応援の本質と女性活躍。

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『応援』とは、援けに応えること。『利他』とは、他を利すること。いずれもキリスト教の『愛』の心であり、仏教の『慈しみ』の心であり、儒教の『思いやり(恕)』の心である。 それは、極めるという意味の『応援道』であり、哲学であり、宗教でもある。

応援団のイメージは、ある時期、右翼の端くれ、ならず者という極めて悪いイメージがあったが、そして、それをよしとした時もあったが、そうではない。 応援の本質は極めて崇高な思想に裏打ちされているのだ。

自己を内観し、汝自身を知り、謙虚な心を持ち、お世話になった多くの人たちに深い感謝の心を持つことなのだ。

苦労知らずでは応援の心は分からない。辛酸を舐めてこそ、初めて応援の本質が何かを悟ることができる。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」という諺は真実である。苦労が心を高め、心の襞を多くし、情けを解する人間味のある器量を養成するのだ。

社会を生きていくにおいて、性別で考えると、一般的に、男性は苦労知らずだ。男が生きる道は広く真っ直ぐだ。
それに比して女性の行く道は山道であり、茨の道であることが多い。道は狭いし、曲がりくねっている。石ころだらけの道だ。頑張って登っていってもそこには「ガラスの天井」が立ち塞がっていることが間々ある。

ジェンダー平等とは長い人類の歴史が形作ってきたところがあり、一朝一夕には実現するものではないだろう。
しかし、「千里の道も一歩から」の諺もある。地道な一歩を踏み出すことだ。その一歩は極めて小さいものであるかもしれないが、コツコツコツコツと歩みを進めて行くことだ。怯まないで、挫けないで。 こんな時こそ、応援団の面目躍如のシーンではないか。
応援団長である私の役割はここにある。

女性活躍が社会を豊かにする。社会を元気にする。社会を成長させる。

早朝、そんなことを考えながら、暖かい布団の中でblogを書いている。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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