人生120年とは言うものの、現実を考えると、それは人生を前向きに生きる、ミッションを持って生きる、そのミッションを果たすためにあと半世紀があったらと思うところから出てきたことだ。 まだ120歳まで生きた人はいないらしいし、医学の進歩でそれ以上生きることができるとは思うが、生きることが目的ではない。
生きることはミッションを果たす手段であり、きちんとそのミッションのバトンを引き継いでくれる人にバトンタッチできれば、120歳まで生きたいとは思わない。 何せ、私が120歳になったら子どもたちは90歳を超えるし孫たちは還暦になってしまうのだ。それは化け物のような家族ではないか。 人間には寿命があり、遺伝子がバトンタッチされて永遠に生きていくのだから、そのためのベースを日頃からしっかりつくっておくことなのだ。
そんなことを考えて、3人の息子たちを見る。いつまでも子どもは子どもであり、どうしても幼少の面影が離れない。しかし、3人はもう今40代前後だ。
私がビジネスで関わっている人たちには同年代のビジネスパーソンが大勢いる。その人たちのことを考えれば息子たちも同様に成長しているのだが、どうしても子どもの頃の残像がそうは思わせないのだ。
私は70歳になって気持ちは青年のままだが、如何せん、体が思うようにはならないところがある。特に今、五十肩で四苦八苦しているために少し弱気になっているところがあるのかもしれない。 しかし、「汝自身を知れ」と自らを客観視するためには、五十肩はちょうど手頃な病気ではある。
昨日も整体院で1時間近くマッサージをしてもらって少し楽になったところはあるが、直ぐ元通りになってしまう。やはり、1年間はじっと我慢の日々を送る必要があるのだろうかと憂鬱になるのが偽らざるところだ。
そんなことで、普通の70歳同様、エンディングノートを改めて書いておこうかと思っている。
120歳までと言ってもいつどうなるやも知れず、弱気になって人生を暗くするわけではない。
心は「一生青春、一生燃焼」「大いなる道はあると思う心は未だも消えず」であることには変わりはない。
私たち夫婦のエンディングを想定して、息子たちは自らの人生を自分ごととして考えている。それは息子たちの成長でもある。人生を等身大に見るということだ。 ちょっとしたことから、息子たちの成長を感じる。当たり前のことだが、息子たちも、私がビジネスで付き合っている青年たちと同じく日々成長しているのだと嬉しく思うのだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)