年末に思うまま

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官庁やほとんどの民間企業は28日が仕事納めだ。年中無休の私にはご縁はないが、皆さんがお休みになる期間は私からお電話することはたとえ携帯電話でも差し控えている。そんなことで私も年末年始ムードになる。

3時過ぎに目覚めて、この1年を振り返る。
今年は古稀になったこともあり、6月に生前葬と出陣式を行なった。人生の一つの仕切りということもあるが、新しい生の誕生と考えると感慨は深いものがあり、第一生を反省し、新たな生を新たな気持ちで生きていこうと思う。それは人生の最大転機でもある。

何と言っても人生を生きるということは、人間関係の善し悪しが大きなウェイトを占める。人間関係がスムーズで、それが善きものであれば楽しく意義ある人生を送ることができる。悪しき人間関係にどっぷり浸かってしまうと、人生は惨めで貧しいものになってしまう。第一生の反省をベースに素晴らしい第二生を送りたいと思う。

戒名を本名として第二生を送るわけだが、この戒名(不動院重陽博愛居士)が私の人間性を高めてくれている。結構、人間ができてきたように思う。これも生前葬を行い戒名をいただいたおかげだ。

争いや諍いはしないでおこうと思う。多くの人たちと仲良く温かい人間関係をつくっていきたい。
人間関係は付き合いの期間に関わらず、ピンとくる人がある。考え方、哲学が共通していることがあるのだろう。そうでない人とはそれなりの距離感を取ることだ。第一生では、自分が思っていた人間性と違うと、それで人間関係がスムーズにいかないことがあったが、それは恕の心、相手のことを考えないで自分のことしか考えないから思うことだと思う。 人はそれぞれなのだから、自分と同じように考える人は一人もいないと思うことだ。そうでないと、トラブルの原因になる。
恕の心を持つと、相手との距離感も相応しいものになると思う。それがやっと古稀になって、生まれ変わって、漸く分かるようになった。

自分が一番大切と思ったら、自分が一番幸せだと思う時はどんな時なのか考えてみることだ。
私の場合は、人に『ありがとう』と言ってもらうことだ。それならばそれを天職にしようと思った。人さまに喜んでもらって「ありがとう」と言ってもらえる仕事をしようと思った。 それは『応援』であり、他を利する『利他』である。
利己を極めると利他になる。利己と利他は正反対のところにあると思いきや、おっとどっこい隣同士に仲良く座っている。
それを分かってそのようにしたいと思い、行動に移せば、自然と人間ができてくる。「できる人間」よりも「できた人間」がレベルが高い。そんな人間になろう。

そんな利他の心を持った人たちがどんどん増えてきたら、この世の中は幸せになるだろう。もっと成長するだろう。それが宇宙の大流であり、真理なのだ。

何で人間はその宇宙の大流に逆らうことをするのだろう。諍いをするのだろう。それは中途半端な利己を追求しているからだ。もっと心を清くして利己を極めることで利他に近づくのに。

心は生まれ変わっても、身体はそうではない。70歳の中古品である。今は五十肩で左肩が痛くて動かすことに四苦八苦している。
あと半世紀生きようと思ってはいるが、現実に120歳になったら大鏡のお爺さんのようなもので、そんな人生幸せだとは思わないだろう。

何のために生きるのか。人のために生きるのだ。長生きするのはそのための手段であり、長生きを目的とすることは意味がない。「長生きして人のために尽くす」ことなのだ。適当なところでこの世とおさらばがいい人生ではないか。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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