七朋会の幹事会を開催する。

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28日(土)は10時から私の事務所で七朋会幹事が集まり「国立七大学応援団(部)語り尽くし」の編集会議を行なった。
七大学応援団の活動を、OB・OG・現役のみならず、こよなく七大学応援団を愛し応援してくださるファンの方々にご覧いただくためにも、ホームページをつくることが不可欠ではないかということで、EULITE(ユーライト)の榎森さんにも加わっていただいた。
打ち合わせは2時間近くに及んだが、話はあっちこっちに飛んで取り止めもないことになって終わったようでそうではない。それが七大学応援団らしい実のある会議の在り方なのだ。

東北大の木島さんが昭和49年(1974年)の夏に東京で開催された七大戦パレードの動画を見せてくれた。
七大戦は毎年夏に開催される。主管校は毎年変わり、この年は東大が主管校だった。応援団は試合の応援のほかに、パレードと演舞会をする。 この年のパレードは上野公園から春日通を通って本郷の東大赤門までの3㎞弱を各大学が演舞をしながら練り歩く。3時間は掛かっただろうか。 皆んな若い。私は今と同じ、丸坊主だ。あまり変わっていない(心身とも中身はガラッと変わっている。しかし、青年の心意気は不変だ)。 49年前、半世紀前のことだ。私たちはこんな青春を送っていたのだと懐かしく思い出す。

七大学応援団は毎年、夏の七大戦に集う。これしか皆んなが集まる機会はない(東大の場合は、京大とは一高と三高の繋がりがあるのでもっと頻繁に会っているが、他の五大学はこの七大戦が唯一の集まる機会だ。大学の在学4年間でたった4回しか会っていない。約1週間あるが、日中は応援しているので、皆んなと顔を合わせて話すのは夜だけだ。 酒が入ってワイワイガヤガヤするだけなのだが、それが半世紀の間ずっと人間関係が続いている。ビジネスで続いているのではない。 『応援』の精神を持って生きてきたから続いてきたのだ。それもザックバランで何でも話す仲間たちだ。
私に言わせれば、彼らと会うと、東京から能登に帰省して家族や親戚の皆んなと懐かしく打ち解け合う、そんなアットホームな雰囲気になるのだ。さらに、同期はワイガヤしているが、歳の離れた先輩後輩は一緒に活動したことはない。それでも『応援』の繋がりで同じような雰囲気になる。 これは青春の一時代に同じ経験をしていて同じ想いを持って大学時代を過ごしたことがなせる業なのだろう。実に青春とはいいものだ。

打ち合わせが終わって、青山グランドホテル2階にある日本蕎麦屋の【KAWAKAMI-AN】で、七朋会幹事の新年会だ。
お酒が入ると話し足りなかったことがパラパラ出てくる。こんな時はお酒の有り難みを実感する。酒は「百薬の長」ではないかもしれないが、人生の潤滑油として、その意義は決してなくなることはない。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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