今こそ「人間として」「人として」の原点に立ち返ること だ。

投稿者:

この1週間はあまりお客様とのアポ(来社と訪問のいずれも)を入れていない。OUEN信念会で来客が20卓のうちどの卓にお座りいただくか、その作業を終え、今は専らパネルディスカッションで沈思黙考の時間を過ごしている。この時間は私にとって人生について考える実に貴重な時間になっている。こんなにじっと椅子に腰掛けて人生について考え続けたことはない。

「ジェンダー平等」について考える。
男女平等、LGBTQ、部落差別、人種差別等々。
差別はいけないが、客観的な区別は必要だろう。キチンとした区別があって、それぞれの個性が大切にされる。
人間は人間として、完全なオールラウンドプレイヤーは存在しない。人間は一人では生きていくことができない。一人で何でもできる天才などこの世界に存在しないのだ。
あの稲盛和夫さんのような哲人経営者ですら、一人でできることは限られていたからアメーバ経営(全員参加経営)を発想され、その経営手法は京セラのみならず、今は多くの会社に採用されているのだ。

凸凹の人間同士が、信頼し合い、それぞれの天から与えられた得手を持ち寄り、カヴァーしあって、凸凹から丸い大きな球形にアウフヘーベンしていく。それができるのは人間だけだ。
しかし、その人間が、その目指す理想を忘れ、欲望を顕在化させて争うのが現実だ。
SDGsが叫ばれている現代こそ、人間しかできはしない丸い球形を強く意識して目指すべきではないか。

「日本昔ばなし」という番組があった。そのエンディングに流れる歌がある。

「にんげんっていいな」

まんが日本昔ばなし エンディング にんげんっていいな 1991年
youtube.com

そうなのだ。人間っていいのだ。そんな原点に戻ることだ。

白色民族として、ロシア民族として、中華民族として、男として、女として、そのような拘りを乗り越えて、「人間として」、稲盛さんの口癖だった「人として」が今こそ求められている。

「ジェンダー平等を実現しよう」は、ごく当たり前の「人として」の心を持って取り組んでいくことだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です