多くの信頼できる友人がいる幸せ

1月26日に、テーマを「女性の活躍が日本を元気にする」と題してOUEN信念会を開催した。それからもう1ヶ月以上が経った。

このテーマは、私が女性のおかげで何とか元気に公私とも生き生きと生きていると思ってのことだったのだが、これによって私の思いもしなかったビジネスが私の周りにさまざまな形で起こっていることに本当に驚いている。それだけ、女性の力は大きいということか。 勿論、男女協働してビジネスを展開しているのであり、以前にも増して女性が一層輝いていると思うのは私が意識してそう思っているからだろうか。 いずれにしても、ビジネスに於ける女性のウェイトは日々増しているというのが偽らざる素直な私の感想だ。

そして、主体は女性であるということもさることながら、ビジネスの中身が女性を意識したものになっている。人類の半数が女性ということもあるし、表でも裏でも女性が実権を握っていることが本当は多いのだということだろう。男性は女性の掌の上で踊っているだけなのかもしれない。

私は以前から思っているのだが、男性は濁世にどっぷり浸かっているところがあって、世の中を悪い意味での”忖度”をすることで生きてきたという歴史がある。 謙虚のようで魂胆がある醜い謙り(へりくだり)に出合うとゾッとして、もうこの人とはまともに付き合うことは決してすまいと思う。

それに比して、女性は押し並べて素直で純な人が多い。時にはどうしようもないクワセモノに会うこともあったが、私のような愚者でも「経験に学ぶ」ことで成長するものだ。

そして、少しずつ人を見る目はできてきた。足らずのところはカヴァーしてくれる人に補っていただく。
私は、”類は友を呼ぶ”と”友だちの友だちは皆友だち”を友だちに関するモットーにしているが、これはまさに真実であり、人の善悪をしっかりと見分けるには「信頼する人」をどれだけ持つかなのだ。

老若男女を問わず、私には多くの友人がいる。腹を割って話ができる友人がいる。そのことだけでも私は心から幸せだと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

近藤晴菜ちゃんとランチを共にする。

土曜日に近藤晴菜ちゃんが事務所にいらした。
彼女は北九州市立大学卒の社会人2年生だ。出身地は広島、大学は北九州、就職は福岡だったが、1年も経たずに東京に転勤になった。 東京の生活は1年以上だ。勤務先はダイワハウスグループのパーキングソリューションズ。コインパーキングのメーカーであり、運営もしている。 彼女は、不動産屋さんや事業会社への営業だ。移動手段は営業車だったり鉄道だったり。時々出張もあるのだとか。

土曜日には、函館に出張したとかで、ロイズのチョコレートとイカ飯をお土産に持ってきてくれた(いずれも北海道の名産だ。私は40歳前後に札幌に2年間転勤していた。金融法人課長をしていたので、全道を出張していた。そんなことで北海道を大好きになって、マンションを買おうかとも思ったくらいだ。それは30年前の遠い昔のこと。今は福岡に心移りしてしまった。人生とはそんなものだ)。

近藤さんはOUEN信念会にも来てくれた。今はコロナでOUEN塾は休眠状態だが、活動が復活した時には手伝うと言ってくれる。アフターコロナのOUEN塾は新しいスタイルで再開したいと思っているが、このような若い応援団がたくさんいてくれることは心強い限りだ。

まだまた男性中心の社会や会社ではあるものの、いろいろ思うところはあるようだが、真面目にケロッとして、考えていないようで考えている。 人生を楽観的に考えているのだろう。「暫くは、いろいろ深く考えずに元気に頑張る」とのこと。強かに生きている。
考え過ぎて悲観的になって暗くなって落ち込む人もいるが、彼女は大丈夫だろう。
「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」と言われる。楽観主義者の将来は明るい。

いつものKAWAKAMI-ANでランチをして、彼女は元気に帰って行った。私に若いエネルギーを注入してくれた。
これから30年経つと私は100歳。彼女は53歳だ。お互い、それまで楽観的に元気に頑張ろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

若者たちとのパートナーシップを築く。

先週金曜日(1月24日)、外苑前事務所にて、MYパートナーズ顧問の永田健士さんと2人で、flora(株)COO髙田涼太さんから、”Flora for Biz”についてプレゼンを受けた。
flora(株)CEOのアンナ・クレシェンコさんとは、OUEN信念会開催の前に、彼女に事務所まで来ていただいてお話しをお聴きし、信念会にご出席いただいたのが初対面だった。
アンナさんとの出逢いは偶々、エンジェルの三品さんと会食のおり、OUEN信念会のテーマを『女性の活躍が日本を元気にする』とし、パネルディスカッションをすることにしたとの話を話題にしたことだった。
三品さんは「それでは、京都で起業したアンナさんを呼びましょうか」ということになって、その場ですぐアンナさんにお電話をされて彼女とお話しをした。私が「信念会の前に事務所に来てお話しをお聴きしたい」と申し出て事務所での初対面となったわけだ。

人類の半分は女性であり、女性は家庭と職場の両面で社会を支えている。
今まで日本の男性は、女性に「おんぶに抱っこ」されて甘えて生きてきたところがある。「俺について来い」と、まるで男性が社会をつくり女性を養っている気になっているところがあるが、そうではない。男性は女性の掌の上で踊っているだけかもしれないのだ。
私の場合も妻は勿論のこと、多くの女性のサポートをいただいて思うところを勝手気ままに生きている。もっと女性のことを考え、彼女たちが天から与えられた能力を遺憾なく発揮できる環境を整備しなければならないのだ。
OUEN信念会での6名のパネリストは活き活きと活躍されているが、それは本人たちの能力と意識で問題をクリアしているところがあって、大多数の女性たちは男性が分かっていない女性特有の問題を抱えている。そう考えると、6名のパネリストたちも同様な問題を抱えているのだろう。それを私たち男性が分かっていないだけなのだろう。

Flora の想いは「社内/社外データに基づく最先端のサポートで、女性の活躍、企業全体の発展を加速します」というものだ。 B to C で積み上げた沢山の実績データをベースに、B to B の分野でも実績を積み上げている。

CEOのアンナさんはまだ26歳、ウクライナ出身の美人経営者だ。弁護士を志望して京都大学法学部に留学したが、自分に向いているのは法律よりもビジネスと思い、アメリカに留学し、京都で起業したのだとか。 昨年は京都女性起業家賞を受賞した。同社は多くのマスコミでも取り上げられている。

また、COOの髙田さんは現在、中央大学3年生だ。勉学とビジネスの両面で八面六臂の活躍だ。for Bizは彼が中心になって展開している。

日本は、もう若者が引っ張っていく時代だ。
私のように古稀を過ぎた人間は今まで培った人脈やノウハウを彼らのために惜しげなく提供することで、人のため世のために尽くすことなのだろう。
私は第二の生をスタートさせたばかりだが、まだ0歳とは言っても第一の生の0歳とは全くわけが違う。ソクラテスの”汝自身を知れ”を忘れることなく、謙虚と感謝の心を持って、若者たちとパートナーシップを築いていきたいものだ。

OUEN Japan を応援していただいているOUEN Companyにも多くの女性たちが働いている。彼女たちのためは彼女たちが働いている会社のためなのだ。皆んながWin Win の関係になることで皆んなが”幸せ”になる。 さしづめ、OUEN Company にご紹介しよう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

2人の人との『邂逅』

ゼオライト河村会長が亡くなって10日が過ぎた。たった1年半のお付き合いだったが、私の第二の生のミッションを果たすに当たって、彼女の存在がその具体的ありようを私に提示してくれた。

私は40歳前半に稲盛和夫さんに巡り逢った。その出逢いは、私の人生の方向性を180度変えてしまった。まさに『邂逅』であった。
「人は何のために生まれてきたのか」「人は如何に生きるべきなのか」と、有限の命をどのように燃やして生きていくのが人間の幸せなのか。稲盛さんからは、そんな「本質志向をする生き方」を教えられた。

河村会長との出逢いも『邂逅』であろう。
彼女は、私を信じて、私に夢のバトンを繋いでいってほしいことを願われ、私に託された。私とはたった1年半の短いお付き合いであったのに、その私にそれを託されたのだ。

人は信頼され、期待されることで、自身が持っている力の2倍も3倍も具現化できる動物だ。
私はそのことが真実であることを祖父母の愛から実感している。
絶対の愛が、持てる力を2倍にも3倍にもするのだ。愛の力はそれほど偉大で尊い。

私はその愛を河村会長からいただいたと思う。たった1年半、血の繋がりもない赤の他人の私にそんな尊い愛を授けてくださった。
それに応えてこそ、私は人になることができる。
人は義理人情の世界に生きているが、愛はその義理人情とは次元が違う至高の感情だ。愛は絶対だ。

稲盛塾長からの「生き方、生きざまの教え」と河村会長からの「絶対の愛」で、私は私の第二の生を生きていこう。人として生きていこう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

私の悠々人生を突っ走る。

古稀を過ぎて今まで以上に思うことがある。「人生は有限であり、残りの人生は日々短くなっている」と言うことだ。これは当たり前のことであり、若い時は考えないわけではなかったが、残りの人生が短くなってくると、寄り道をしている時間はないことを痛切に感じる。

私は40歳を過ぎた時、残りの人生はあと半分だと思った。そして、稲盛和夫さんと巡り会って「人間如何に生きるべきか」「私は何をするために生まれてきたのか」と自問自答し、無謀にも銀行を飛び出した。 何も勝算があったわけではない。比喩として、経営の才などない自分が冬の日本海に飛び込んだというのが当たっている。
一時はとんでもないことをしたものだと思い悩み後悔したこともあったが、「反省はしても後悔するな」の言葉を反芻し、半世紀以上の期間、七転八倒してきた。 「因果応報」、人生何とかなるもので、これは稲盛哲学と応援哲学のおかげであると思う。
人生、幸せ、哲学等、人間の本質を追求し続けることで、幸せは自分に訪れると思うようになった。そして、その想いは揺るぎないものになったと感じている。これが馬齢を重ねると言うことか。
人間の寿命からすれば古稀という最終コーナーを曲がった時点で悟ることは、それまでの人生は馬齢を重ねてきた人生なのだが、「終わり良ければ全て良し」の諺もある。今までの70年間は人生の半分であり、あと半分の人生があるとは全く思わないが、これからは新たな第二の人生であり、70年をリセットして、第一の人生をベースに、賢く、高コスパで残りの人生を生き抜くことが、この世に送り込んでいただいた天への恩返しなのだと思う。そして、そのための「生き方スタイル」は漸く総天然色で見えてきたように思う。 目指す目標に辿り着くためには、「確立した生き方スタイル」が不可欠なのだ。そして、その第一歩を漸く歩み始めたところだ。

私には、多くの人たちが歩く一般的な「悠々人生」とは全く縁がない。心身の健康に留意することは、私独自のビジネス&ボランティアの道を歩くための手段であり、それが目的ではない。
永久現役、生涯現役で目標を果たすこと、天から与えられたミッションを果たすことが、私独自の悠々人生なのだ。ビジネス=ボランティア=遊びなのだ。一石三鳥というところだ。素晴らしい高コスパではないか。

スイスの哲学者である、カール・ヒルティは言っている。
「仕事のさなかに倒れること、これこそ正常な老人の正しい経過であり、およそ人生の最も望ましい終結である」と。

2〜3月は毎週出張が続いている。石川県、富山県、福岡県だ。福岡県は4週連続だ。
第二の人生のベースづくりを固めて、これからの私の悠々人生を突っ走ろうと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

同じ哲学を持つ同志間の垣根は極めて低い。

私はOUEN blog をほぼ毎日書いている。1日に2回書く日もある。日々思うところを書いているのだが、日頃考えていることの整理の意味もある。 書き始めて5年以上になるだろうか。公開日記のようなところもある。ありがたいことに日々読者も増えてきているようだ。

昨日お会いした日本経営福岡オフィスの高園さんはシャンティ柴本社長の紹介だ。勿論、昨日が初対面だが、柴本さんが高園さんにOUEN Japan のホームページやOUEN blogを紹介いただいていたことで、高園さんがそれを読んでおられて、私の人生に対する考え方をご理解いただいていたことで、実にスムーズに話しが進んだのだ。
特に、日本経営グループの平井社長が盛和塾生であって、大阪の代表世話人をされていたことをお聞きした。同社の幹部社員の方々が稲盛哲学を体得されていたことも高園さんと意気投合した大きなポイントだったのだろう。

ビジネスは利を追求することであり、そのためビジネスライクに徹することがコスパは高まると思いがちだがさにあらず。
ビジネスのベースに哲学があることで、そのビジネスは揺るぎない永続性あるものになるのだ。
利のみを追求するビジネスは心がない人間のようで、人間的魅力に欠けるし、目先の利が見えないと人間的付き合いは縁遠いものになってしまう。それはあまりにも寂しいことだ。 盛和塾の合言葉は「心を高める。経営を伸ばす」だ。心が高まらないと経営は伸びない。永続性に欠ける。

高園さんは会話の中で、「渦の中心となれ」「土俵の真ん中で相撲を取れ」と稲盛語録をお話しされた。その言わんとする意味が分かることがビジネスのスタートだ。初対面でも初対面ではない。 人間と人間の垣根は同じ哲学を持つことでそのバーは極めて低くなる。
そのような人たちとビジネスを共にしたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

良い意味で「想定外」の福岡出張

本日も柴本社長の人脈をご紹介いただいた。
午前は、日本経営福岡オフィスの高園オフィス長と玉利さんだ。初対面だったがザックバランに打ち解けてお話しができた。
私が何をお手伝いできるか、どんなお願いをすることができるか、全く考えてはいなかったが、1時間以上のお話しの中で、それぞれの具体的イメージを掴むことができた。

その理由として、一つ、柴本社長が私を好感を持ってお話ししていただいていたこと。二つ、Webではないリアルな面談だったことの二つではないかと思う。

ビジネスが上手く運ぶには、ご紹介いただく人によるところが大きい。「類は友を呼ぶ」ことを実感する。
また、対面の面談はお互いの息吹を感じることによって、お互いの人間性を知ることができることだ。話しがあちこちに飛ぶことによって想像もしないビジネスの芽を見つけることができる。そんなことを考えると、リアルとWebのバランスがいい使い分けがコスパを高めることになることを強く実感する。

午後は昨日お世話になった山本顧問のご紹介で、元麻生グループ常務の中園さんとお会いした。中園さんとも初対面ながら、あたかも昔からの旧友のようなザックバランな会話になった。

OUEN塾の学生リーダーたちは、私がすぐ人とそのような関係になることをとても不思議に思うようだ。「どうしてそんな関係になれるんですか」とよく言われる。

それはそんなに難しいことではない。お互い人間だから「以心伝心」であり、「合わせ鏡」だということに尽きる。
相手に失礼にならないようにすることだけを気を付ければ、おべっかを使うことなく老若男女、偉い偉くないは全く関係なく、すぐ相手の懐に飛び込むことができる。これは私の特技と言ったら特技なのだろう。

銀行員は慇懃無礼の典型と言われるが、よくそんな銀行員になって21年間勤務していたものだと自分ながら不思議に思う。特に我慢して勤めていたわけではない。そのまま生きてきた。その点、安田信託銀行は銀行らしからぬ銀行だったのかもしれない。 それが我慢できなくなって辞めたのだが、その当時の安田信託は大変な時で、私のような外れ者を受け入れるどころではなかったのだ。これも運命の成せる業だ。

兎に角、1泊2日の福岡出張は良い意味で想定外ばかりだった。

やはり私は運がいい。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

縁は異なもの味なもの

日曜日は自宅で過ごしたが、先週金〜土、今週月〜火と福岡出張だ。来週も3月1〜2日は福岡だ。
平成26年にOUEN Japan を設立して以来、OUEN塾をはじめとして、福岡とは浅からぬご縁で繋がっている。

私の第二の生のミッションは終局的には学生たちと企業を巻き込んでの地域創生だが、その具体的地域は私の生まれた故郷の北陸地方(石川と富山、これに福井を加える)と九州北部(福岡と佐賀と長崎)から始めたいと思う。 70歳からのチャレンジであり、どこまでできるか神のみぞ知るところだが、せいぜいきめ細かい心身のメンテナンスを徹底して生涯現役を貫徹しようと思っている。

人間は幸せを追求して生きているが、そのためには「運がいい」ことが極めておおきな要素のように思う。
私が思う「運がいい」とは、身に起こる全てのことが如何なることであっても「これは私を『幸せ』にしてくれる出来事なのだ」と思うことだ。 身に降りかかる全てのことはそれが楽であっても苦であっても「運がいいから私に降りかかってきたのだ」と思うことだ。
それはまずはそう思おうと思うことだが、それを続けていると、自然と全ての降りかかることが「運がいいから降りかかってきた」と思うようになる。すると、いいことばかりが身に降りかかってくる。そう思っているからそうなんだが、何事も前向きな「考え方」を持つことが『幸せ』になる要素なのだと思う。

昨日はシャンティの柴本社長と山本顧問の紹介で、ゼオライトの林部長と藤瀬さんを同行して福津市の原﨑市長を訪問した。
福津市に隣接している市の一つに古賀市があるが、古賀市の前市長は中村隆象さんであり、中村さんは私より4代前の東大応援部主将(団長)だ。原﨑市長は中村さんと親しく、人間的に尊敬できる人だと仰る。原﨑市長から中村さんとのそんな関係をお聞きするとは思わなかった。今度、中村さんにお電話して伺うことにしよう。

また、原﨑市長から全国市長会発行の「市政」という雑誌の11月号をいただいたが、福津市の記事が出ている。
そして、雑誌をパラパラ捲ると「市長座談会」のコーナーがあって、今度訪問したいと思っている長野県松本市の臥雲市長も出ていらした。 臥雲市長は東大卒、前NHK勤務で、ずっと前に松本市で開催された長野銀杏会(東大のOB・OG会)でお会いしたことがある。
松本市の副市長は東大応援部の後輩の宮之本さんだ。
さらに、昨年度の東大応援部主将の杉田南実さんは松本市出身で、東大応援部初の女性主将(団長)であったこともあり、臥雲市長と対談している(長野毎日新聞)。

「縁は異なもの、味なもの」と言われるが、この諺は男女の関係に限らない。私の人脈のネットワークも「異なもの、味なもの」である。こんなご縁のオンパレードに巡り会う私は「運がいい」と言わずして何と言おうか。

今日も柴本社長はお知り合いの方を何人かをご紹介いただく。その柴本社長とは3ヶ月くらい前にお会いした短いお付き合いだ。それが肝胆相照らす仲になった。

実に縁は異なもの味なものである。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

江崎卓君との人生談義

昨日、OUEN塾OBの江崎卓君が来社し、青山グランドホテル2階のKAWAKAMI-ANにてランチを共にした。
江崎君はいつも来社する時はお土産を買って持ってきてくれる。1月26日の信念会のおりにも早く会場に来てくれて受付をはじめ準備作業を手伝ってくれた。まだ社会人2年目の24歳。こんな気配りができる若者は珍しい。実に誠実で心優しい好青年だ。

彼が言うには、
「この前の信念会は盛り上がりましたね。いつも望年会はおじさんばかりだったですが、参加者の40%近くが女性だと全く雰囲気が変わりますね。 団長はどうしてそんなに人を集められるのですか。それも老若男女、業種もさまざま。今回は女性が50名以上。団長のお人柄なんでしょうが、その秘訣は何でしょうか」

江崎君は素直で気配りができて、何事にも興味を持って思うところを私に投げかける。私も心を開いて思うところを話す。
彼の質問に答えながら、私は私の来し方の人生を振り返り、これから行く末の人生を考える。沈思黙考することとは違う、会話を通して私の人生を整理整頓するのだ。そんな時、自分でも気づかなかった心の内奥を口から発することがある。 やはり、人との触れ合いは人生の成長になくてはならない不可欠なものだ。

①友だちの友だちはみな友だちだ。「類は友を呼ぶ」の諺もある。オープンマインドで人と接することだ。

②全ての人と対等なお付き合いをすることだ。
「偉い、偉くない」は私の付き合いには全く関係ない。人間、皆平等。偉くなった人は素直に尊敬するが、それはその人はできる人かもしれないが人間ができた人ということではない。区別をしても差別をしてはいけない(と言っても、私は全く人を差別したことがないというそんな傲慢なことは思ってはいない)。

③人と喧嘩せず。
と言ってもこれは最近になってのことだ。昔は結構喧嘩早かった。我慢ができなかったのだ。正しいと思ったことを通そうと思ってそれをそのまま発言し行動に移すことは、必ずしも人生の成功にはつながらない。グッと我慢することも大切だ。 それは相手の立場に立って考えるということ。こちらが100%正しいと思うことは私の思い。相手はどうだろうか。
その人の性格や立場によって自分は負い目があると思っていてもどうしたらいいか悩んでいることもあるだろう。そのことに思いを致すと、こちらの対応も変わってくる。そうすれば物事はスムーズに展開することが多くなるだろう。ただ真っ直ぐに突き進めばいいというものではない。 私はそれを古稀になって少し分かったような気がする。ちょっと遅すぎるが。
自分のことと同じように人のことに思いを致すことで争いを避けることができる。

争いや諍いは何もいいことはない。それは昨今のウクライナ侵略や気球に対する米中の対立にも現れている。
お互い何もいいことはないのに、なぜ争うのだろう。それぞれの言い分はあるだろう。100対0ということはない。だとすれば、外交は争う因果な世界だと思う。

それに比べ人間関係は、賢い人なら恕の心(思い遣りの心)を持って考動すれば、お互いがWIN WIN の関係になることができる。 即ち、賢い人になることだ。人を思い遣る心を持つことだ。
私はそのことで結構失敗してきた。友人を無くしたこともある。

人間は愚かだから、やはり失敗しないとなかなか悟ることはできない。
ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言った。私は愚者なのだろう。歴史を学んできたものの、なかなか血肉にはなっていなかった。 血肉になるには学んだ歴史に自らの経験が加わり、それでやっと堅固なものになっていく。だからその悟りを生かすためにも長生きをしたいと思うのだ。

そんな話をした。私もそのようなできた人間になりたいと思いながら話した。
「有言実行」言えばやらねばならないのだ。

今日からまた、1泊2日の福岡出張だ。河村会長の想いを果たすためにも人生後半戦、頑張っていきたいと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

さようなら、河村会長

2月18日(土)11時より、しめやかに河村勝美会長の告別式が福岡市中央区のユウベル積善社福岡斎場にて執り行われた。

私たち夫婦は、前日の通夜の後、天神南のコンフォートイン福岡天神に宿泊した。
10時過ぎ、ホテルを出て、地下鉄七隈線で天神南で乗車、薬院大通で下車して斎場に向かった。
妻は、河村会長の柩の一番近い席に座りたいと言い、2人で最前列の真ん中の席で告別式に臨んだ。

私は1年半のお付き合い、妻は私の生前葬&出陣式が初対面だからまだ7ヶ月だ。11月に私が福岡に出向く時、会長から「是非奥さんも連れていらっしゃい」と言われて、妻は初めての福岡旅行をした。会長と妻の対面はその2回だけだ。
しかし、私も妻も、会長とはそれぞれ10回以上にも亙る電話をした。そして、会長から送っていただいたお菓子や果物は数回に及んだ。妻からも会長に数回に亙り、お好きだろうと思う食べ物をお送りした。
12月以降、お具合が悪くなられて食が進まないようになられてからは「全快をお祈りした明治神宮のお守り」やネットで調べていくつかの「幸運を呼ぶグッズ」をお送りした。しかし、力及ばず、2月14日に会長は天に召された。

私たち夫婦にとって、それはほんとうに短いお付き合いだったが、この間の心温かい、熱い血が通った人間関係は奇跡としか思えないものだった。 こんなことがあるだろうか。こんな短時日でこんな深く熱い繋がりができるものだろうか。

会長に最後にお会いしたのは、11月の勤労感謝の日(11月23日)と東京に帰る24日だったが、伺う前にお電話だけではなくメールのやり取りをした。その時の会長のメールが最後のメールになった。 私はこのメールを読んで涙が出て止まらなかった。

もっと早くお出会いがあったなら、沢山の思い出が残ると思うと残念です。小林団長ご夫妻とのお出会いが、永遠に、いつまでも心に残る事と思います。 恭輔会長もきっと天国から団長ご夫妻とお会いできること、楽しみしていると思います。
日増しに寒さを感じるこの頃ですが、お身体ご自愛くださいネ。
感謝、感謝です。

河村会長はその時、死を覚悟されていたのだろう。そして、私に想いの丈をお話しになりたかったのだろう。そして、その後、12月、1月と何度かのお電話をいただいた。

私ができることを精一杯務めよう。会長は「団長しかできないことがあるのよ。よろしく頼みます。息子たちをよろしく頼みます」と何度も何度も仰ったお言葉は私の脳裏に焼きついている。

経営者としての生きざま、人間としての生きざま。
この1年あまりの短時日にこれほど強烈な印象を残して天に召された人、私たち夫婦をこよなく愛してくださった人だ。

そのご恩は決して忘れない。そのご恩に報いるのが人としてのありようだ。

そして、会長は、私に新たなミッションを与えてくださった。
それを第二の人生で果たしていこう。
短い間でしたが、ほんとうにありがとうございました。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

ゼオライト会長室(2022.3.31)

河村会長告別式(2023.2.18)