31日、元内閣官房副長官の石原信雄さんが逝去されたことがニュースで公表された。96歳だった。
竹下内閣から村山内閣まで7代の内閣を支えられた。官僚は如何にあるべきかと言う観点から全てを判断された官僚中の官僚だった。官僚の神様のような方だ。 そして、私如き在野の一匹狼に対しても、全く偉ぶることがなかった。
銀座にある地方自治研究機構の会長をされていらっしゃる時に、時々お邪魔し、何度も厚かましいお願いをした。
その時の石原さんの和やかな笑顔で、私はザックバランにOUEN Japan が目指しているところをお話しし、ストレートにお願いごとをお話しすることができた。
OUEN Japan の望年会にも必ずご出席いただき、開会のご挨拶をいただいた。
石原さんは「小林さんはこれからの日本を担う若者を応援している。皆さんも是非、そんな小林さんを応援してあげてください」といつもご挨拶をしてくださった。
石原さんは東京大学同窓会の顧問をされていた。そして、全都道府県に東大の同窓会を立ち上げる先頭に立っていらした。
群馬県の同窓会である群馬銀杏会の幹事になったのは、石原さんから頼まれたからだ。そして、石原さんは私に、「小林さん、あなたのふるさとの石川でも小林さんが発起人になって同窓会をつくってほしい」と仰った。
石原さんのご出身は群馬県太田市であり、だから群馬銀杏会の発起人は石原さんだった。石原さんのような人格者でなければその任にあらずと思い、そのことをお話ししたが、石原さんに「小林さんがいい。想いがある人がいいんだ。小林さん、あなたが発起人になってほしい」とお願いされ、お引き受けすることになったのだ。 そのおかげもあって、ふるさととのパイプが太くなった。その延長線で「ふるさと石川の地域創生」をミッションとまで思うようになったのだ。
昨年は稲盛和夫さんがご逝去され、今年は石原信雄さんだ。
生きとし生けるものは全て有限の命であることは分かってはいるものの、私にミッションを気づかせてくださった哲人や人格者とのお別れは何ともいう言葉がない。
私は古稀であり、稲盛さんの享年まで20年、石原さんの享年まで26年だ。
人生120年と思ってもそれはあまり現実であるとは思えない。お二人の享年まで現役で頑張っていけるだろうか。そのためには一層の自愛が必要だ。それが人のために生きることになる。
謹んで、石原信雄さんのご冥福をお祈りする。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)