手料理をご馳走になった。
公務員試験を落ち、下宿でぶらぶらしていた時に井口さんからお電話があった。
「応援部員から小林が就職で困っている話を聞いた。安田信託の人事を紹介するから一度顔を出してみないか」と。
私は三和銀行からお声を掛けられていたが、金融機関には行かないと断っていた。しかし、お世話になっている井口さんのお誘いだ。「一度話を聞いてみるか」と八重洲の本店に出掛けた。 人事部には銀行員らしからぬ社員の方々ばかりがいらした。
村田英雄似の岡田研修室長(私たち夫婦の仲人)や、人情味溢れた高田調査役、面白おかしい橋本調査役など、皆さん私の話をよく聞いてくださった。
橋本さんなどは、私が銀行には入りたくない、三和銀行は断ったことを話した時、
「小林君、安田信託は銀行じゃないんだ。銀行はトップを頭取というが、信託は社長と言う。トップが頭取でない会社は銀行じゃないんだ」と。
私は都市銀行はほとんど頭取だが三井銀行は社長だと言うくらい知っていた。しかし、せっかく、私にそんな冗談のようなことを言ってくださった橋本さんにそのことを話すことは野暮なことだ。
寧ろ、「銀行でない信託に入るんだ。三和銀行は銀行だが、安田信託は信託だ」と。そう思うことにして「そうですね。よく分かりました。それではよろしくお願いします」と応えたことを決して忘れない。 しかし、内定していただいた後、私に信託の本質を知ってもらおうと思われてだろうか、業務部の小寺調査役をご紹介いただいた。
小寺さんは私より4年先輩の京大法学部大学院卒の知的で穏やかな紳士であり、ウィットも解される愛すべき先輩だった。
小寺さんは『【信託】という器』について、わかりやすく説明してくださった。
【信託】という器はそれが独立した法人のようなものだ。その器にいろいろなものを入れると、それは七変化して全く別物に変わる。新しい命が誕生するのだと。 【信託】とはそんなユニークで人の役に立つものなんだ。アバウトだが信託の本質を分かった気がした。とても印象的だった。
そして、「私は銀行に入社するのではない、信託に入るのだ」と自分自身に納得させたのだろう。
そんなことで『器』である信託に俄然興味を持ったのだ。
食器でご馳走は美味しくなったりそうでなかったりする。食器に拘ることはそんなところがあるのだろう。それほど『器』には意味がある。
器量が大きい、大器晩成など、人間の大きさを『器』で表現する。
西郷隆盛は、官軍のみならず徳川軍からも器の大きい大人物と慕われた大物だ。
その西郷さんを敬慕する稲盛和夫さんも器の大きい人物だ。
私は、器が大きいとは人の立場に立って物事を見ることができる人だと思う。
こちらの想いが正しいと思っても、たとえどこに出しても皆がそうだと思うことであっても、相手の立場に立てば一分くらいはその人の想いも理解することができるかもしれない。 そのような、たとえ1%でもそうであればその想いに思いを致すことができる人が本当の大器であり大物だということではないか。
国会論戦が姦しい。勝った負けたの世界なんだろうが、それが政治というものなんだろうが、ちょっと私には馴染めない世界ではある。
相手の想いに思いを致すことは決して八方美人になることではない。正しいと思ったことを人間関係が悪くなるからと何も言わないということではない。
想うところをはっきり言うこと、相手の想いにも思いを致すこと、それが全く自然体でスムーズにできる人、そして結果、相手がこちらの言うことを素直に「その通り」と思うこと。それができる人が大器ということではないか。 だから、「大器晩成」というように、小さな器であっても、多くの試行錯誤を経て、晩成して大器になっていくことはその通りだと納得する。そんな大器になりたいものだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)