昭和60年の男女雇用機会均等法を振り返る。

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1日かけてOUEN信念会の20卓(A〜T)のメンバーをほぼ決定した。17卓が7名掛け、3卓が8名掛けだ。この作業は出席者の皆さんのお顔を存じ上げている私しかできない作業だ。皆さんのお顔を思い浮かべて皆さんの卓を決める。

10時半に総合司会をお願いしている日欧フーズ副社長の安藤裕美さんの事務所を訪問し、企画を任せているEULITEの榎森さん、森田さんとZOOMで詰めの打ち合わせをした。 そのあと裕美ちゃんとランチを摂りながら「ジェンダー平等」について雑談を交え意見交換した。

私は銀行時代、昭和59年から7年3ヶ月に亙り人事部だったが、仕事の主従を含め全ての期間、採用活動に関わった。
特に印象が深いのが、男女雇用機会均等法が施行された昭和60年4月に入社した女子総合職の採用だ。初めての女子総合職は8名だったが、彼女たちは全て数年勤めて銀行を退職していった。 それは彼女たちの意識が問題であったのではなく、会社のトップをはじめとした全ての社員の意識の問題であったと思っている。
誰がどうだということではない。体裁だけ整えればいいと皆んながそう思っていたのだ。当の私もそうだったのだ。当時の日本の会社は総じてそうだったと思う。

彼女たちは外資系企業をはじめとして転職していった。
それから40年経った。彼女たちは今どうしているだろう。私より10年歳下だったから、還暦になっている。彼女たちの人生を変えてしまったと忸怩たる思いもある。しかし、皆んな賢い、柔らか頭の女性たちだ。逞しく生きていったことだろう。

OUEN信念会のパネリストの皆さんも逞しく生きているようだ。彼女たちも同様に七転八倒と思いきや、そうではないようだ。それは彼女たちが働いている業種のせいもあるだろうし、年代のせいでもあるだろう。心の強さのせいもあるかもしれない。

時代は変わった。

OUEN塾での女子学生リーダーたちの頑張りを目前に見てきたこともある。
昨今の応援部は女子が8割以上を占めていて、ある意味で応援部が男女協働社会の理想の姿ではないかと思うこともある。

OUEN Japan のミッションを果たすためには、男女がそれぞれの得手を持ち寄り、協働して、緩やかな組織を盛り上げていくことだと思う。 一層、女性の頑張りと活躍が不可欠なのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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