想いを受け継ぐということ

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人と人との絆は付き合いの長短ではない。たとえ、その期間が短くとも、深く、強く、心が引き合うことは稀ではない。しかし、ただ漠然と生きていてはそのような出逢いに巡り会うことは決してないだろう。

織田信長が愛したという「敦盛」の一節を思う。

『人生五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり』

信長の時代は日本人の平均寿命が50年はあったのだろうか。日本人の平均寿命が50年を超えたのは戦後になってからだ。
それが今は80年を超えている。「人生100年時代」だ。

下天の寿命は人間の世界でいうと23億年といわれる。まさに下天の長さに比すれば、人間の寿命は吹けば飛ぶような将棋の駒のようなものだ。

人生は有限だ。儚い人生、その時間の儚さを如何に意味ある充実した期間とするかが、真の人間の器量だ。
世界的宗教学者であるカール・ベッカーは言っている。
「時間の有限性に気がつくと、生き方は賢明になる」と。

『一度生を受け、滅せぬもののあるべきか。これを菩提(ぼだい)の種と思い定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ』

限りある命、我が為すべきことは何かを問わずにはおれなくなる。その何かを深く脳裏に叩き込み、それを果たすべく果敢に行動に移すことだ。

人に信頼され期待されることはこの上ない喜びだ。その信頼と期待を裏切ることなく、その想いをしっかりと受け止めて、私が為すべきことを、私の得手を全て出し切り、受け止めた想いを果たすことだ。 それが「人間として」「人として」生きるということではないか。

人間の儚さの中に、人の想いをつないでいく絆があることにより、その想いは永遠につながれていく。
そのバトンタッチの走者に選んでいただいたことを、ありがたく、全身全霊を掛けて受け継いでいきたい、受け継いでいくことを覚悟する。それが人間だ。 出逢いの期間はたとえ短くとも、私を駅伝の走者として選んでいただいたことに深い感謝の念を覚えるものだ。
生ある限り、決してそのことを忘れてはならない。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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