年始に年賀状を認める。

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今年から年賀状は年始に書くことにした。年末は何かと慌ただしいし、年末に年賀状を認めるというのは明治以来の日本独特の風習だ。それに従うこともない。
それと、年末に年賀状を書くとなると私は昨年は600枚以上になり、それはダイレクトメールのようなもので、何も想いがないことになってしまう。昨年は表裏全てを業者に任せてしまった。 そんなこともあって、今年から年始に認めることにした。

今年は裏だけを業者にお願いして表の宛名書きは手書きで書くことにした。いただいた年賀状の宛先に書く。昨日と今朝で200枚弱を書いて出した。3日以降にいただく年賀状を含めて300枚はいかないだろう。私はいつもその倍の年賀状を出していたことになる。

年賀状を葉書で出す文化はだんだん廃れてくるだろう。法人はSDGsのこともあり、年賀状を出す虚礼は廃止の傾向がある。私もそんな文面の葉書を何通かいただいた。最近はスマホで年賀をやり取りするようになってきて、若者のみならず私の同年代の人たちからもそんな年賀状をいただく。
さらに、ここ最近、今年の年賀状を最後にするという、いわゆる”年賀状仕舞い”のご挨拶の年賀状をいただくことが多くなった。私より歳上の方に限らず同年代からも、50代の方からもいただいた(黙って出さない人が多いなかで、年賀状仕舞いを書く方というのは律儀な方なんだろうと思う)。

いただいた年賀状に返信する形で、裏に書いてある文面や手書きのコメントを読みながら宛名を書く。「皆さん、この一年お元気でお過ごしになっていらしたのだな」と、来し方の人生を懐かしく振り返っている自分がいる。嗚呼、歳を取ったものだと感慨に耽るのだ。そして、これからの人生の後半戦はくれぐれも身体に留意して、私に与えられたミッションを果たしていきたいものだと思う。

昨日、NHKテレビを視聴していたら、動物の寿命のことを言っていた。200年くらい長く生きているクジラがいるんだと。サメには400年生きるものがいるんだと。何かの本で、心拍数と寿命は関係があるという文章を読んだことがある。

動物が一生に打つ回数は、哺乳類ではどんな動物もほぼ同じなんだとか。一般的に体が大きい動物ほど1分間の心拍数が少なく長生きで、それと反比例するように体が小さい動物ほど心拍数が多く、寿命が短い。動物の世界にはこのような心拍数と寿命の間に一定の法則があるそうだ。

人間も動物だからそうなのかもしれないが、人間は他の動物にはない理性というものがあるから、心拍数は長生きの一つの要素であり、それ以外に健康に留意することや心の持ちようで長生きすることができるのだろう。

理性が他の動物と人間を区別する大きな要素だと思うが、理性に対する感性ももう一つの要素ではないかと思う。感情ではなく感性のことだ。

理性は、感情に走らず道理に基づいて考え、判断する能力だが、感性は、感動的刺激や印象を受け入れ、反応する能力、感受性のことだ。

この理性と感性が人間を人間たらしめているのだ。
そして、理性と感性のバランスが人間の器量をつくるのだと思う。

稲盛和夫さんは「心を高める。経営を伸ばす」と仰っていたが、経営はイコール人間経営でもある。心を高めることでできた人間ができる。そのためには理性と感性のバランスが不可欠ではないだろうか。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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