ジェンダー平等と損得と徳を考える。

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ジェンダーについて考える。

ジェンダー(gender)とは、生物学的な性別(sex)に対して、「男らしさ」「女らしさ」など、社会的・文化的につくられる性別のことだ。 男は女より相対的に体力があるため、競技が男女別に行われるのは当然だ。sexで差別することは合理的だ。
しかし、「男はこうあるべきだ」「女のくせに」「男らしい」「女々しい」とか言うのはgenderであり、差別することをしてはならない。

SDGsは17の目標の5つ目に『ジェンダー平等を実現しよう』と謳っている。

自分ごとだが、家では、育児や家事は全てと言っていいくらい妻がしてくれていた。今も家事全般は妻の専売特許だ。その点では、私は『ジェンダー平等』について発言できるような人間ではない(それに反して3人の息子たちは私を反面教師としたようで、ジェンダー平等の家庭をつくっているようだ)。

そんな私だから「ジェンダー平等」を云々する資格はないのだが、家を出れば結構「ジェンダー平等」を意識して仕事をしていると自分でそう思っている。
OUEN信念会においてこのテーマを取り上げたのは、男女を問わず、集まっていただいた皆さんが「ジェンダー平等」を自分ごととして考える切っ掛けにしていただいて、皆んなで元気な社会をつくっていこうじゃないかと思ったことからだ。

たまたま何気なくLINEを視聴していて、30代前後の男性の発言に妙に納得した。
それは、女性の「いつもデイトの時は割り勘なんです。あなたはどうですか」との質問に、その男性は「私の主義は全て自分が払います。お金に困っていてもデイトする時は自分が払うことにしています。払えないのであればデイトはしません」と言っていたことだ。
男性の言わんとするところは「女性はデイトする時は化粧を念入りにするとか、美容院に行くとか、それなりに自分に投資する。それは自分のためでもあるがデイトする相手の男性のためでもあるだろう。男性は相手の女性が美しいほうがいいに決まっている。 そんな投資を男性はしない。だから、お礼の意味で全部自分持ちでデイト代を払うのだ」ということだ。
最近の若者は割り勘なんだとちょっとびっくりしたが、私は、その若者の理屈は哲学の域だと感心した。

この話は、私が言っている「それぞれ得手を出し合って、オールラウンダーになる」ということと同義のように思ったのだ。
男性の得手、女性の得手、それぞれ得手が違うだろう。その得手を持ち合って(それがそれぞれが納得することでなければならないが)、仲良く和気藹々と、共に人生を生きていくことがジェンダー平等ということではないか。そんなことを思って妙に納得したのだ。

それは同性同士でもあるだろうし、男女が逆転することでもいいだろう。要は、お互いが損得なしの平等だと思うことなのだ。
それはそれぞれが得な気分になることだ。その得は徳につながる。そんな得がたくさんあれば、自ずと人は徳な人間になってくる。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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