古稀であり従心である70歳

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昨日、日本年金機構から「厚生年金保険資格喪失」の封書が届いた。
11月で満70歳になったことで、誕生日の前日で厚生年金保険のみ(健康保険は引き続き資格あり)資格喪失になったものだ。
私は私の個人会社から報酬をもらっているので、12月から厚生年金保険料は、私の報酬および会社からも引かれない。少し得をした気分だ。

厚生年金保険料は、標準報酬月額の18.3%であり、それを会社と個人が折半する。私の場合、個人会社であるから、18.3%は全て私が支払う。それが70歳からなくなるのだ。へぇ〜、そうなのか。 全ては税理士先生にお任せしていることもあり、私はこのようなことに全く関心がない。改めて、70歳の老人になったことを強く実感した。

60歳の還暦の時には干支が一回りした感慨があった。65歳には前期高齢者になって年金の受給が始まったことで寄る年波を実感した。
70歳の厚生年金資格喪失でまたまた同様な感慨を持つ(もう自然年齢は老人なんだと思い、受給を繰り下げていた国民年金も来年2月からいただくことにした)。75歳になったら後期高齢者になる。 どれも一つの区切りだけなのだが、それがずしんと心に響くのだ。

2時過ぎに目覚め、事務所に出掛ける。1月26日に開催する「OUEN信念会」の案内メールをBCCで一斉発信した。

70歳を機に、新しい人生をスタートさせる。OUEN Japan は私の分身であるからして、OUEN の会も新装開店だ。
来年は「ジェンダー平等」をあえて意識して活動しようと思う。そして、少しずつそれが当たり前の社会になればいい。

論語では70歳を従心と呼ぶ。
従心は、論語の為政篇に「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」から来ている。
「70歳になってからは、心の欲するままに行動しても道徳の規準を外れるようなことがない」という意味だ。

私も少しずつではあるが、従心の入り口に近づいてきているのかと思う時がある。
馬齢を重ねて来たが、その馬齢のゆえに人間は成長するものだ。そうでなければ、歳を取る意味がない。

まだまだ、腹が立つことは若い時と同じだ。修行が足りないと思う。まだ、淡々と物事を捉えることができないのだ。こんなところは若輩者だ。 しかし、アンガーマネジメントで、腹が立ったら6秒我慢すれば何とか落ち着くものだ。感情的な言動はしなくなる。それが馬齢を重ねるということなのかと思う。 兎に角、争い・諍いはいいことは何もない。ロシアのウクライナ侵略を見てもそのことが分かる。

人間は本当に愚かな動物だと思う。そんなことで私個人としては争い・諍いはなしの人生を送りたいと思っている。

70歳は古来稀なる歳だ。そんな古来稀なる歳まで元気に生きて来られたのだから、これからはこれまでお世話になってきた世間さまや女性たちに恩を倍返し、三倍返しすることをしたいものだ。 そのためには、道徳の規準を外れない言動を自然体でできるところまで心を高めることだ。
それは私の戒名に恥じない生き方をすることである。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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