戒名を持つということ

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28日にOUEN信念会の第二信を発信した。第一信は20日だから1週間の間隔だ。これくらいがちょうどいい(29日現在で出席するとご連絡いただいたのは104名になった。次の第三信は年末年始明けの1月5日の予定だ)。

いただいたメールの中に大学の同期の友人がいた。彼は仕事の関係で当日は先約があり欠席なのだが、彼のメールに「小林さんがダイバーシテイインクルージョンの 企画をするとは、隔世の感がありますね。戒名を持つ身になると、変わるものだなあと率直に感じました」とあった。
そう思うのも尤もだと思う。私は大学時代は、その当時はむくつけき男の世界だった応援部にどっぷり浸かっていて女性のジの字もない世界に身を置いていたからだ。 今でこそ、応援部は約100名の部員の内女子の比率が7割を超えているが、私の時代は男子のみ、それも大学紛争の後で最悪は4人と言う危機の時代もあったのだ。

人生は揉まれて生きることだ。そして、素直で柔らか頭であれば自然と本質志向をするようになる。建前ではなく、「女性の活躍が男性の能力も開発してくれて、男女が協働して元気な社会をつくっていくのだ」と心から思うようになる。松下幸之助さんの仰る通り、『人間は素直が一番』だ。

そして、私の場合は、それに「生まれ変わる」が加わる。
本当に生まれ変わることなどできはしない。死んで花実は咲かない。ただ、生前葬と出陣式を介して生まれ変わる擬似体験をするのだ。 勿論、身体はそのまま。中古品は致し方ない。「汝自身を知れ」をいつも念頭に置いて、身を慎み健康に留意することだ。そうしないと生まれ変わった心に悪く影響する。
心と言えば、こちらは身体とは違い、心掛け次第だが、完璧に生まれ変わることができる。それも第一生の経験と反省が加わる。大いに下駄を履いて第二の生をスタートすることができるのだ。

また、戒名はお坊さんから授けられるのだが、私自身が深く関与することができる。それまでの私の生き様を反映させることができる。そしてこれからは戒名に恥じない生き方をしよう、こんな心掛けを持って生きていこうと思う。元気な内に戒名を授けていただくだけのものではないのだ。 ミソは、生前葬をそれだけで終わらせないで、出陣式を加えることなのだ(そんなことで、私の持つたくさんの肩書きの一つに「生前葬コンサルタント」を加えた)。

生前葬&出陣式を機に、下り坂の人生から登り坂ならぬ「上り坂の人生」を生きる。そして、第二の生はところどころ踊り場があって小休止をしながらも、ずっと上り坂を歩き続け、天がそろそろ次に行こうと言ってくださる時に「嗚呼、いい人生だったな」と思って旅立つ。そんな人生を生きていきたい。

昨日の午前、NHKで三宅民夫アナウンサーによる稲盛和夫さんとの対談の再放送を放映していた。
私には、稲盛さんのお話しは同じことを何度聴いても心に深く入ってくる。あの穏やかなお話しぶりの中に、人生に対する、温かくそれでいて厳しい生き様を垣間見ることができるのだ。 「同じことを何度も何度も言わないと君たちには血肉にならないからな」と言うことだろう。そして、そのことをどれだけ実行に移そうとするか、実行するかなのだ。

稲盛さんは最後に、100年後に生きている人への遺言とも言えるお話しをされた。
「人を思う『利他の心』が人類を救う。皆さんが利他の心を持って生きることが人類が生き延びて発展することになる。それに尽きるのだ」と。 プーチンに聞かせてやりたい。いやプーチンだけではない。日本の全ての政治家先生に耳の穴をかっぽじって聞いてほしいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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