事を成そうと思うなら、たくさんの心の友をつくることだ 。

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コロナ禍前まで、OUEN Japan
は、12月に「望年会」と称して忘年会を7回開催していた。ここのところ、コロナ禍で2年中止を余儀なくされている。
今年は開催しようと思い7月に予約を入れたのだが、いつものホテルでは、200名を収容できる部屋は全て予約で埋まっていた。
コロナ禍ではあるが、官民あげて皆さん、もう日常に戻りたいということなんだろう。
そんなことで、OUEN Japan は望年会の開催は諦めた。

ということで、生まれ変わったNew OUEN Japan は新年会からスタートしようということにした。その新年会は”信じ念じる会”として、エッジを効かせた『OUEN 信念会』を開催しようと思う。 そして、そのエッジを「女性活躍」にしようと思う。女性が活躍する社会が日本を元気にすると思うからだ。
それぞれ、持ってうまれた得手を生かして前向きに人生を生きていきたいと思う女性たちがたくさん集まってくれることを願っている。

昨夜は、こじんまりとした忘年会だった。いや、年忘れではない。今年の喜怒哀楽をしっかりと腹落ちさせて、来る年に望む「望年会」だ。果たして、そんな光明が差す望年会になった。

メンバーは私を入れて5名。私とは知り合って20年、10年の友人たちとまだ1年足らずの友人だ。ザックバラン、本音で何でも話すことができる心の友だちということだろう。

心友の関係になるためには、時の要素が重要という面もあるだろう。時間がお互いの心の絆を醸成するのだ。
しかし、「時間」と同様、いやそれ以上かもしれない。お互いの心と心に電気が走るような「出会い」が時間を超えることが間々あるのだ。そのことを今年ほど体感したことはない。

なぜそのようなことが起こるのだろうか。それは、心が求めているからだ。真っ直ぐに人生を生きようとしてそう努力していると、その継続が天に通じて、そのような出会いが一度ならず訪れるのだ。

心友を持つということは、人生を豊かにする。人を信じていて良かったと思う。

人に裏切られることもあるが、それは自分が人を見る目がなかったからだということだろう。人を責める前に自分を真っ直ぐに見つめることだ。自分に邪な心がなかったかどうか。
人の性は善だが、如何せん弱いものだ。そんな性弱の人を責めてみたところで、自分が惨めになるだけだ。第一に、人を見る目を養うことだ。人間修養を積むことだ。積み続けることだ。

私はどんな人を心友と思うのだろう。思いつくまま、人を思い浮かべる。

心が綺麗な人、ピュアな人、真っ直ぐな人、誠実な人、義理人情を解する人、心が温かい人、いつも人が何を考えて何をしてほしいのかを考え実行している人、嘘がない人、明るい人、お茶目な人、性格が愛らしい人、気持ちを素直に表す人、素直な人、グッと我慢ができる人、天真爛漫・天衣無縫な人、笑顔が素敵な人などなど。

皆んな自分がこうでありたいと思う人だ。私が好む人は、あまり才覚は関係ないようだ。
皆んな何かその人の得手を持っているから、それが才覚といえばいえる。だから才覚が心友の要素にはならないのだ。
その心清き人たちの強みを寄せ合ってそのバランスを保つことによって、みんなで合わせてオールラウンダーになることだ。
だから、何か事を成そうと思うのなら、心の友は必須なのだ。

こじんまりした望年会でそんなことを考えた。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)

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